表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界を渡る吟遊詩人は怪談が専門です。  作者: 輪ニ
笑う亡霊の絵画
87/89

七、扉の向こうの亡霊

「院内画家達が使っている倉庫がある」


 白いローブの集団が、廊下を猛進している。

 その先頭は、怒りに燃えるカミール医師だ。

「おそらくカズラはそこにいるのだろう」

 他の医師達もカミールの後を追う。

 そのさらに後ろ、白い行列の最後尾には黒ずくめの吟遊詩人の姿があった。


 病院の奥まった場所にある暗い倉庫。

 その扉の前に立ち、カミールはドアを乱暴に開けた。

「おい、カズラとかいう画家はいるか」

 部屋の中には、二人の人間がいた。

 一人の男が立ち上がり、こちらにやってくる。


「随分と乱暴だな。何の用だ」


 カミールは思わずたじろいだ。

 入り口を塞ぐように立った屈強そうな男は、顔に白い仮面をかぶっていたのだ。


(なんだ、この不気味な男は)


「おや、カイエンさん。こんなところにいましたか」


 拍子抜けするほど柔和な声が、後ろから聞こえた。

 黒づくめの青年が、ひらひらと仮面の男に向かって手を振っている。

 カイエンと呼ばれた仮面の男は、驚いた様子だ。


「先生? どうしたんです? こいつら何者です?」

「ここの医者だよ。悪いけど君。ちょっと退いてくれ」

 カイエンを押し退けて、カミールは倉庫の中に入る。

 筆や絵の具、キャンバスなど、画材が雑然と置かれ、どこかかび臭い独特の匂いが渦巻いている。


「私がカズラですが……どうされましたか」


 女性が、ゆっくりと立ち上がった。

 カミールは彼女を睨みつけた。


「どうしたじゃない。わかっているんだ。お前が患者の髪を切ったことも。そして、グリジア医師をさらって監禁していた事も」


「何を言うんだ!」

 カイエンが、怒鳴るよう抗議する。

「あんたの目は節穴か? その人がそんな事やれるわけがないだろ!」

「どうせ薬でも嗅がせたに違いない。それか眠り魔法か? 何にしても、言い逃れ出来ないぞ。患者の似顔絵を描いた画家を探して、お前に辿り着いたんだ」


「確かに」

 カズラは静かに言った。


「患者さんの似顔絵を描かせてもらいました。それは間違いありません」


「そうだろう、だったら——」

「ですが、」

「カズラさん——」

「おい、連れて行け!」

 

 声が交差し、場が騒然とする。

 その時だった。


「違う……その人じゃない」


 か細い声がした。

 皆、声の方を振り向く。

 視線の先には、グリジア医師が吟遊詩人に支えられるようにして立っていた。


「グリジア、君も来たのか。休んでなきゃダメだ。いいからここは任せて——」

「違うんです」

 カミールの言葉を遮り、グリジアが声を絞り出す。

「私、亡霊を見たんです。その人ではありませんでした」

「でも、部屋だって薄暗かっただろう? 顔だって良く見えなかったんじゃないのか?」


 亡霊の落ち窪んだ目、長い髪、痩せた指……。


「それでも別人だという事ぐらいわかります。亡霊は、髪の長い、若い女性でした」


 グリジアの言葉に、カミールが、周りの医師達がたじろぐ。


「では、人違いですね」


 カズラはそう言って、()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「こんなお婆さんには、人をさらう事も、監禁する事も難しいですよ」


 カズラは、皆を見回し、悠然と微笑んだ。



   ♢   ♢   ♢



 いつか、肖像画家として成功したい。

 魂のこもった絵を描きたい。

 私の願いはそれだけだった。

 夢を追いかけ、この年齢になってしまった。

 老眼もすすんだ。

 顔を近づけないと良く見えない。

 足元もおぼつかない。


 生きるためには、やりたくない事もやらねばならない。

 院内画家の仕事は忙しく、自分の絵を描く時間が仕事で食い潰されていくようだった。

 何のために私は絵を描いているのか、見失いかけていた。

 ここでは、私はまるで透明のようだった。

 誰の目にもうつらない。誰も気に留めない。

 そんな透明の私。


「じゃあ一体、亡霊の正体は? どこにいるんだ?」


 グリジア医師が私の無実を証言し、カミール医師は狼狽している。

 倉庫内は人が溢れ、混乱を極めていた。


 その時だった。


「何の騒ぎかね」


 騒つく倉庫内に低い声がひびいた。

 病院の最高権力者——()()が現れたのだ。


 カミール医師が代表して、事情をかいつまんで説明する。

 院長は話を聞き終えると、鋭い目で部屋の奥の扉を睨んだ。

「その奥の部屋は何かね」

 しかし、誰も返事をしない。

 それはそうだろう。

 部屋の中の事を、知っているのは私だけだ。


 院長が「開けなさい」と重々しく命令した。

 私は無言で奥の部屋の扉を開けた。

 皆が、部屋の中へと足を踏み入れる。

 院長を初め、カミール医師や他の医師たち、黒ずくめの若者、グリジア医師……中に入った彼らは、次々と驚きの声をあげた。


 そこには、いくつもの『亡霊の絵』があった。

 窪んだ目、長い髪、細い指。

 痩せ細った身体に、汚れた服を身にまとい、檜皮色の髪は、手入れされずに伸ばしたままの彼女。

 落ち窪んだ目がギラギラと光っている。

 私が最近好んで描いているモチーフ——『亡霊』の絵だ。

 患者の似顔絵を描く時も、サイン代わりに小さく描き込んだ。


「……これは……この絵は……」

 部屋の中にずらりと並べられた亡霊達を見つめ、院長はよろめくように後ずさった。

「見事な腕前ですね」

 褒めてくれたのは、黒ずくめの若者だけだった。


 すると、グリジア医師がかすれた声で言った。

「私をさらったのは、この女です! ……この絵の女が私を……私の髪の毛を……」

 グリジアは一枚の絵を食い入るように見つめていた。

「この絵……この飾り……」


 その絵は、引き戸から顔を出してこちらを見つめる亡霊の絵だった。

 枯れ枝のような指が、戸にかけられ、薄く笑うようにこちらを見ている。

 戸の上部にはプレートが貼られている。

 花の形をした小さな銅板だ。


「この花の飾り……私の閉じ込められていた部屋にありました」


 周りの医師が騒ついた。

「こんな部屋、誰も見たことないぞ」

 そして皆の戸惑いを代表するかのような声が聞こえてきた。


「亡霊が絵から抜け出したんだ」


 おそらく医師のうちの誰かの声だったのだろう。

 それをきっかけにざわめきが起こる。


「夜になるとこの絵から亡霊が抜け出すんだ」

「気に入った奴の髪の毛を切るんじゃないか」

「さらわれるんだ。絵の中に連れていかれる」

 恐怖が伝染していく。


 しかし、パニックが起こる寸前の所で、低い声が皆を一喝した。

「やめないか」

 院長だった。

 心なしか、顔色が悪いようだった。


「カズラ君と言ったね。君の才能はわかった。院内画家などをやっているには惜しい腕前のようだ。描いた絵に命が宿り、絵から抜け出すとはね」

 そして、私の肩をグッと掴んだ。

「だが、もうこの絵は描かないでくれ。いいかい、私は、患者を、医師を、そしてこの病院を守らなくてはならない」


 院長の熱のこもった言葉を、医師達も黙って聞いている。


「もしその約束を守ってくれるのなら、この絵は私が全て買い取ろう。そして……どうだろう。私には芸術を愛する友人も多い。彼らに君のことを素晴らしい画家として紹介しようではないか」


 それは、私が待ち望んでいた言葉だった。

 私は院長の言葉を受け入れた。

 

 こうして、病院の亡霊騒ぎはおさまったのだ。

 真実を覆い隠したまま。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ