第12節:石の声の数値化
翌日の朝、約束通りリーアと私は工房で待ち合わせた。
昨夜の集会で決定された観測計画を実行するため、まずは最も基本的で重要な課題に取り組む必要があった。リーアの石詠み能力を、他の住民でも理解できる形で記録する方法を見つけることだ。
工房の作業台には、リーアが持参した五つの異なる石と、私が準備した記録用具が並んでいる。石はそれぞれ異なる種類で、リーアの祖母から代々受け継がれてきたものだという。
「正直に言うと、石の声を他の人に説明するのは初めてです」
リーアは少し緊張した様子で、最も古い石を手に取った。それは手のひらほどの大きさで、長年の愛用で表面が滑らかに磨かれている。
「祖母は『石は嘘をつかない』と言っていました。でも、その声を聞くには長い時間と経験が必要だとも」
私は前世でのデータ収集経験を思い出しながら、アプローチを考えていた。主観的な感覚を客観的な指標に変換するのは確かに難しいが、不可能ではない。重要なのは、適切なスケールと基準点を設定することだ。
「リーアさん、まず基本的な質問からさせてください。石の『声』というのは、具体的にはどのような感覚ですか?」
「うーん...」リーアは石を両手で包み込みながら考えた。「音ではありません。でも、何かが石の中で動いているような感覚があります。穏やかな時もあれば、激しく波打つ時もあります」
「その強弱の違いは、はっきりと感じ取れますか?」
「はい。今日のこの石は...」リーアが目を閉じて集中した。「『軽い不安』という感じです。昨日よりは落ち着いていますが、完全に静かではありません」
これは有望だった。リーアは感覚の強弱を明確に区別できている。
「では、その『軽い不安』を基準として、より強い状態とより弱い状態を想像してみてください」
リーアは別の石を手に取った。
「この石は普段とても静かです。今も『深い静穏』という感じです」
「逆に、最も激しい状態はどのようなものでしょうか?」
「昨日の夜中に感じたのは、『激しい警告』でした。まるで石が叫んでいるような感覚です」
私は石板に、リーアの表現を段階的に配列してみた。
深い静穏 → 穏やか → 軽い不安 → 強い動揺 → 激しい警告
「この五段階で、石の状態を表現できそうでしょうか?」
リーアは各段階を確認しながら頷いた。
「はい、これなら私の感覚にも合います」
「素晴らしい。では、実際に記録を取ってみましょう」
私は簡単な記録表を作成した。時刻、石の種類、感覚レベル、その他の特記事項を記入できるようになっている。
リーアは手慣れた様子で、五つの石を順番に手に取っていった。
「祖母石...軽い不安。川石...穏やか。山石...軽い不安。古石...強い動揺。そして聖石...」
最後の石を手に取った時、リーアの表情が変わった。
「これは...今まで感じたことのない反応です」
「どのような?」
「五段階のどこにも当てはまりません。もっと複雑で、まるで二つの異なる声が同時に聞こえているような感覚です」
これは重要な発見だった。標準化された測定スケールに収まらない現象は、多くの場合新しい種類の事象を示している。
「その複雑な感覚を、もう少し詳しく教えてもらえますか?」
リーアは聖石を慎重に扱いながら答えた。
「一つは『深い静穏』に近い感覚です。でも、同時に『激しい警告』も感じます。相反する二つの状態が同時に存在している感じです」
「相反する状態...」
私の脳裏に、前世のシステム監視で経験した異常パターンが浮かんだ。複数の信号源から同時に相反するデータが送信される状況は、通常、外部からの干渉や複数のシステムが同時稼働していることを示していた。
「もしかすると、石が複数の異なる影響を同時に受けているのかもしれません」
「複数の影響?」
「例えば、自然な環境変化による影響と、人工的な要因による影響が同時に起きているとか」
リーアは興味深そうに聖石を見つめた。
「そういえば、この石は他の石よりも古く、特別な力があると祖母から聞いていました。もしかすると、より多くの情報を感じ取れるのかもしれません」
これで、記録方法に新しい項目を追加する必要が生じた。単純な五段階評価に加えて、複雑な状態や複数の感覚が混在する場合の記録方法も考える必要がある。
「記録表を改良してみましょう」
私は新しい記録表を作成した。基本的な五段階評価に加えて、「複合状態」「特異現象」「信頼度」の欄を追加している。
「信頼度というのは?」
「リーアさんが感じた感覚の確信度です。『明確』『やや明確』『不明瞭』の三段階で表現してみてください」
「なるほど、自分の感覚に対する確信の度合いですね」
午前中の作業で、基本的な記録システムが確立できた。しかし、実際に使ってみると新たな課題も浮上してきた。
「時間による変化も記録したいのですが...」
リーアが提案したのは、一回限りの測定ではなく、継続的な観測の必要性だった。
「石の声は、時間と共に変化します。朝と夕方では、同じ石でも全く違う反応を示すことがあります」
「どのくらいの頻度で測定すべきでしょうか?」
「理想的には、一刻ごとに記録したいところですが、それは現実的ではありませんね」
私たちは協議の結果、一日三回(朝・昼・夕)の定期測定と、異常を感じた時の随時測定を組み合わせることにした。
昼の測定時刻になると、フォスとサナも工房に到着した。
「私たちの測定方法も、同じようにできるでしょうか?」
フォスは測量道具を示しながら聞いた。
「私の場合、土壌振動の強さを感じ取ります。『無感覚』から『激しい振動』まで、やはり段階的に表現できそうです」
サナも同調した。
「薬草の状態も、『生育良好』から『著しい萎縮』まで、段階的に分類できます」
私たちは午後をかけて、三種類の感覚測定を統合した総合的な記録システムを構築した。石詠み反応、土壌振動、薬草活性度を同一の時刻に測定し、相互の関連性を分析できるようになった。
しかし、最初の統合測定を実施してみると、驚くべき結果が得られた。
「三つの指標が、すべて同じパターンを示しています」
私は記録表を見ながら報告した。
「朝の測定では、石詠み『軽い不安』、土壌振動『微弱な波動』、薬草活性『やや低下』」
「昼の測定では、石詠み『穏やか』、土壌振動『静寂』、薬草活性『普通』」
「そして今の夕方の測定では、石詠み『軽い不安』、土壌振動『微弱な波動』、薬草活性『やや低下』」
リーアが興味深い発見を報告した。
「パターンがありますね。朝と夕方に活動的になり、昼頃に落ち着く」
フォスも同感だった。
「土壌振動も同じリズムです。まるで何かが決まった時間に活動を開始するような規則性があります」
サナは薬草の状態を詳しく観察していた。
「薬草たちも、このリズムに合わせて反応しているようです。昼の時間帯だけ、いつもの活性度に戻ります」
この発見は重要だった。三つの異なる現象が同じ時間パターンを示すということは、共通の原因がある可能性を強く示唆している。
「自然現象でこのような規則性が生まれることはありますか?」
私の質問に、リーアが考え込んだ。
「石詠みの伝承では、天体の動きや季節の変化と連動する現象はあります。でも、こんなに短い周期での変化は聞いたことがありません」
フォスも首を振った。
「地質的な現象で、一日に二回も活性化するものは思い当たりません」
前世のシステム監視経験から、これは明らかに人工的なパターンに見えた。自然現象は通常、もっと不規則で連続的な変化を示す。このような離散的で規則的なパターンは、多くの場合、人為的な制御や周期的な処理を示していた。
「人工的なリズム、ということでしょうか」
私の推測に、住民たちは不安そうな表情を見せた。
「つまり、遠くから何かが谷に向けて信号を送っているような感じです」
リーアの表現は、私の推測と一致していた。
「でも、誰がそんなことを?」
サナの疑問はもっともだった。この地域で、そのような技術力を持つ存在は知られていない。
「それを調べるために、明日からより詳細な観測を開始しましょう」
夕陽が工房を橙色に染める中、私たちは翌日の計画を立てていた。定量化された測定システムができたことで、現象をより客観的に把握できるようになった。しかし、それと同時に、この谷を取り巻く状況がこれまで考えていたより複雑で、おそらく人為的な要因が関与していることも明らかになった。
「今日の成果は大きかったですね」
リーアが満足そうに記録表を見ていた。
「初めて、石の声を他の人にも理解してもらえる形で表現できました」
フォスも測量道具を片付けながら頷いた。
「技術と感覚を組み合わせると、こんなに多くのことがわかるんですね」
サナは薬草を慎重に包みながら付け加えた。
「明日からの観測で、きっと新しい発見があると思います」
しかし、私の心には一抹の不安があった。人工的なパターンを示す現象の背後には、必ず意図的な主体が存在する。そして、その主体の目的が何なのかは、まだ全く分からなかった。
工房を出る時、リーアが振り返って言った。
「石たちが教えてくれたことを、私たちなりに理解できるようになりましたね。でも、まだ本当の意味は分からない気がします」
「それは明日からの観測で、少しずつ明らかになっていくでしょう」
夜空を見上げると、昨夜と同じ青白い光がかすかに見えた。今度は、その光も測定対象の一つとして記録する準備ができている。技術と感覚の融合により、私たちは未知の現象に立ち向かう新しい武器を手に入れたのだ。




