ヤマハ トリシティ125
〈五月の夜人はバイクで通る哉 涙次〉
【ⅰ】
杵塚のスマホに、村川佐武からのメッセージが届いた。
「杵ちやん、ご所望のヤマハ トリシティ125、入荷したわよ!! しかも新品で水色よー」との事。
トリシティ・シリーズは、3輪スクーター。前2輪、後ろ1輪。-これは、最近バイク(原付2種、AT限定)の免許を取つた、結城輪の為に、杵塚が探してゐたもの。佐武ちやんの「ギャレエヂM」なら、特別な割引きもあつたりして、何かと好都合だ。
週末、スズキ GSX-125 ABSにタンデムして、杵塚は輪を、佐武ちやんの「ギャレエヂ」まで運んだ。
【ⅱ】
「親に内緒の事があるつて、ロマンティックですよね」と輪は云ふ。内緒、と云ふのは、免許取得の事である。親に知れたら、結城家では一大事だ。そもそも「バイクは不良の乘るもの」と云ふ家なのだ。大體、寄宿制の髙校に通つてゐて、バイクの免許を取る、なんて、普通ぢや考へられない。免許取得代金は、お年玉などを貯めた蓄へが、輪にはあつたから、後の問題は、寄宿舎の舎監の目だ。
前の舎監は、*【魔】絡みの男で、テオに脅されて、辞めた。今度の舎監は、甘いらしい。それがだうも、輪一人に甘いらしく、杵塚(その舎監、ゲイかも知れないな)と思つた。マイノリティと云ふのは、獨特の嗅覚を以てして、同好の士を探るのが得意だ。その傳かも知れない。
* 当該シリーズ第137話參照。
【ⅲ】
さて、それはさて置き、トリシティ125である。3輪なら、バイク初心者である輪にも、安全、なんぢやないかなーと云ふ、これは偏見かも知れないが、心積もりがあつて、杵塚は勝手に輪へのお薦め、として撰んだのだ。カラーリングは、輪が「可愛い」と云ひさうな、水色、と云ふのが、佐武ちやんに云つて置いた、条件なのである。
「ギャレエヂ」は自動車専門の中古ディーラーなのだが、稀に* バイクを入荷する事もある。「この入荷は畸蹟的なのよー。あたしや4輪と2輪なら扱つた事あるけど、3輪てのは初めてだわさ」
バイク購入資金までは、輪の蓄へでは足りなかつた(大體髙校生風情が、貯金あるなんて、杵塚、論外だと思つてゐた)ので、出世払ひ、大學行けばバイトも解禁になるだらう、と云ふことで、杵塚が50萬(圓)ほど立て替へた。停めて置くのも、まさか寄宿舎の庭、と云ふ譯にも行かず、また「親に内緒」なので、實家も駄目。仕方なく、杵塚の利用してゐる、駐車場に、と云ふ約束だつた。
* 当該シリーズ第41話參照。
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〈今日涼し雨のにほひを嗅ぎつゐて明日は明日よと云ふ口もあり 平手みき〉
【ⅳ】
で、改めて、メット等持参で「ギャレエヂ」に行き、トリシティをゲットした二人なのだつた。例に依り、* テオが防犯センサーを取り着けてくれたので、盗難對策もばつちりだ。これで、二人バイクを並べてツーリングしやうね、と輪が云ふのも、夢でなくなつた。たゞ、飽くまで安全運轉第一。事故つて怪我なんぞしたら、即親バレで、取り上げられてしまふのがオチ。その點は、杵塚、口を酸つぱくして、輪に云ひ含めた。
* 当該シリーズ第68話參照。
【ⅴ】
「いゝお兄さん振りぢやないの」とじろさんが云ふ。確かに... 俺は勿論ノンケなのだが、弟慾しさに輪と付き合つてゐるのかも知れん、と杵柄、自分の事ながら、畸異に思つた。孤獨を愛する人ぢやなかつたつけ、俺。
だが、輪の喜びも束の間、最初のツーリング前日に、テオのスマホに盗難センサーからの報せが... じろさんは方南町に帰つてゐる。「しやうがないなー」と、カンテラ、杵塚に同道して、駐車場まで赴いた。
泥棒は素人だつた。もたもたしてゐるところを、カンテラが捕まへて、拔き身は勿体ないと、鞘ごと傳・鉄燦を突き付けた。「まあ運が惡かつたと思へ」。警察を呼んで、事の次第を話す。泥棒(中年男)は震へ上がつてゐる。そんなに怯えるのなら、ハナからこんな事しなけりやいゝのに...
【ⅵ】
ツーリング当日、その話を訊いた輪。「大變でしたねー」。だが(ツーリング自體は、樂しく終はつた)、數日後、舎監がまた辞めた、と云ふ。寄宿舎舎監と云ふのは、そんなに入れ替わりの激しい職業ではない。杵塚が事務所に帰ると、「相談室」に來客があつた。かの、素人泥棒氏である。
のちにカンテラに訊いた話によると、それはだうやら、例の(辞めた)舎監で、私ゲイでして、と切り出したさうである。輪くんの氣が惹きたくて、あんな事をしてしまつた。これはほんのお詫びです、と、カネの包みを置いて行つたらしい。杵塚、大方のところは、讀みが当たつてゐた。
小心者なのだらう、自分の過ちが許せなくなつたのだ。-と、云ふ譯で、人や【魔】を殺める事なく、然も自分たちで氣付く間もなく、カンテラ一味、仕事を一件、片付けてゐたのだ。これは、珍しい。椿事である。
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〈風呂立てゝ涼しき夜を壽げり 涙次〉
まあ長い事やつてゐると、たまにかう云ふ妙な話も紛れ込んでくるさ、とカンテラ。輪は知る由もなく、「またツーリング、行きませうね!」と、元氣である。カンテラ一味の、悠久の時を思つたのは、一人杵塚だけであつたらうか。なんだか變なエピソオドとなつた。お仕舞ひ。