2-2 初めてデートをした日の話
濡れたドレスは脱いで髪も暖炉の火で乾かしたのですが、けっきょく私は風邪をひいて寝ついてしいまいました。
あの花が風に散らされてしまう。そんな夢ばかり見ていたように思います。
私が宮殿の二階にある寝室で目を覚ますと風雨はすでに去っており、窓からは黄金色の光が射しこんできていました。
黄昏時特有の、あの世界が終わるようなさびしさと神々しさをあわせもった輝きです。
その光を背中に受けるようにして、あなたはベッドの横のイスに座っていました。
なにか考えごとをしていたあなたは私が目を覚ましたことにすぐには気づきませんでしたが、私が身じろぎするとこっちに視線をやって『ああ』とつぶやきました。
『起きたか、マレリーナ』
『私……』
『風邪をひいて一日寝込んでいたんだ』
サイドテーブルには硝子のコップと空の薬包がありました。いつ飲んだのかは覚えていません。
『──あの花はどうなりましたか?』
薬包を見た途端、体がずっしりと重くなったようでした。ベッドに横たわったまま私が尋ねると、あなたは目を逸らします。それが答えでした。
そうですか、と私もあなたから視線を外しました。心より先に、慣れない作業で傷ついた手のひらがずきりと痛みました。
私たちのすべては無駄になってしまった。もう、メイデン・ベルはもどらない。
『そんなになるまでやって』
私が痛みを感じたことに気づいたようにあなたは言います。
『きみが庭仕事が好きだなんて知らなかったな』
『私もです』
『言えばいくらでも敷地内に場所を用意したのに。わざわざあんな場所でやらなくたって』
それではいけない。からからに渇いた口のなかで私はつぶやきました。あの場所じゃなければいけなかったのです、あなた……。
『医者を呼んでくる』
『……ご迷惑をおかけしました』
『まったくだ』
怒ったように言ってあなたは部屋をでていきました。ドアの開閉音は、私に気を遣ったのでしょう、静かではありましたけれど。
ひとり残された私の胸にはじわじわと喪失が忍びよってきました。
咲くはずだったメイデン・ベル。アンニカたちにも協力してもらって、せっかくつぼみまでつけたのに。
なにより、あなたに花を見せないまま彼女は逝ってしまった。
私の目にじわりと涙がにじみ、ひとつ雫となってあふれるとそれはもう止まりませんでした。
──私が守ってあげるべきだったのに!
私は顔を手のひらで覆い、声をあげて泣きました。
その翌日も私はベッドに縛りつけられていました。体よりも心が重く、とても友人やお客さまの相手ができる状態ではありませんでした。
医者に渡された薬を飲み、寝具も病になるのでしょうか、いつもより重い気がする羽毛布団に入ってうとうとしていると裏庭のほうから声が聞こえました。数人の男性の声です。
──こんな土壌では……
──日も当たらないというのに……
──むしろ、よく芽吹いたものです……
だれかがそう言ったような気がしますが空耳かもしれません。私は聞くともなしに彼らの会話を聞いていましたが、やがて気を失うように眠りました。
そして、七日後。
メイデン・ベルを弔うつもりで裏庭にでた私は、そこにたくさんの緑色の芽がでているのを見て立ちすくみます。
『これは……?』
私たちがまいた種が芽吹いたのだろうか。いや、だったらもっとはやく発芽していないとおかしい。混乱していると、アンニカが私の横まできて『あなたの旦那さまよ』と言いました。
『どういう意味?』
『学者たちを呼んで土の研究をさせたの。そのあとは土壌改良。足りない栄養を特製の肥料で補って、植物にとって最高の環境にしたってわけ』
『──ユーリクが?』
信じられない私にアンニカはうなずきます。
花になんて興味を持っていなかったあなたが、なぜ。
私の混乱はさらに深くなりましたが、もうだれかが水をやったあとできらきらと光る水滴を身にまとった新芽はとても瑞々しく、生命力にあふれていて、私は見とれずにはいられませんでした。
私たちが芽吹かせたメイデン・ベルは儚く散ってしまった。でも、そのあとに──。
『ありがとうございました』
その日もあなたのお帰りは夕方過ぎでした。ふたりだけでのディナーの席、食事がはじまるまえに私がそう言うと、あなたは『なんのことだ』と尋ねかえしてきます。
裏庭のことです、と私は言いました。
『アンニカから聞きました。あなたが学者を呼んで土を改良してくれたと』
『…………』
『メイデン・ベルの芽がたくさんでていました。咲くのが楽しみですね』
『どうでもいい』
あなたは冷たく言いましたが、どこかばつが悪そうでした。もしアンニカがばらさなければ"自分はなにもやっていない"という演技をしたことでしょう。
私はくすりと笑います。
『どうでもいいのにしてくださったのですか?』
『またあんな騒ぎを起こされたら困るだけだ』
『そういえば、あのときのお礼がまだでしたね。助けにきてくれてありがとうございました、ユーリク』
『……礼など不要だ』
声は相変わらず冷たいものでしたが、あなたの耳がかすかに赤くなっているのを私は見逃しませんでした。
『あんな花、花屋に言えば腐るほど持ってくるだろうに。理解ができないな』そのあとの言葉は照れかくしだと私にはわかってしまいましたし。
花なんて持ってこさせればいい。そう思いながらもあなたは私の気持ちを尊重して手を貸してくれたのですね。一から、きれいな花が咲くように。
『お知りになりたいですか? ユーリク』
『ちゃんとした理由があるのか?』
『あなたをデートに誘う口実がほしかったのです』
あなたは目を丸くしました。私はくすくす笑いながら、『あなたが守ってくれたあの花たちが咲いたら──』とあなたに言いました。
ふたりで、初めてのデートをしましょう。
だれに邪魔されることなく。ふたりきりで。
『……好きにしろ』
あなたの答えは相変わらず淡泊でしたが。
照れかくしだったかどうか、たしかめるまでもありませんね?