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** 或る男の独白・2



『白い小鳥の家』にもどるとマレリーナはベッドのなかで寝息を立てていた。そのことにほっとしている自分に気づき、そんな自分を私は嫌悪する。


 医者は私に気づくとイスから立ちあがり、『外へ』と目くばせをしてきた。私は彼とともに廊下にでる。


「マレリーナの容体は?」

「麻酔の量が前回より増えました。病巣が大きくなっていると思われます」


 私は唸る。


 マレリーナが突然倒れたのがいまから二ヵ月まえ。冬のことだ。


 すぐにこの専属の医者に診せたがマレリーナを触診した彼はその場では『なんでもありません。お疲れがでたのでしょう』と言い、鎮痛剤を飲ませただけだった。──だが、彼女が眠ったあとで私は彼に呼びだされ。


『──もって、春、です』


 苦しそうな声でそう宣告されたのだった。


 私は信じられなかった。聞き間違いかと思い、問いかえすと、医者は小さく首を横に振った。


 王妃殿下は肺をお悪くされています。この症例を私はいくつも存じておりますが、一度発症するとあとは苦痛を緩和することしか手立てがないことが特徴です。


『治らないというのか』


 ……現在の医療では。


『なぜマレリーナが。彼女はまだ二十七歳だぞ』


 健康なお若い方でも発症する事例がございます。そして……誠に申し上げにくいのですが……お年を召された方よりも、お若い方のほうが病の進行がはやく……


『もういい!』


 貴様は馘首(くび)だ。いますぐ城から立ちされ!


 かっとなって叫ぶ私を痛ましそうに医者は見ると、無言で頭を下げて部屋からでていった。ひとり残された私は頭を掻きむしり、側近を呼びつけると『ほかの医者を呼べ!』と命じたのだった。


 ──だがだれに診せても私の思いどおりの答え──『別条ございません』──が得られることはなかった。そのうち私は始めに診せた医者の診断が正しかったことを認め、マレリーナを頼む、と彼を呼びもどしたのだった。


 あれから二ヵ月。


 彼の言葉どおり病の進行ははやかった。最初はなんでもないという医者の言葉を信じていたマレリーナだったが、食事が喉を通らなくなってゆき、体に重りをつけられているように動きが重くなってゆくと自分でもなにかがおかしいと気づかざるをえなくなったのだろう。私は死ぬのですね、と口にした。


 ──私は死ぬのですね。そうでしょう、ユーリク?


 そんなことはない。私は否定したが、彼女にはそれが嘘だと見抜かれていたはずだ。


 マレリーナはかなしく微笑み、私の腕にそっとふれると、侍女のアンニカ夫人と相談して『白い小鳥の家』の寝室を二階から一階へと移させた。……階段を登れなくなってもいいようにだ。


 だが一日一日と彼女は衰弱していき。

 階段を登るどころか、もうベッドからほとんどでられない体になってしまったのだが。


 彼女はつよく、優しい女性だ。周りの人間──特に私と子供たちが心配しないように『痛い』とか『苦しい』と弱音を吐くことは一度もなかった。


 彼女の肺がどれだけの痛みを訴えているのか。医者がもちいる麻酔の量から想像するだけでも、ぞっとするほどなのに。


 そのかわりなのか数日まえから彼女は私にたいしてだけ大声をだして泣きわめくようになった。先程のようにだ。私はそれをなだめようとするが、彼女が麻酔なしで落ちついてくれることはなく、私は自身の無力さを感じずにはいられなかった。


 ──こんなにもそばにいるのに。私は、彼女をひとりで苦しめている……。


 隣の部屋にいます、と言いのこして医者は隣室の小部屋に入っていった。ほんとうはもっと言うべきことがあったようだが、私が憔悴しているのを見てやめたようだ。


 彼はなにを言おうとしたのか。

 もうマレリーナは長くない。覚悟を決めろ、と言おうとしたのかもしれない。


 私はふたたび彼女の部屋の扉を開ける。


 穏やかな寝息。これだけ聞けば、彼女は私の妻になったころとなにも変わらず健やかなのに。


「マレリーナ……」


 あんなにも愛らしく、世界から祝福された輝きを放っていた彼女。


 いまは痩せおとろえて骨のかたちがはっきりわかるようになってしまった。ふっくらしていた頬はこけ、目が落ちくぼみ、薔薇色だったくちびるは色褪せて乾いている。オレンジ色だった髪も色が抜けてほとんど白髪に近くなってしまっていた。まるで老婆が眠っているようだと思わずにいられない。


 私が見てもショックを受けるくらいだ、マレリーナ自身はどれだけ傷ついているだろう。


 若く、健康だったときの写真を飾って。捨てて。どちらも現状を信じたくないからでてくる言葉だ。


 子供たちがいまの自分を見たら傷つくにちがいない。そうマレリーナは言って一ヵ月前から子供たちと会うことをやめてしまったが……ほんとうは、自分が会いたくないからだろう。いつまでも若くてきれいな母親。その印象を子供たちには持ったままいてほしいのだ。


 その気持ちは理解できる。けれど、と私は眠っている彼女に向けて言う。


「きみはきれいだよ。マレリーナ」


 たとえ病に蝕まれてしまっていても。

 出逢ったときと変わらず、きみは美しいままだ。

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