2.Piazzale Michelangelo
人生には自分ではどうすることもできないことが降りかかる。誰かに言われなくてもこんなことしてちゃいけないことよく分かってる。でも出来ない時ってあるよね。結婚を機に彼の勤務地についていく為、仕事を辞める決意をし最後の出勤を終えた。これから幸せが待っていると思ったら、どん底の現実に直面した彩菜。本当はこんなはずじゃない。こんなことしている場合じゃないし、こんなことしてちゃいけない。どうにもこうにも現実に向き合い切れない彼女が逃げた先はイタリア。偶然の優しい出逢い・不思議な縁によって癒され、新たな一歩を踏み出す物語。
2.Piazzale Michelangelo
アパートを飛び出しちょうど一週間経った午後、フィレンツェにあるパオロの自宅に着いた。チェントロから少し外れた住宅街のマンションの最上階は広々として見晴らしがいい。
「さぁ、どうぞ。誰もいないから、遠慮しないで」
妻とは別居中で、二人の子ども達はイタリアを離れ外国暮らしで、今この家でひとり暮らしのようなものだと。メゾネットタイプの二階にあるゲストルームを使うといい、と私を招いてくれた。屋根裏部屋のような落ち着いた感じと小さな天窓があった。他の部屋よりこじんまりしていたのが返って心地いい。シングルベッドとキャビネットが置かれ、奥のドアを開けるとプライベートバーニョもついていて、来客用タオルやアメニティが清潔に並べられていた。
僕は時々仕事で家を空け、彩菜を一人にさせてしまうけど、君の好きなだけ居てくれていいよと言われ、パオロのそのひと言に甘えこの生活がスタートした。彼が初めて家を空けた日は何もする気にならず、ベッドにもぐったまま一日を過ごした。誰に会うことなく、口を開かずとも日が暮れカーテンが閉まる、カーテンを開けなくとも太陽が顔を出しカーテンの隙間からヒカリが差し込まれる。しばらくすると、呼んでもないのにひっそりと闇夜がカーテンを閉じる。時間だけが確実に過ぎていく。仕事をしていた頃の分刻みの生活、いつも時間が足りないとこぼしていたのが嘘のよう。テレビをつけるとグラマーなイタリア女性が腰をくゆらせセクシーに挑発する。けたたましい笑いが空々しい。どこから声を出せばあんなに笑えるのか見当もつかない。他人の家までのこのこやって来て、礼儀知らずどころか、無礼者だ。それでもなお身体が気怠く、心が重苦しくて身動きがとれない。何も考えたくない時に限って、頭の中は大忙し、ミキサーのボタンを押したまま、壊れてしまい収拾がつかない、ネガティブ思考だけがグルングルンと纏まらないどころか、悪循環スパイラルが高速回転する。
パオロは好きに食べてとキッチンには美味しそうな食材が保管されていた。美食の国イタリアにいるのに食欲もわかないので余計、手持ち無沙汰だ。他人の家に一人過ごす居心地の悪さ、一日の二十四時間がこんなにも長いものだったかと思い知らされる。週に二度、決まった曜日にハウスキーパーが来る。ハウスキーパーはフィリピン人女性で代金は払ってあるから、チップも何も気にしなくていいとパオロに言われていた。それでもこの時間だけは家に居たくない。気まずいという表現以上に何とも言えぬ心のざわつきがしんどくなる。こんなことして贅沢な悩み、私が日本人だから?人種問題にまで罪悪感がとめどなく広がってしまう。
彼の不在とハウスキーパーが重なった日、ミケランジェロ広場近くにある日本庭園に足を運んだ。
フィレンツェ姉妹都市京都から寄贈されたこの庭園はミケランジェロ広場の喧騒から離れ人がいなくて気に入っていた。隣にはローズガーデンもある。日本が恋しい訳じゃないけど不思議と落ち着く。和風ベンチにのんびり腰掛けると、持ってきた本を膝に置く。ここに座ると街全体が見渡せる。
ゆったり流れるアルノ川にかかるポンテ・ヴェキオ、ドゥオモのクーポラやジョットの塔、ウフィツィ美術館。その美術館で見た「プリマヴェーラ」を思い出す。言わずと知れたイタリア・ルネッサンスの巨匠サンドロ・ボッティチェリが描いた傑作だ。女神たちが踊り出したくなるような穏やかな日。明るい陽射しは森の奥深くまで差し込みあらゆるものに息吹を与える。風の神ゼフュロスが美しい花々を引き連れ、穏やかな風を運んできたことを告げる。
この絵画の修復作業が終わった時、歓声があがったそうだ。春の訪れを歓喜する女神たちの足元、修復前には黒ずみ汚れて真っ黒だった土から、色鮮やかな草木や花々が五百年の時を経て息を吹き返したからだ。この絵画の中だけで五百種類以上の異なる植物を描いたことも大きな発見となった。この作品の野原に広がる草地には、ヒナギクやアネモネ、タンポポやヒヤシンス、イチゴ、ニチニッチソなど黄色や白、ピンクや紫の小さな花が咲き乱れていれたのだ。
美しく優雅なフィレンツェ。「花の女神フローラの街」として呼ばれるようになったのも頷ける。ミケランジェロ広場から見下ろす世界は、この街のすばらしさが凝縮された定番中の定番で誰もが知っている。写真や絵葉書でも必ず登場し、見慣れていた。それでもこのリアルを眺めていると、時の流れを忘れてしまう。私自身の時が止まっているからか、本当に世界が止まってしまったかのような錯覚に陥る。今まで何度も訪れているのに、こんなにのんびりしたのは初めてだ。仕事でも観光でも訪れた時はいつも時間に追われていた。そんな思いを巡らしながらボーっと春の穏やかさに包まれ、脳みそが平和ボケした私の視界の中を何の前触れもなく、スコーンと直球で何かが突っ込んできて一瞬驚き、眠りから覚めた。
「あっ」
お互いの視線がパチンとぶつかった。
「あっ」
「こんにちは」
と、初対面じゃないどこかで見たような顔に挨拶した。
「こんにちは」
と、その相手は乗っていた自転車を止め、私の方へ近づいてきた。
「この間はどうも」
ようやく私の秒速がカチカチ音を鳴らし、記憶回路も鈍く回り始めた。
「こちらこそ」
そうだ、私をオジョウサンと呼んだ子だ。
「こんなところで何をしてるんですか?」
「いやぁ、特に何してるってことはないんだけど」
「この前は失礼しました」
「何も謝ることなんて全然ないよ。君の方こそ、何してるの?」
「僕は、今、休憩中なんっすよ」
「そうなんだ。ここで働いてるんだ」
「トラットリアの厨房なんですけど」
「そうだったんだ。イタリア料理を学びに来てるんだ」
「いや」
「ごめん、違ってた?」
「いや。今働いてるのは、トラットリアなんですけど、微妙に。えっと、学びに来たのはサッカーだったんで」
「じゃあ、厨房でバイトしてるってことか、ごめんね」
「いや、それもちょっと」
「ごめんね、何も知らずに早とちりだね」
「いやぁ、サッカーしにイタリア来たんですけど、あの、色々あって、今はトラットリアで働かせてもらってる感じなんで」
「そっかぁ」
「そうなんすよね。あのぉ…」
「あ、私、彩菜です。吉澤彩菜。よろしくね」
「彩菜さん」
「そう、君は?」
「僕は健人です。水島健人。こちらこそ」
「あの…」
二人の声がパンっと重なった。
「ねぇ、もし良かったら、立ってないでこっちに座らない?」
コックコート姿の健人は乗ってきた自転車をベンチの脇へ移動させ、私の隣に腰掛けた。
「彩菜さんは、何でここに居るんですか。観光じゃなさそうですよね」
「何でだろう」
「分からないでイタリアに居るんですか。ちょっと、大丈夫ですか」
「どうだろ」
「しっかりしてくださいよ。子どもじゃないんですから」
本気で心配されている気分になった。
「君に説教されるとは思わなかった」
「説教じゃないっすよ、ただ心配しているだけじゃないですか。初めて見かけた時も、なんか心配で声かけたんっすから。あの場所で日本人見かけることほとんどないから余計」
「ごめんなさい」
「日本で何かあったんすか。僕で良ければ、まだ時間あるんで聞きますよ」
「君は優しいね」
「いや。僕、基本的に優しくないっすよ。フィレンツェ、日本人多いじゃないですか。でも…あんまり、ほとんど日本人、誰とも交流してないっすから」
「どうして?異国の地に居るからこそ、同じ故郷の友達が必要じゃないの?」
「まぁ。色々あるんで」
「そうなんだ」
さっきから、あまり深入りしないでほしい空気を感じ、話題を反らした。初対面の人に対する礼儀というよりも、今の私が誰にも立ち入って欲しくない領域があるから、多分、いつもより敏感にそう感じたのかもしれない。
「イタリアにはどのくらい?」
「高校卒業と同時にこっち来たんで、もうすぐ五年になるのかな」
「そんなに居るんだ。長いね」
「そう言われてみれば」
「日本に戻る予定は?」
「帰らなきゃとは思ってはいるんですけど、今はまだいいかなって。彩菜さんは?」
「もうそろそろ一か月になる。わたしも早く帰国した方がいいんだよね」
「帰らないとヤバくないんすか?」
「そうなんだよね。ヤバいかも。帰らなきゃって思ってはいるんだけど、ずるずると、先延ばしにしちゃって。いけないよね」
「お金持ちなんですね。セレブってやつですか」
なぜか馬鹿にされた感じは受けず、いたって真面目で真剣な質問に聞こえた。
「あはは。そうだよね。何の用もなくイタリアに一か月も滞在できるんだもんね、そうだよね」
「そうですよ。羨ましいっすよ」
「そっかぁ、羨ましいかぁ」
「仕事は何してるんっすか」
「辞めちゃったの」
「訳ありってやつですか」
「訳ありかぁ」
「いい大人が駄目じゃないっすか。本当に大丈夫っすか」
「あはは。そうだよね。今のところは、大丈夫かな」
「時間を無駄にしていると後で後悔しますよ、って僕が言えた立場じゃないんですけどね」
苦笑交じりに健人は少し俯き顔を上げると、どこか遠くを見つめていた。その視線の先に何があるのか分からないけれど、わざと明るくたわいない話をした。
「ここからの景色ってさ、絵葉書みたいだよね」
「そうっすね。この絵葉書の中にずっと居てしまうと、ここが日常になって、日本人観光客がなんでこんなにたくさん来るのかなって疑問すら感じるんすよ。やけに急ぎ足の日本人見かけると、変な気持ちになるんですよ。確かに母国語だから、言葉自体は通じるんだけど、なんだか分かるのに分かり合えない、目には見えない分厚い壁があるみたいで、何とも言えない寂しさを感じてしまうんっすよね、僕の日本語、通じてますか?」
「言わんとしてる事は分かったような気がする。長く滞在してたら、日本人じゃなく、イタリア人的感覚になっていくのかもしれないなぁ、って。でもね、ここフィレンツェは世界でも有数の観光地よ。一生に一度はこの街にある芸術品を自分の目で実際に確かめてみたい、って思う人は日本人だけじゃないと思う。何年も長期滞在していると何かが変わっちゃうのかな。わたしにはよく分からないけど」
「まぁ、ミケランジェロのダビデは一日に何度も、もう見飽きるほど見てるんで、日常風景の一部ですよ」
「いつも見ているっていうダビデ像は、シニョリーナ広場やミケランジェロ広場にあるダビデ像のこと?あのダビデ像の彫刻はレプリカなのは知っているよね。本物も見た?」
「美術館にあるやつですよね、どれも一緒で変わらないっすよ」
「そう、アカデミア美術館にある本物のダビデ像」
「見たことないですよ。ある訳ないじゃないですか。だってあそこの前、いつも半端ない長蛇の列作って、いつ通ってもみんな長時間並んでるし。並ぶ気なんて起きないっすよ。例えレプリカだとしても、立派なダビデ像なのには変わりないっすから。一緒ですよ」
「そりゃそうかも知れないけど。この街に五年も居るのにそれは怠慢じゃないかな。ミケランジェロ・ブオナローティに対する冒涜と言っても過言じゃない。同じダビデ像かもしれないけど、本物に勝るもの無し。ここに居る間に絶対、絶対一度は見なきゃダメ。あの長蛇の列に並ぶのが嫌なのはよく分かるけど、並んで損することなんて絶対ないから。並んででも見る価値あるんだから。並んででも見て良かったって絶対思うハズ。これだけは譲れない!」
ついつい早口で捲し立て、いっきに力説してしまった。
「そこまで言われちゃいますか」
「ごめん、ごめん。ちょっと興奮しちゃった。でもさ、ウフィツィ美術館やヴェッキオ宮殿、ピッティ宮殿も行ったことなかったりする?」
「ウフィツィ美術館はずっと前に一度、入ったことあると思います」
「そっかぁ。でもさ、興味なくても、ここに居るなら本当にもったいないと思うよ」
「そうっすか?」
「そうよ。これは間違いない。忙しいのかもしれないけど、時間をつくって見に行ってほしいな」
「彩菜さんは全部見たんですか?」
「うん、大体行ったかな」
「凄いっすね」
「凄くなんかないけど、ここに居るなら是非、本物と対面してほしいと思っちゃうな。あ、そうだ。その中でもね、サンマルコ修道院は知ってる?」
「もちろん入ったことないっすけど、知ってますよ。アカデミア美術館のすぐ近くにあるやつでしょ」
「そう、そこ。サンマルコ美術館でもあるんだけど、そこのね、フラ・アンジェリコの『受胎告知』がお勧めなの。まぁ、わたしが好きなだけなんだけど、フレスコ画、壁画なんだよね、壁画だから取り外せないじゃない?だから、絶対ここじゃなきゃ見れないの。『受胎告知』は修道院の2階にあってね、その階段を一歩一歩上がって行くと、フレスコ画がだんだん現れてきて、もぉアプローチがすっごく素敵なんだから」
「そうっすか」
「興味なさそうね」
「そんなこと無いっすけど」
「フラ・アンジェリコの『受胎告知』は本当に大好きだから何度見てもいい。君に案内してあげられたらいいんだけど」
「それなら一緒に行きますよ」
「ほんとに?」
「一人で行くより、楽しそうなんで」
「それはそうかもね」
やわらかな鐘の音が遠くから、近くから響き始めた。
「あ、すいません。そろそろ行かないと。夜の仕込みの時間なんで。じゃあ」
「じゃあ、また」
健人は颯爽と自転車にまたがり、こちらに手を振りながら坂道をブレイキーもかけずスーッと走り始めるとすぐ見えなくなった。
読んでくださり、ありがとうございました。わたしが好きな国、イタリアを舞台に選んだ。わたしが生きていてもいいと気づけた街だったから。人生には自分ではどうにもならないことが、否応なく訪れる。そんな時、あまりその出来事にネガティブな意味をつけても、辛くなるのは誰でもない自分だ。いいことも悪いこともすべての出来事の意味づけは自分で決めている。そんな事に気づけたら、少しだけ生きていくのが楽になるんじゃないかな、と思った。「大丈夫、すべてはうまくいっている!」全くそう思えない日でもそう思って生きてける強さを持てたらと思って描いた作品。