2 初めてデートをした日の話(Mallerina)
リトナーク王国の国王──あなたのおとうさまは結婚祝いとして私に小さな宮殿を贈ってくださいました。城の敷地内に建てられた、二階建ての住居です。
壁は砂糖のように白く、可愛らしいアーチを描いた木製のドアはおもちゃのように見えます。
可憐なのは外見だけではなく中身もそうで、壁と同じ色をした猫足のテーブルやイス、レースをふんだんにあしらったベッドなど、おとうさまが十六歳の義理の娘のことをどう思っているかが透けて見えるようで、私は素直に感動していいものかすこし迷ってしまったのでした。
一階の奥、北向きのサロンからは裏庭がよく見えました。花どころか雑草の一本も生えていない荒れた庭が。
ここまで気を回す余裕がなかったと言えばそれまでですが、壁を飾る絵や花瓶にまでこだわっていながら窓から見える景色は殺風景でかまわない。そんな国王陛下の考えにも私は違和感を抱きました。
少女趣味を絵に描いたようなこの建物をあなたは毛嫌いしていました。
ビスクドールが着る洋服のような、およそ実用的ではない調度品があなたには合わなかったのかと最初は思っていました。でもちがったのですね。
この建物──『白い小鳥の家』と私は名づけました──は花嫁を閉じこめておくためのものでした。夜、あなたが愛人を城へ招くときに。
──側室を愛するときは、本物の妻よりも愛情をこめて。
それがあなたのおとうさまのモットーでした。
高貴な血を引く方ならば、その血をすこしでも多く残すため愛人を持つことは当然です。ですが本妻をそっちのけにしてまでとなるといかがでしょうか。私などは眉をひそめてしまうのですが、あなたのおとうさまはそれをむしろ甲斐性と捉えているようでした。
愛人を持つこと以上に、妻を冷遇することが。
リトナーク国王の好色さは私の国まで届いておりました。国が貧していたときも支えてくれていた奥さまを塔へ追いやり、ご自身は城でだれはばかることなく夜宴を。
おとうさまはあなたにもそうするよう暗に言っていたのです。
この『白い小鳥の家』に私を閉じこめて。
あなたも妻以外の女性を愛せばいい、と……。
そのことを知っていたからあなたはこの家に寄りつかなかった。私はあなたのおとうさまからの贈りものを無下にできず、昼間はなるべくここで過ごすようにしていた。そして、あなたがどうしたらここへきてくれるか考えたのです。
答えは、花を咲かせること、でした。
宮殿の裏側は手つかずの更地でした。なので私は侍女頭と相談し、ここを一面の花畑にすることにしたのです。
春には桃色のメイデン・ベルが足元を彩って。夏には太陽が咲いているようなイエロー・スプラッシュが背丈を競って。
秋には東洋から輸入された面影桜がすこしさみしげに揺れて、冬には儚くもたくましいミセス・マリーが白い花を咲かせる。そんな花畑を。
私に会いにくる理由はいらない。
ただ、四季折々の花を見にきてくれればそれでいいと──。
『こんなこと』侍女のアンニカ夫人は土を耕しながら私に言いました。『下男にやらせる仕事ではなくて?』
私も彼女も、ほかの侍女たちもみんな農民が着るような綿のドレスに軍手をつけています。
つらかったらやめていいわ、と私は小石を拾いながら言いかえしました。
『私がやりたいだけなの。いつまでに終わらせるなんて決まってないし、ひとりでもこつこつやるだけだから。無理はしないで』
みんなは顔を見合わせ、『仕方ないわね』『マレーっておとなしそうに見えて頑固なのよね』と口々に言いながら手を動かしはじめました。みんな最初はごっこ遊びをしている子供のようでしたが、だんだん動きも堂に入ってきて、最後には真剣に土を均していました。
初めに咲いた花のこと。よく覚えています。
私たちはよくやったと思ったのですが、素人仕事だからかそれとも土壌が豊かではなかったせいか、種をまいてもなかなか芽がでてきませんでした。
そんななか咲いたのが、世界への期待で胸を膨らませている乙女のようなメイデン・ベル。
そら豆のような子葉を見つけたとき私たちは目を輝かせ、桃色のつぼみがついたときには咲くのが待ちきれずに一時間ごとに様子を見にいったりしました。
そして私は思いついたのです。この花が咲いたら、あなたを『白い小鳥の家』にお招きしよう。
広い土地に、まだつぼみが一輪。それだけを招待状にして私はあなたをこの宮殿へと呼ぶつもりだったのです。ねえ、覚えているでしょう?
私の浮かれっぷりは忙しく他国を回っているあなたにもわかったのでしたね。夜、私とあなたが一緒にディナーをとっていると『なにかいいことがあったのか?』と手を止めずにあなたは尋ねてきました。
はい、と私はあなたの顔を見て答えました。でもいまはまだ内緒です──と。
あなたは興味なさそうに『そうか』と答えました。そして上質なコールドビーフを土でも噛むように咀嚼します。
そっけない態度にも私はめげませんでした。『来週、すこしでいいのでお時間をください』と言うと、あなたは露骨に面倒くさそうな顔をしました。
『それは価値があるのか?』
『はい?』
『私の時間を割くだけの価値だ』
さすがに私は鼻白みました。でもここで引きさがれません。
『ええ、ありますとも』
あなたは黙ってナイフとフォークを動かしました。
そして、次の週……
『すごいわ、マレー! ほんとに咲いてる!』
アンニカが叫んだのを皮切りに私たちは口々に喜びの言葉を叫びました。
ハート形の花びらを広げ、あの一輪のメイデン・ベルが立派に花を咲かせたのです。
メイデン・ベルはどこのフラワーショップでも売っているような花です。でも耕したばかりの土の上で開いた小さな花は、値段もつけられないほど特別に見えました。
『やったわね……!』
私たちは抱きあって喜びました。手にできた擦り傷やマメが小さくなってきたころ、私たちの努力はようやく報われたのでした。
その日、あなたは夕方には城にもどる予定でした。
私はあなたが帰ってきたらすぐにこのことを伝えようと胸を弾ませ、夫人たちと交流しているときもあなたを待ちわびていました。
あのメイデン・ベルを見たらあなたはどんな顔をするだろう。
荒れた地面でけなげに咲いた桃色の花。
あの乙女の姿を見たら、あなたでも笑顔になるのではないか、と私は想像してひとり楽しくなっていました。
けれど午後から雲行きが怪しくなってきました。
そして四時過ぎに雨が降りだしてしまったのです。それだけならメイデン・ベルも耐えられたでしょうが、残酷にも北から強風が吹きつけはじめました。
私はサロンの窓から様子を見守っていましたが、メイデン・ベルが風に煽られて傾いでいるのを見ているうちにいてもたってもいられなくなりました。そして、アンニカが止めるのも聞かずに裏庭へと飛びだしていったのです。
メイデン・ベルのまえに両膝をついて、自分の体で風雨から守って。
『やめて、マレー!』
雨粒は大きく、石のつぶてを体に投げつけられているかのようでした。風は容赦なく私の体をなぶります。
もどってきて、とサロンからアンニカが叫んでいるのがかすかに聞こえましたが、この花が散ってしまう、それだけはいやだ、という思いでいっぱいになっている私は従うことができませんでした。
みんなでやっと咲かせた、この可憐な花。
自分の体なんていくら濡れてもいい。これだけは守りたい。
──せめて、あなたに見せるまでは。
そう思ったときでした。
『なにをやっているんだ!』
風と雨の音を裂くようにして怒鳴り声が聞こえた、と思ったら私は頭からすっぽりとなにかに包みこまれていました。
視界が暗くなって驚く私をだれかが抱きしめ、強引に立ちあがらせます。
『待って、花を守らなきゃ……!』
『そんなものどうでもいいだろう!』
ずぶ濡れになった私は、ほとんど抱えあげられるようにして宮殿へと連れもどされました。
室内に入り、自分を包みこんでいたなにかを頭からずらすとそれは男物のスプリングコートで、私を抱きしめているのはほかでもないあなたでした。
『ばかな真似を』
そう私を叱りつけるあなたも雨に濡れ、いつも隙なく整えられている銀髪は風のせいでぐちゃぐちゃになっていました。
『でも、ユーリク。花が……』
『花?』
侍女たちにタオルを持ってこさせ、暖炉に火を入れるよう指示したあとであなたは私をじろりと睨みました。
『花がなんだ。あんなもの、いくらでも持ってこさせることができるじゃないか』
私は──。
私はそれを聞いて、とっさにあなたの体を押しのけていました。あなたはぴくりと眉を動かします。
『……たしかにあなたの言うとおりです。でもあの花は、私たちが土を耕すところから始めた大切な花なのです。手に入れられる、入れられないの問題ではありません』
『くだらない』
思わず涙ぐんで言いつのった私をあなたは冷酷に一蹴しました。そして、侍女が差しだしてきたタオルをつかむと足早に正面玄関のほうへ歩いていってしまいました。
私は唇を噛みしめながらそれを見送って。
自分の体がどれだけつめたくひえているか、自覚せずにはいられませんでした。