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月の涙

 


 寒そうに身体を震わせる美月を抱えて家に戻った。我が家に門限はないしやましいことなどなにもないから正面から堂々と入ればよかったのだが、美月は母に泣いているところを見られたくないだろう。そう考えて二階にある美月の部屋の窓から直接入った。


「怖かった…!新田君よりアンタのイカれたパルクールの方にビビったわ」


「……悪かったな」


 確かに高所を生身で飛び回るなんてことは慣れていない人間にとっては恐怖でしかないだろうが。あんなことをやったヤツより怖いと言われると少し傷ついた。


「で、どうやって私のことを見つけたの?どこに行くかなんて教えてなかった筈だけど」


 コトの経緯を説明すると美月は目を丸く見開いて、それから大音声で笑いだした。


「あははっ!!アンタマジでその程度のことで私を探しに街中走り回ってたの!?あーおかしい笑っちゃう!!」


「…さっきまで泣いてた癖によく言うよ」


 暴力に曝されそうになった恐怖とそれから解放された安堵感のせいか美月は連れて帰る道中、ずっと声を抑えて泣いていた。今だって目を赤く腫らしている。


 


「なんであんなことしたんだよ…?タイプじゃないって言っていただろ」


「…誰かと付き合ってみれば翼のこと忘れられるかなーって。でもいきなりホテルに連れ込まれそうになるとは思ってなかったな。男子高校生の性欲を甘く見てたわ」


 ハハハと笑ってみせたが強がりなのは簡単に分かった。今も手が震えている。


 美月に過失が一切ないとは言えないが、それでも美月を泣かせて、こんな風に怖がらせたアイツに対して自分でも驚くくらいどす黒い殺意が湧いている。他人にこれほど強い敵意を持つことなんてそう多くはないからこの感情の発散の仕方が分からない。今まではどうしてきたのだったか。


 それもこれも元はと言えば全部美月のせいだ。美月が自分から新田なんかを誘わなければ、そもそもあの日美月がキスなんてしてこなければ。そうだ。出かける前に文句をしこたま言ってやろうと決めていたのだった。今がその時だと顔を向けると美月はじっと黙ったまま膝の間に顔を埋めている。


「…少しはこっちの気持ちも考えろよ、馬鹿姉貴」


 散々文句を言ってやろうと決めていたのに、いざ連れ帰ってみるとその程度の悪態しか出てこなかった。こんなに弱っているところを更に追い詰める気にはなれない。


「………」


 最初から返事には期待していなかった。慰めるためになにかしようとしたが、どんなことをすればいいか分からない。分からないわけじゃない。美月を喜ばせる言葉なら分かる。分かっているからこそ戸惑っているのだ。


 部屋を去ろうとした瞬間、ポツリと小さな呟き声が聞こえた。


「仕方ないじゃん…好き、なんだから」


 ’好き’という言葉が家族としてではないことくらいはもう分かっていた。それでも動揺を隠しきれない。


 オレと美月は姉弟だ。それはいい意味でも悪い意味でも変わらない。変わってはいけないことだ。


「でも…オレ達」


 そう諭そうとする言葉は追い詰められたような叫び声の前に搔き消された。


「家族なのにおかしいって…そんなこと分かっているよ!!だから諦めようとしたのに…翼がいつもこうやって助けに来るから……!!諦められないんでしょ…!!今日だって放っておいてくれれば私は───アナタのこと忘れられたかもしれないのに…」


「出来るわけないだろ…!!あんな顔見せられて放っておくなんて…オレだって美月のことが好きで───」


 今、なんと言ったのか。口にした自分でも信じられなくて固まった。今、越えてはいけない、後戻りのできない一線を越えてしまったような、そんな感覚があった。


 オレの言葉になにを思ったのか美月は目を潤ませ、顔を紅潮させた。大粒の涙が頬を伝って床に零れていく。不覚にもその姿をとても綺麗だと思ってしまった。


「それなら……それならさ…」


 スルリと美月は衣を脱いでいった。金縛りにあったように体が動かない。目を離すことも閉じることもできず、呼吸することさえままならなかった。


「ん…」


 とうとう一糸纏わぬ姿になってしまった。白く豊かな乳房が露になった弾みに悩ましく揺れる。頭の中で理性がドロドロと溶けていく音が聞こえる。


 艶めかしい曲線で描かれた輪郭。嫋やかなだけでなく適度に引き締まっている。幼い時の思い出よりも遥かに成熟した女の肢体だった。


 ダメだ。これ以上はダメだ。辛うじて生きていた理性はそう忠告しているのに本能の叫び声の前には無力だった。手を伸ばせ、抱き寄せろ。そしてこの女を───


 細長い指が顔を撫で、薄桜色の唇が耳元に近寄る。手遅れと知りつつも目を閉じて最後の抵抗をしたが、


「好きにさせた責任、取ってよ…」


 その縋り付くような甘い声の前には全くの無力だった。

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