アボカド
「じゃあまたねー」
先生に注意されるかされないかギリギリを攻めたヘアカラーのセミロングを巻き込みぐるぐるとマフラーを巻いた友人は、手をちょこんと上げ寒さで赤くなった指先をひらひらと左右にふる。そのとなりに佇むおかっぱの友人は制服のブレザーのポケットに両手を突っ込み口だけ動かす。
私は肩から少し下がったリュックの肩ひもを小さくジャンプして直し友人と同じように手をふり返す。2人の顔を確認してくるりと向きを変え人混みに紛れていく。夕方ちょい前のこの時間の大通りは人が多い。車がゆったりと走るのを横目にぎゅっと寄せられた歩道をリュックのキーホルダーをガチャガチャと鳴らして歩く。
歩道にぶつかる商店街の入り口。白衣をまとったオレンジ色のキャラクターが微笑みこちらを見る。腰くらいの背丈のそれは所々塗装が剥げ、細かな傷におおわれていた。
ドスという音と共に背中に衝撃を感じよろけ2歩キャラクターが近づく。反射的に振り返るが、舌打ちだけが耳に残り『なにこの子』という複数の目がこちらをチラリと見ただけだった。
溜め息を押し殺し傾いた体を起こすと薬局のショーウインドにうっすら映るリュックの肩ひもを握りしめた自分と目があった。
ひどい顔をしている。
目をそらし店内へと足を踏み入れる。
欲しいものはただ1つ。
キョロキョロと棚と棚の間を探して歩く。
あった。
しかしお目当てのコーナーには大きな紙袋を持った綺麗なお姉さんがいた。仕方ないなので化粧品コーナーをみて待つことにする。
試供品をあれこれ試していたらバッチリメイクが決まってしまった。ディスプレイに埋め込まれた鏡の自分と目が合う。
ひどい顔。
足元から一気にベタベタとした手のひらが這い上がる感覚と耳元で粘る息づかい下卑た声にヒュッと喉がなる。
いや違う。これは“今”じゃない。
大丈夫。
少し乱れた呼吸を正し、目を背ける。
あのコーナーに行かないと。
早く、行かないと。
暗くなる前に帰らないと。
焦げ茶色のローファーが硬い床材を叩く音が耳に響く。
顔を上げ棚の商品に手を伸ばす。
『ノルレボ錠』緊急避妊薬
すると右からスッと手が伸び、コトリと音を立てて1箱手前に置かれる。
ハッとして手の主を見上げると、そこには先程の大きな紙袋を持った綺麗なお姉さんがいた。
お姉さんは一瞬怪訝そうに眉を寄せるとくるりと踵を返し歩き始めた。
「あの!」
私は咄嗟に声を上げ、両手でお姉さんの腕をひいた。肩に引っ掛かった紙袋のひもがずるりと下がり手に引っ掛かる。
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キーホルダーの束を黒いリュックにぶら下げた女子高生がいつの間にか隣に立っていた。チラリと腕時計で時間を見ると、ここに来てからかなりの時間が経っていたことに気付く。私は手にした箱を棚に戻し、そっとその場を離れようとした。
が、突然その女子高生が私の腕をひき、動きを停止させた。
「“アレ”買わないんですか?」
“アレ”とは先程の棚に戻した『ノルレボ錠』のことだろうか。ふと商品にやった視線を少女に戻す。
「買わないんですか?買わないなら」
少女の力強い目が私を捕らえて離さない。
「買わないなら助けてください。」
助ける?何を?
少女の意図することがわからない。
口を開こうとしたがレジの店員が不審そうにこちらを見ていたので質問ではなく提案を口にする。
「とりあえず移動しましょう。」
私のあとを追いかけて少女が歩く。2人は化粧品コーナーに立った。スキンケア商品を探すふりをしながら少女が話し出すのを待つ。
「私、アフターピルが欲しいんです。どうしても。」
パッと目についた化粧水を手に取りマジマジと眺める。“美しい素肌”“高保湿”“美容成分配合”嬉しいワードがラベルを彩る。くるりと回し成分表を眺める。思ったよりも色々な成分が入っているらしい。よくわからないカタカナが呪文のように貼り付いている。1度棚に戻し、そのとなりの『店長おすすめ』『冬にぴったり』とポップのついた化粧水を手に取る。
「私17だから。買いたくても保護者がいないと買えなくて。」
「私に“保護者”になって欲しいの?」
こっちの化粧水も成分が色々入ってるのね。あら、こっちにもグリセリンが入ってる。グリセリンって聞いたことある気がするけど…なんだったかしら?
「いえ!…違います。」
私は手にした化粧水を棚に戻し、少女に向き直ると「じゃあどうして欲しいの」と問いかける。
少女の瞳がかすかにゆれる。ぽつぽつと口を開き言葉をこぼす。
薬についてニュースで知りスマホで調べた事、16~18は保護者がいないと買えないこと、親にはどうしても言いたくないという事、買うには証明が必要な事、その場で薬を飲まなければいけない事、何日後かにアンケートに答えなければならない事。
「で、あなたは関係の無い私に『自分』の為にリスクをおかして欲しいと?」
私の言葉に少女はうつむく。小さく丸まった肩が力無く小刻みに震える。
目をとじ少し考える。
「まあいいわ。お金は払ってね。」
少女の横を通りすぎ私は先程の棚に戻ると1箱手に取りレジ前に立つ。箱を店員の前に差し出すと店員はあからさまに眉を寄せ「店長ー!」と“staff only”と書かれた扉に声を投げた。「はーい」と言ってひょろっとした男がへらっとした笑顔を顔に張り付け出てきた。その間に店員はピッとレジを鳴らし抑揚の無い機械的な言葉で支払いを促す。私の後ろに人影が落ちる。店長と呼ばれた男はカウンターの中から「少々説明がありますのでこちらへ」と自身が出てきた扉を手のひらでさす。
私は財布を取り出し小銭を探すふりをしてから1万円をすまなそうにトレーに出す。
店員は溜め息まじりに受け取るとお釣りをトレーに並べ差し出した。私は一つ一つ丁寧に財布にしまうと、『ありが』と書かれた黄色のセロテープが貼られた箱を手にとりカウンターの中へと入る。
普段は入れないスペースを抜け扉をくぐると目の前にあるテーブルの手前のパイプ椅子をすすめられる。2つ横並びになったパイプ椅子の1つに荷物を置き、資料とペンを差し出された席につく。
男が説明を始めるなか、私はペンを手に取り坦々と嘘と本当を紙面に並べる。
「身分証を」と財布を手に取り久しぶりに保険証を手にし提示する。
男は「失礼しますねー」と言って資料と保険証を交互に見る。
「では、こちらのQRコードを読み取っていただいて、案内に沿って同意をお願いします。」
はいと返事をしコートのポケットからスマホを取り出すとかざして読み取る。画面に映し出された文字を目でなぞり指先を滑らせる。
無事に同意まで終わりスマホをテーブルに置くと、男は購入した箱を開けるように促し、説明を再開する。
「あ、水とかってもらえたりします?」
男はきょとんとしてから『あぁ』と1人で納得し、にこやかに返答する。男は席を立ち、ちょっとしたキッチンスペースに鎮座するウォーターサーバーに向かいながら、ささっと説明を終わらせ「何かわからないこととかありますか?」と聞かれる。「ない」と意思表示をし、手のひらに薬を取り出す。
さて、ここからが勝負だ。
思っていたよりも小さな1粒が手のひらを転がる。
「はいどうぞー」と言って水の入った紙コップが目の前に置かれる。
私はゆっくりと右手でコップをつかみ持ち上げる。
「店長ー!」
あのレジの店員の声が突然響く。
目の前の男はびくっと肩を強張らせ「はーい」と言って私から目を離す。
今だ。
私は左手を口に持っていきながら薬を転がし、袖口へ入れと念じながら空気を口に含み、水ですぐさま押し流す。
目の前の男と目が合う。
ばれただろうか。
「薬飲めましたね?では後日メールが届くと思うので返答お願いします。もし、体調に違和感あった場合は必ず病院で診察してもらって下さいね。」
男は扉の向こうを気にしつつ早口で伝え立ち上がる。
私は荷物をまとめて左肘にひっかけ席を立つ。
「お水ありがとうございました。」と言って扉を押し開ける男の横をすり抜け店内へと戻る。
レジではあの女子高生がレジ横の倒れた箱の小山をしゃがんで直しながら平謝りしていた。それを見た店長は「大丈夫ですか?」と少し慌てながらかけより棚を直す。
それを横目でチラリと確認したレジ店員は「次の人どーぞ」とレジをすすめる。私は少女の横を通り出口の自動ドアへ向かう。
目の前でガラスがスライドし「ありがとうございましたぁ」と気の無い声が私の背中の前で落ちる。
ドアを閉めるための微かな駆動音をかき消し「すみませんでした。」と言う言葉が耳を打つ。
私はそのまま店を出て右手側にある大通りに向かってゆっくりと歩きだした。
4歩進んだ所で左横に人の気配を感じた。
「すみませんでした。」
先程店内で聞こえた声よりも落ち着いたトーンの謝罪が耳に入る。
「電車かバスは使う?」
前を向いたままその気配に問いかける。
少女は「電車のります」と答えた。
「じゃあ駅に行きましょう。」
2人は無言で人を避けながら人工的に作られた石のタイルの上を歩く。
ゆったりとした3段の階段をのぼり改札を抜けると女子トイレへと入っていった。
化粧台の前に立ち左肘にかけた荷物をゆっくり置くと慎重に左腕を傾け、肘に当たっていた異物を転がし、袖口に控えた右の手でキャッチする。
そのまま手を少女に差し出し、指を広げた。
「具合悪くなったりしたら絶対に病院に行きなさいね。」
少女は私から目をそらさず頷くとリュックから黄色のセロテープが貼られたペットボトルを取り出しキャップをひねる。私の手から薬をつまみ、口に含み、喉をならして天然水を飲む。2/3に減ったペットボトルの口をしっかりと閉めるとリュックに押し込み財布を取り出した。
「5000でいいわ。」
少女がはっと顔をあげる。
「子供からお金もらうの気が引けちゃったのよ。でも貰わないのは変だから。ね。」
少女の瞳に眉を下げ微笑む自分が映る。
少女は「いいんですか?」と瞳を揺らす。
私が頷くと財布から5000円札を取り出し「ありがとうございます」と差し出す。
少女の手から受け取ると自身の財布に納めた。
「なんだか、かつあげしてるみたいね。変な気分。」
肩をすくめ笑うと、少女も表情をゆるめ少し笑い「すみません。」と呟いた。
リュックを背負い直し「ありがとうございました」と深々とお辞儀した彼女は駅のホームへと消えていった。
彼女の背を見送り私は財布をバックにしまう。
バックの奥に置いた大きな紙袋をそっと開き中身を確認する。
“おめでとう”と文字踊るバルーンを抱えた可愛らしいクマのぬいぐるみと目が合った。
袋をそっと閉じ、目の前の鏡で身だしなみを整えると、バックを肩にかけその後に紙袋を大切に持ち歩き始める。
妊娠した“親友”を祝うホームパーティに行くために。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
緊急避妊薬が試験的に処方箋なしに買えるようになったので、私なりに考えて文章にしてみました。
結構ぼやかして書いたので伝わるかわかりませんが…
存在を知って貰えたらなと思います。
でも、副作用のことも知って貰いたかったんですよね。文章に落としきれなかったのが悔しいです。
そして購入の流れもしっかりかけてないので…鵜呑みにしないでください。
ど田舎には試験販売してる薬局はないのです。そのうち調べることが出来たら書きかえます。