1 我が子を天国へ送った話(Mallerina)
おはようございます、あなた。
私はもうすぐ死にます。だからそれまでに、たくさんのお話をしましょうね。
私たちに初めての子供ができたのは、私たちが結婚してから一年目の秋でしたね。
リトナーク王国の秋はとても短い。その短い秋晴れの日、私は宮廷医師から懐妊していると告げられました。私はすぐに他国へ会談に行っていたあなたに手紙を書き、その夜、あなたはその手紙片手に『白い小鳥の家』に飛びこんできたのでした。
──おめでとう。おめでとう、マレリーナ。
そう言って私を抱きしめるあなたの目に涙がにじんでいたこと、私はいまもまだはっきり憶えています。最初の冷淡だったあなたが嘘みたい。私もさしぐむ涙をぬぐいながら、よかった、とくりかえしました。
『男の子だろうか。それとも女の子かな』
王族としては王位を継げる男の子のほうが望ましいのです。それなのにあなたは『どっちでもかわいいだろうな』と、もう我が子を目のまえにしたかのように目じりを下げました。
そんなふうに浮かれるあなたを見て、ああ、私の夫があなたでよかったと私は思ったのです。
たとえ国が縁づくことが目的の婚姻だったとしても。その相手があなたでよかった、と。
『マレリーナ、寒くはないか。上着を持ってこさせよう』
『心配いりませんよ、あなた』
『いや、だめだ。もうきみひとりの体ではないのだからいままで以上に気をつけなければ。食事もきょうからより栄養のあるものにさせよう』
その翌日にはあなたは赤ん坊のための産着を用意させていて、私は苦笑してしまったのでした。それも男の子か女の子か産まれるまでわからないからといって、二種類ずつ。
結婚当初のあなたがあのときのあなたを見たら目を丸くしたでしょうね。
結婚になんの希望も抱いていなかったあなたが、赤ん坊のためにはりきる未来の自分の姿を見たら。
ふたりで名前も考えましたね。男の子だったらあなたのおじいさまからお名前をいただいて、シュバルト。女の子だったら私のおばあさまからいただいてクララ。
城ではなく『白い小鳥の家』で育てようという話もしました。あのころにはもう裏庭は植物に愛された土壌になっていましたから、自然にふれさせて、のびのびと……。
あなたのおかあさまも私が赤子を身ごもったことを喜んでくださいましたよ。あなたが置いた花束を拾いあげ、いつものように塔の部屋へ私がゆくと、なにも言っていないうちからソネリアさまは『おめでとう、お嬢さん』と私に言ったのでした。
『どなたから聞いたのですか?』
『──いや、ちがうよ。私は識っただけさ』
そう言うとソネリアさまは魔女のように笑ったのでした。そんなふうに凄みのある笑い声を立てられると"お嬢さん"はかしこまるしかありません。
『こういうとき男は腑抜けになる。お嬢さん、つよくおなり』と言われて私はたじたじになってしまいました。
私の懐妊が世に発表されるとたくさんの人々から祝福の言葉が届きました。リトナーク王国とストネル王国、そして同盟国からだけでなく緊張状態にあったルグミアン帝国のシムルカ皇帝からも。
この子は世界中から愛されて産まれてくる。そう思えることは私にとって喜びでした。もちろん──夫であるあなたが喜んでくれることが一番でしたが。
予定日が近づいたら私だけ里帰りする話もでましたが、私はあなたの故郷であるリトナーク王国であの子を産みたかった。
シュバルト? クララ? まだ名前もひとつに決まっていなかったのに。
あれは寒い日でした。
とてもとても、寒い日でした。
世界でも一、二を争う険しい山であるゴルゴーザが雪で真っ白になった日。アンニカ夫人が集めてきた情報──妊婦にいいとされている食事や軽い運動──について聞きながら城内を歩いていた私は、ふとめまいを覚えました。
『マレー!』
アンニカ夫人が叫んで私に手を伸ばす。その光景を最後に私の意識は途切れて。
目覚めると、私のおなかは平らになっていました。
最初は自分がなにを失ったのかもわかりませんでした。階段から落ちた。子供が流れた。手は尽くしたが、これ以上はなにもできず……。辛そうな老医の顔も、声を殺して泣いているアンニカ夫人の姿も目に入っていましたが、私には見えていないも同然でした。
私はめまいを覚えてふらついた。そこが運悪く階段の上だった。アンニカ夫人がとっさに手を伸ばしたけれど届かず、私は階段を転げおちていった。私は無事だったけれど、──代償は、赤子の死……。
『私の赤ん坊はどこ?』
医者から説明を受けても理解できず、私はそう尋ねました。
『私の赤ん坊はどこへ行ったのですか?』
医者もアンニカもそれには答えてくれませんでした。私はふくらんでいたはずの自分のおなかを見て、どこ、どこ、とくりかえしました。
こうして。
私は、初めて授かった赤子を失ってしまったのです。
その知らせを聞いたあなたはどれだけつらかったでしょう。あんなにも我が子の誕生を楽しみにしていたあなたです。それでもあなたは自分が傷ついているという顔は微塵も見せずに、錯乱する私を必死になだめ、時には力強く叱り、私の喪失によりそってくれました。
司祭さまは言いましたね。私たちの子供は、現世で償う罪がなかったから神の御手で天国へ召されたのだと。これはかなしむべきことではないのだと……。
それでも私は抱きたかった。
あの子を自分の両腕で抱いて。産まれてきてくれてありがとうと、たったひとりの母親として言いたかった。
のちに私はニーディアとセレナを授かりましたが、その想いが消えたことは一度もありません。あの子のかわりなどはいないのです。けれど……
あなたのおとうさまは、そんなことはご存じなかった。
子供が流れたことを知ると、あなたのおとうさまはまだベッドからでられない私を呼びつけました。まだマレリーナは回復していない。あなたはそう言って断っていたようですが、──いやな予感がしていたのですね?
そうとは知らない私は、立って動けるようになってすぐ国王陛下のもとへゆきました。義父である陛下からも慰めの言葉があると思っていた私は、顔を見るなり投げつけられた言葉に絶句しました。
──で、次はいつできる?
『次、とは』私はか細い声で応えました。『失礼ですが、私にもわかるようお願いいたします』
『わからないか。さっさとかわりの跡継ぎを産めと言っているのだ』
国王陛下の切れ長の瞳はあなたによく似ていました。でも、そこに宿る光の色はまったくちがいます。
あなたの瞳は春の湖のようで。
国王陛下の瞳は、永遠に溶けることを知らない氷山のようでした。
『だから側室を置けとユーリクにも常々言っていたんだ。産ませる女がひとりではこういった事態があったとき不足だろう。今回のことで貴女が子供を作れない体になった可能性もある。私からよく言いきかせておくが、貴女からもユーリクに進言しておくように』
『あ、……』
『まず男だ。この国の王女でいたいなら、男を産みなさい』
私の体は震えていました。
あなたのおとうさまの言葉が、あまりにもつめたすぎて。




