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4-2 ユーリクの弟の話



 海藻のサラダに魚介のスープ、エビが載ったリゾット。


 きみと私、そしてジャレオン。三人のまえに海産物をふんだんに使った料理が次々と運ばれてくる。


 複雑な想いを抱えてスプーンを使っている私をよそに、きみとジャレオンはにこやかに会話をしていた。内容はやや物騒だったが。


『内通者は王の愛人だった。やっぱり、国を内側から腐らせていくのは女だよ』

『傾国の美女、といいますものね。でも誑かされる殿方も悪いのではなくて?』

『女を求めるのは本能だからね。そこを突かれたらどうしようもない』

『なら、国を腐らせているのは女性ではなく殿方の本能ですわ』

『新しい林檎のそばに腐敗した林檎を置くとする。そうしてきれいな新しい林檎が腐ってしまったとき、悪いのはどっちだと思う? 腐らせたほうだろう?』


『いいえ』きみはスープを口に含んで微笑む。『林檎を隣に置いた人間ですわ』


 ジャレオンは面食らったような顔をしたあと、『あははっ、そりゃそうだ』と声をあげて笑った。


 ジャレオンの言葉に込められた悪意をきみは愛らしい微笑で受けながす。今夜のディナーはそんなことのくりかえしだった。


 その合間に『こんなにおいしいエビは初めて食べたよ』『今度、ストネルに遊びにいこうかな』と義姉の母国を褒めることも忘れない。料理はたしかに美味だったが、聞いていて私は胃が重くなるばかりだった。


 そして──メインディッシュが終わり、私たちは食堂からサロンへと移動した。


 そこで思いおもいにソファに座り、食後の珈琲を楽しんでいるとジャレオンは爆弾を投げつけたのだ。貴公子然とした優雅な笑顔で。


『ところで、にいさんたちはいつ子供を作るの?』


 私はあやうくカップを落としそうになり、きみは『まあ……』顔を赤らめた。


『少々気がはやいのではなくて?』

『そんなことないよ。リトナークの次期国王と王妃の子供なんてみんなはやく見たいに決まってる。──そうそう、お土産に子供ができやすくなるっていう薬草をつめた枕を持ってきてあげたから。今夜から使うといいよ』

『ジャレオン』


 さすがに軽薄すぎる。私がたしなめると、『なに? にいさんたちのためを思って言ってるのに』と彼は嘲るように笑う。


 きみが見た目どおりのかよわい女ではなかったからか。自分が込めた悪意に思ったように傷つかなかったからか。彼はやや露悪的になっているように見えた。


『作るならはやいほうがいいよ、でしょ? じゃないと、僕たちの(・・・・)かあさんみたいに産めなくなっちゃうかもしれないからね』

『ジャレオン!』


 言いすぎだ。私が怒鳴ると、ジャレオンは『ああ、ごめん』とかるく謝る。


『間違えちゃった。にいさんの、だったね』

『……今夜のおまえは失言が多いぞ』

『ほんとうのことを言ってるだけだよ。──ねえさん、春先に風邪ひいて一週間も寝込んだんだって? そんなに体が弱くてだいじょうぶ? 子供なんて産めるのかな』

『お気遣いありがとうございます。でも心配いりませんわ』


 ここで動揺したらジャレオンを喜ばせるだけだと思ったのだろう、にこやかにマレリーナは返す。だがジャレオンは引きさがらず次の矢を放ってきた。


『そうだね、もしねえさんが産めなくても側室に産ませればいいんだから』

『え……』

僕たちの(・・・・)とうさんみたいに、さ』


 私たちは言葉を失った。


 きみは私とジャレオンが腹違いだと知ってショックを受けて。私は、弟がこんなにもあっさりと私の妻に真実を明かしたことに傷ついて。


『にいさんもはやく側室を選びなよ。なんだったら僕が選んできてあげる。ねえさんとはべつのタイプがいい? そのほうが気分が変わっていいよね』

『ジャレオン。いい加減にしろ』

『どうして? ルネリ教も王族の男が側室を置くことは赦してる。神が赦されてるんだ、だれに恥じることも遠慮することもないじゃないか』

『私は側室など──』

『それともねえさんに気兼ねしてる? ならこうしようよ』


 私は側室など。


 そのつづきを私がはっきり口にするまえに、ジャレオンは両手を広げてきみに向きなおった。そして目を見開いて笑う。


『僕を愛人にしてよ、ねえさん』

『────』

『これでおあいこだ。女性が愛人を持つことは赦されていないけど、そんなこと黙っていればわからない。

 にいさんがほかの女と愉しんでるあいだ、僕と遊んでようよ。どう? ねえさん。いや……マレー』


 馴れ馴れしくあだ名で呼ばれ、きみは──



 ──きみは、コーヒーカップを置くとソファから立ちあがった。



『マレリーナ……』


 きみがこんな誘いを受けるはずがない。そう思っていた私は、きみがジャレオンのそばへ歩いていくのを信じられない思いで見つめた。


 目のまえに立ったきみをジャレオンは満足げに見上げる。


 ──やめろ。私はとっさに腰を浮かせたが、それよりもはやくきみはジャレオンに微笑みかけて。


 右手をあげて。

 ぱしんっ、と。


 彼の左頬を、音を立てて叩いたのだった。


 サロンの時が止まった。ジャレオンも私もぽかんときみを見る。


『あなたが愛人? とても素敵なお話ですわね』きみは慈愛の女神のような笑みを浮かべたまま言った。『私にはもったいないくらいです。どうぞ、犬にでも食わせてくださいませ』





 呆然としているジャレオンをサロンに残して、私はきみを連れて逃げるように自分の寝室へ移動した。


 きみをソファに座らせるころには、きみの表情は悄然としたものに変わっていた。自分の膝の上に置いた手のひらを暗い瞳で見下ろす。


『……叩いてしまいました』

『ああ、そうだな』

『あなたの弟を──この国の王子殿下を。大変な失礼を致しました』

『いや……』


 あんなことを言われたらきみが激昂するのは当然だ。『先に無礼を働いたのはあいつのほうだ』と私は言い、すこし迷ってからきみの隣に腰を下ろした。


 むしろ、自分がもっとはやく止めるべきだった。私が手をこまねいていたせいで妻を傷つけてしまった。そんな自戒の思いを抱えながら。


『私は……国に帰されるでしょうか』


 ルネリ教では離婚は認められていない。だが、他国からきた王太子妃が自分の息子の頬を叩いたことを父が知れば離婚も同然の処置が下されるだろう。きみは国に帰され、私たちは二度と会えなくなる。そしてべつの女性が公妾(こうしょう)となり、きみのかわりに王太子妃としての働きをすることになる。


 ──そんなこと、


『そんなことはさせない』

『え……?』

『あれはジャレオンが悪い。頬を叩かれて当然だ。きみが罰を受ける必要はない』

『ですが──』

『あいつを叩いたのは私だ』


 意味を問うようにきみは私を見る。


 私はきみの右手を取り、両手ではさみこんだ。あの場にいただれよりも傷ついたはずのきみの手を。


『幸い、さっきのことはだれも見ていなかった。だから私たちは口裏を合わせるべきだ。ジャレオンはきみに頬を叩かれたと主張するだろうが、あれは私がやったと言うんだ。それなら問題にならない』

『あなた、でも』

『きみを手放したくない』


 びっくりしたようにきみは目を見開く。


『きみと離ればなれになるのもほかの女性をそばにおくのもごめんだ。きみを国へ帰すようなこと、絶対にするものか』

『ユーリク……?』

『一緒に嘘を吐きとおしてくれ、マレリーナ』


 そしてこれからも私のそばにいてほしい。


 そんな思いを込めて見つめると、きみは恥ずかしそうに目を潤ませた。


『あなたがそんなことを言うなんて……』

『え?』

『明日は大雪ですね』


 はにかんだような笑顔を見て、私は自分がストレートに感情をぶつけてしまったことに気づいた。自分でも意識していなかったきみへの想いを。


『──ちがう。いまのは、またべつの女性と関係を築くのが面倒だからという意味で』

『はいはい、わかっていますよ』

『マレリーナ!』


 きみはくすくす笑ったあと、私の手にもう片方の自分の手を重ね、『では、私たちはこれから共犯です』と楽しそうに言う。


『罰を受けるときは夫婦一緒に──ですね』

『ああ……』


 冷え性なのだろう、きみの手はいつも冷たかったけれどこのときばかりは私の手にはさまれてあたたかくなっていた。


 私のものよりずっと小さくて薄い手。この手が弟を叩いたのかと思うと、なぜか私は愉快なような不思議な気持ちになっていた。


 きみはあのとき、ジャレオンではなくこの国の慣習を叩いてくれたのかもしれない──。


『そういえば……』


 ふと思いだしたようにきみはベッドに目をやる。

 そこにはジャレオンからの贈りものだという枕があった。薬草をつめこんだという、あれだ。


『どうしましょうか、あれ』

『……使うのは気が進まないが。薬草自体に罪はないからな』

『子供……』


 ベッドに目をやったまま、きみはぽつりとつぶやく。


『ユーリクはほしいですか? 子供が』


 跡継ぎは必要に決まっている。ばかなことを聞くな。

 以前の私ならそう答えただろう。だが、きみを知ったあとの私はもうそんなことは言えなかった。


『……きみとの子供なら。何人だってほしい』

『今夜のあなたは積極的ですね』

『変な意味じゃない』

『ええ、わかっています。……わかっていますよ』


 私も、ときみは私に身をもたせかけるようにして言った。『あなたとの子供なら……』


 そのあとの言葉をきみは口にしなかったが、同じことを思ったことがわかった。


 きみは私の手を引くようにしてベッドの横に立つ。


 そして枕を引きさくと乾燥させた薬草を宙に撒いた。小さな子供が羽毛布団の羽で遊ぶように、とても無邪気に。


『王太子殿下の子供でも、王女の子供でもなく』


 きみは笑う。なんのしがらみもない、まっさらな笑顔で。


『私たちの子供を作りましょう、あなた』


 きみがそう言ってくれたことが、父と自分の考えとの狭間で悩む私にとってどれだけ嬉しかったことか。


『……そうだな。ありがとう、マレリーナ』

『なぜお礼を?』

『なんとなく、だ』


 あの夜に私は初めてきみにふれたのだろう。

 王太子ではなく──ひとりの男として。


 私はきみの真似をして枕のなかの薬草を床に撒く。


 苦いような匂いで満ちた部屋のなかで。きみの髪の匂いは、体が溶けそうなほど甘く香っていた。

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