4 ユーリクの弟の話(Eurich)
『マレリーナと?』
『そ。よく考えてみたらちゃんと話したことなかったなって』
──にいさんの妻なら僕にとっては義姉になるのに。
そう私に言ったのはジャレオンだった。
四つ下の弟だが、容姿は私とは似ていない。銀髪と金髪。碧目と青目。いつもむっつりと黙りこんでいる私とは対照的にへらへらと薄笑いを浮かべていて、未婚の娘であれば見境なく誘いをかけるようなところがあった。
ジャレオンは騎士団長を務めている。私とマレリーナの結婚式のときは任務で遠方に行っており出席することができなかった。
『だから、その埋めあわせだよ』とジャレオンは言った。
『しばらくここにいるのか?』
『まあね。その間、義姉さんと友好を深めてもいいだろ?』
好きにしろ、と以前の私なら言ったはずだった
。
所詮、国同士の打算でやってきた妻だ。醜聞になるほどでなければ──いや、もしなったとしても──弟と仲よくしようがなにをしようがかまわない。『夫婦』など私にとってはその程度のものでしかなかった。
そのはずだったが。
なぜか私は即答できなかった。返事をためらう私にジャレオンは不思議そうな顔をし、『だめなの?』と尋ねてくる。
ああ、だめだ。
そう言いそうになった自分に私は驚いた。あわてて、『いや、そんなことは……』とつぶやく。歯切れ悪く、もごもごと。
いつにない反応を見せる私にジャレオンはきょとんとして、『僕がシュタンスに行ってる間になにかあった?』と聞いてきた。当然の質問だった。なにもないと私は答えた。
弟は私の顔をじろじろと眺めて、『まあ、いいけど』と肩をすくめた。
『今夜のディナー、僕も同席するから。よろしくね』
季節は春から夏へと変わっていた。
冬が厳しいぶん、リトナーク王国は夏でも空気がからりと乾いていて過ごしやすい。朝などは薄着では寒いと感じるほどだ。
あれからきみは風邪をひくこともなく、元気に庭の手入れをしていた。桃色のメイデン・ベルは時季を終えて今度はイエロー・スプラッシュがすくすくと背丈を伸ばしていた。夏の盛り、満開になるだろう。
『またデートをしませんか、旦那さま』
ジャレオンと話をしたあと。朝の紅茶に誘われた私が『白い小鳥の家』のサロンへ行くと、きみは悪戯っぽく微笑んでそう言ってきた。
その姿は少女そのものだ。とても王太子妃とは思えない、と陰口を叩いている連中がいることを私は知っている。冷淡で打算的なユーリク王太子とは合わないのではないかと噂しているものたちがいることも。
そんなやつらに私はほんとうのきみを見せてやりたかった。どんなふうにきみが城にいる貴族たちをまとめているか。どんなふうに他国の女王やその娘たちと交流を深めているか。傍目には優雅におしゃべりをして遊んでいるだけのように見えるだろうが、きみが関わった相手は例外なくリトナーク王国と私たち王族に好意的な感情を持つようになっている。
私も王太子として他者との交流に重きを置いているが、女性はとりわけ機嫌を取るのが難しい。だれかと親しくすればほかのだれかがやきもちを焼く。
その点、きみはとても上手くやっていた。体面とプライドだけで生きている貴族など扱いにくいことこの上なかっただろうに。
『あの黄色い花が咲いたら、か?』
『咲くのを待たずともよいのですよ。もちろん、裏庭でなくとも。私はあなたと歩ければどこでもかまいません』
『……咲くのを待とう』
『ふふ、わかりました』
おっとりと微笑まれて私は逃げるように紅茶を飲んだ。
陰口や無責任な噂を広めるものがいても、実際にきみと会ってすこし話をするところりと考えを変えた。外見はなにも知らないお嬢さま然としているが、きみは政治にも明るく、国際情勢について問われれば芯を食った返答をすることができた。時に私ですら感嘆させられたほどだ。
そんなだから、きみに悪意を抱いていたものほどきみに会うと反動で余計に好意を持つようだった。それを従僕や知り合いの貴族から聞いた私はいつももやもやするのだったが。
『そういえば……』
もやもやといえばこのときもそうだった。
『はい、なんでしょう?』きみはティーカップを置いて首を傾げる。その仕草は夫である私の目から見ても愛らしくて──、『なんでもない』と私は言おうとしていた言葉を飲みこんだ。
弟が私たちと一緒に食事をしたいと言っている。たったそれだけのことなのに。
『そうですか……?』
きみはちょっと変な顔をしてから、『そういえば、ジャレオンさまが帰られたのでしたね。一度きちんとご挨拶をさせてくださいな。あなたも久しぶりにゆっくりお話ししたいでしょう。今晩のディナーにお招きするなんてどう? 急かしら』
『…………』
『あなた?』
私は黙りこむしかなかった。
ジャレオンはエビが好物だが、我が国には海がないため海産物はすべて他国から取りよせなければならない。
ジャレオンとのディナーが決まり、彼の好物を聞きだしたきみは急いで母国から──ストネル王国は海に面している──最上級のエビをはじめ、海の幸を取りよせた。料理人から直々にメニューの相談を受けてもいた。
──どうしてそこまでするんだ?
急に決まったことだ、もとから用意されている食材で作られた料理を提供したってジャレオンは文句なんて言わなかっただろう。けれどきみは、ほぼ初対面の私の弟のために手を尽くしていた。
だから私は思わず聞いた。どうしてあいつのためにそこまでするんだ、と。
きみは答えた。──だって。
私の旦那さまの弟ですもの、と。
これはただの政略結婚。それなのに、きみと接しているうちに私のなかでなにかが変わりはじめていた。
正直に言ってわたしはジャレオンが苦手だった。性格が正反対なこともあるが、彼は父が側室に産ませた子だ。けれど母は私を産んだあとで大病を患い、もう子供は望めないだろうと言われていたから父はジャレオンを正室の子とさせた。私になにかあったときのために。
物心ついたときには私はそんな事情のすべてを知っていた。ジャレオンもおそらくそうだっただろう。
私は兄として義務的に接するだけに留め、ジャレオンは私を王太子として立てていたが腹のなかではどう思っていたか。
彼の出自は隠されているが大臣や母の侍女など知っているものは知っている。母のことを王妃として愛しているかれらからジャレオンが虐待を受けたとは考えたくないが、もしなにもされていなくても、かれらが自分のことを憎んでいることを彼は敏感に察知していただろう。
遠征が多い騎士という職務を選んだのも、なるべく私たちと顔を合わせずに済むようにという計算があったからなのかもしれない。
だから『弟』ときみが口にしたとき、私は苦い薬でも飲んだような顔になっていたはずだ。
たしかにジャレオンは私の弟だ。だが、内実は……。
母の子供ではないのに公的にはそうなっている彼を憎らしいという気持ちはある。だがほかに、ほんとうの母と引きはなされたあげく事情を知っている人間から嫌悪されている彼のことを気の毒だという気持ちもあった。
──あいつにそんなことしなくていい。
──ジャレオンもそこまでしてもらったら喜ぶだろう。ありがとう、マレリーナ。
私の胸にはまったくちがうふたつの言葉が浮かんでいて、そしてそれはどちらも私の本心だった。けっきょく、どちらも表にだすことはできなかったが。
複雑な私の心情をきみはあのときどこまで見抜いていたのだろう。きみはにっこり笑い、『私もストネルの郷土料理を食べるのは久しぶりです。楽しみね、あなた』と言った。