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もしもあの日、一歩踏み出してしまったら

  なんだか今日の美月の様子は変だった。いつも一緒に居るときは機関銃のように間断なく言葉を発し続けるか落ち込んでいるのを隠すために八つ当たりするかの二つに一つなのに、どちらでもない。

 上機嫌そうににこやかに喋り出したと思ったら急に押し黙って熱に浮かされたような顔をしたり、こちらが視線を向けるとすぐに誤魔化すようにまた笑ったりと忙しない。

 調子が悪いのだろうか。なにかの病気なのか。だから迎えに来るように頼んだのか。

 そう心配する気持ちもあったが沈黙が気まずくて、もっと言うとなんだか気恥ずかしくてそれを悟られないようにするために話題を振ってみた。

「……あの人そんなに悪くは見えなかったけど…どうしてあんな頑なに断ったんだ?」

 どこか軟派な雰囲気はあったが悪人というか、少なくとも気の短いタイプではないように見えた。あそこまで(なじ)られて怒りもしないのは中々懐が大きいと思う。

「タイプじゃない。それにしつこすぎる。以上」

「そうですか…」

 鋭い舌鋒でばっさりと切り捨ててしまった。その様子にどこか安心する自分を認識しながらも目を逸らす。


「翼はいないの?彼女?中学三年間過ごしたなら、一人くらい女出来てもいいんじゃない?」

 美月は調子を取り戻したのか悪戯げな笑みを見せてオレにそう聞いてきた。やっぱり話題は考えた方がよかったかもしれない。そもそも女って。どうなんだその言い方。

「……」

 三年間、正確に言えば二年と半年だが、その間にそういう色っぽい話がなに一つなかったわけではない。告白めいたことは何度かされたし、オレ自身惹かれる思いをした相手もいないことはなかった。

 けれど

「知ってるだろ…無理だよ。()がいるから…」

 七年前、姿を消してしまった幼馴染み。大変なときは必ず駆けつけるなどと青臭い約束をして別れたのにオレは今彼女がどこでなにをやっているかすら分からない。それでもオレは未だにあの子のことを忘れられなかった。


 三度(みたび)沈黙が訪れた。美月の前で唯の名前を出すのは数年ぶりかもしれない。美月は彼女のことを…あまり好いてはいなかった。彼女はそれを知った上で全く気にも留めていなかったけれど。

「…ねえ、本当に行っちゃうの?」

「…まあ、多分」

 オレが唯を探すため、もう一度会うために故郷の学校に進学しようとしていることは既に母とは話していた。美月も当然知っている。

 不意に隣に美月がいないことに気づいた。数歩後ろで俯いたまま立っている。傘を差していないから全身が水浸しになっていた。

「おい、風邪引くぞ、こっち来いよ」

「……翼のことなんて覚えてないかもしれないよ。案外楽しくやってるかも。そうじゃなかったら…もう死んじゃってるかもしれない」

 オレの呼びかけには応じずに美月はその場を動かず静かな声でそう言った。

 悲観的な想像だったがそれを聞いて心が揺らぐことはなかった。オレも大体そんなところだろうと予想しているから。

「…そうかもな」

 前者の可能性は少ないとは思うがまあ唯ならそうするかもしれないという説得力はある。彼女は優しかったけれど、どこか超然としていて、子供とは思えないような冷たさを見せるときもあったから。オレを笑顔で見送ってすぐに、『飽きた』と感じて縁を切った可能性もある。

 自分としては後者だと思っている。子供とはいえど唇を交わして、好意を伝え合った間柄なのに突然縁を切ってしかも足取りも掴めないよう行方を眩ますことなど考えにくい。オレが知らない間になにか事故に巻き込まれたり、病気に冒されたりして死んでしまったという方が自然だ。


「それでも、約束したんだ」


「そうだよ、ね……」

 前髪が雨で垂れ下がって表情が分かりづらかったけれど寂しそうな顔をしているだろうとは声を聞けば想像が付く。


 直接はあまり伝えたことはないがオレだって家族として、美月のことを大切だと思っている。父が亡くなって母親が精神を病んだ時、本当に短い間だけどオレ達は二人きりで生活していたことがあった。

 大人の力なしに子供だけで生きていくのは大変だった。家が裕福だったから金銭面はどうにかなったけれど食事も掃除も買い物も全て自分たちでやらないといけないしその上で学校に行かなければいかなかったのだから。料理が得意になったのはあの経験があったからだろう。

 一日を乗り越え、疲れ果てて眠りにつく時、二人で身を寄せ合ったことをよく覚えてる。『大丈夫』そう何度もお呪いのように唱えて長い夜を乗り越えた。出来ることならずっと一緒に居たい。

 それでも、オレ達は姉弟だからいつかは離れることが決まっているのだから、それが少し早まるだけだと自分自身を納得させたし、美月もそう考えているものだと勝手に思っていた。だからオレはこの言葉を口にしなかった。

「…美月はオレに行ってほしくない?」

 どう答えると思ったのか、どう答えて欲しいのか、もしそうだと言ったらどうするつもりなのか、なにもかも分からないまま聞いてしまった。

 美月は雨で濡れた顔を上げてオレを見つめる。顔中に水が滴っているから泣いているように見えた。

「行ってほしくないよ。私は翼が好きだから」

「──────え?」

 ダンスの振り付けのように迷いのない滑らかな所作だった。美月は羽が落ちるような静かさでそっと懐まで近寄ってオレと唇を重ねた。

 濡れたシャツから透けて見える女の身体、唇の弾力ある感触、上気した肌から立ち上る甘い匂い、粘膜同士が離れるときに発される小さな音。七年前の薄れかけた思い出が、目の前で起った()()にほんの数秒で塗り替えられる音がした。

「傘もらってくね。あと、ありがとう。来てくれて嬉しかった」

 柄にもない素直な言葉を残して、儚げな笑みを見せて、美月はオレから背を向けた。オレはそれを追いかけることも出来ずただ立ち尽くして見送る。

 心臓が強く鳴り響く。熱くなった血が体中に走って体が火照るのを感じた。

 からかわれたのだろうか。けれど美月の表情は真剣そのもので嘘の色など微塵も見えなかった。いなくなってしまった()()のように心を読めるわけじゃないからそんな判断に意味はないのかもしれないけれど。


 実の姉にいきなり告白されて、キスされて、どう整理をつければいいか分からない。一番の問題は美月のしたことに不快感を微塵も感じなかったということだった。




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