二、病院に現れる亡霊
これは、ある男性の話です。
彼は昔から絵が上手く、職業にこそしませんでしたが、趣味で描く事を続けていました。
彼は普段は病院に勤めていました。
ある日、同僚の男からこんな話をされます。
「お前、亡霊の話を知っているか」
「亡霊?」
「この病院、女の霊が出るんだよ」
同僚はニヤニヤと笑って言います。
「まだ見た事ないのか。白い服に長い髪。結構美人らしいぞ」
「いや、知らない」と男は肩をすくめました。
すると同僚は妙な話を持ちかけてきました。
「なあ、お前絵がうまいんだったよな。亡霊の噂をまとめてさ、絵にしてくれよ」
最初は冗談かと思いました。
しかし、同僚は本気のようです。
押し負けるようにして、男は渋々、持っていた紙に亡霊の姿とやらをスケッチしました。
「髪の毛はもっと長く」
「目は憂いを帯びた感じで」
「痩せているけど、人を惹きつけるような」
すると、他の同僚も集まってきました。
皆、亡霊の目撃者でした。
「泣いているようにも見えたな」
「白いワンピースを着ていてね、膝より下ぐらいの丈だったわ」
「こっちに手を伸ばしながら何か言ってましたよ」
「そうそう。細い声で『返して』って囁くんだよ」
描き上がったスケッチを最初に言い出した同僚に見せました。
しかし同僚から言われたのは、
「雰囲気が違う。色も塗ってくれ」
その一言だけでした。
男はむしゃくしゃとした気持ちでその絵を持って帰りました。
(なんだ、あいつは。何様なんだ)
(雰囲気が違うだと? 曖昧な言葉じゃわからないんだよ)
(色を塗れ? 贅沢言いやがって)
男は家に帰ると、絵筆をとりました。
(そうだ、どうせなら)
男は、スケッチの亡霊の顔を青色に塗りたくりました。
(適当に塗ってやれ)
調子に乗った男は、口は真っ黒に、目は真っ赤に、指を異常なほど細長く描きました。
紙の中の亡霊は、何か言いたげに指先をこちらに伸ばしています。
次の日、男は出来上がったスケッチを同僚のロッカーの扉に貼り付けました。
(あいつ、なんて言うだろう)
怒り出すだろうか、それとも、気まずくなって苦笑いでも浮かべるだろうか。
しかし、同僚の反応は意外なものでした。
「あの絵すごいな。俺が見た亡霊は、まさにあんな感じだよ」
そんな事を言うのです。
(そんなわけはないだろう。あれは俺がデタラメに塗った、適当に作った亡霊だぞ)
しばらくして、他の職員からも、亡霊の話を聞くようになりました。
「顔が真っ青なの。一目でこの世のものじゃないってわかるのよ」
「口が真っ黒で、ポッカリとあいた穴みたいなんだ」
「目が赤く充血していてね。それでこっちに手を伸ばすの」
「枯れ枝みたいな指先をこっちに伸ばして『返して、返して』って囁くらしいわ」
(どうも妙な事になった。俺の作った亡霊が実在するわけないのに)
そのうち、例の同僚が仕事をたびたび休むようになりました。
心配した男が家まで行くと、すっかりやつれた様子の同僚が何かに怯えるようにしてドアを開けました。
「亡霊が家まで追いかけてきたんだ」
同僚はそう言って震えました。
「亡霊? お前何言ってるんだ」
「お前が絵に描いただろう? あの青い亡霊だよ。真っ赤な目に、真っ黒な口。枝みたいに細長い指。あいつが『返して』って言いながら家まで来たんだ」
「何言ってるんだよ。あの亡霊の絵は、俺が適当に描いたやつだぞ。実在するわけないじゃないか」
「いるんだよ。亡霊が現れたんだ。俺の所まで来たんだ」
結局、同僚は無断欠勤を続け、病院を解雇されました。
ある日、彼の妹だという女性が、病院を訪れました。
彼が残していった荷物を引き取りにきたと言う事で、男はロッカーに放置されていた荷物を箱に詰めて渡しました。
彼の妹は、細面の顔に長い髪、涼やかな目元は憂いを帯びていて、儚げな美人でした。
彼女は受け取った箱の中をさぐり、細い指先で指輪をつまみ上げました。
「やっぱり、あった」
彼女はそう言って微笑みました。
人を惹きつける、不思議な魅力のある笑顔でした。
お辞儀をして去っていく彼女をぼんやりと見送っていると、後ろから上司が声をかけました。
「今のどちらさん?」
「あいつの妹らしいです。荷物を取りに来たって」
「そう……彼に妹なんていたかな」
そう言うと上司は男を裏まで引っ張っていき、ヒソヒソと耳打ちしました。
「結局うやむやになっちゃったけどさ。ここだけの話、彼、そうとうマズい事してたみたいよ」
「マズい事?」
「どうもねぇ、亡くなった患者さんの荷物漁って……細々した物を盗んでたらしいの」
「……え、それ本当ですか」
「何人かのご遺族から連絡があってさ。病院側も調査してたらしいんだけどね。結局わからずじまい」
その話を聞き、男は思わず病院の外へ飛び出しました。
近くを探しましたが、同僚の妹を名乗った女性の姿は見当たりません。
「ちょっと、どうしたの急に」
上司が追いかけて声をかけましたが、男の耳には入ってきませんでした。
白いワンピースを着た女性——指の細い儚げな彼女の姿を探し続けましたが、見つける事は出来ませんでした。
♢ ♢ ♢
「私の生まれ故郷では、こう言った怪しげで恐ろしい話を、『怪談』と呼びました。光があるところに影ができるように、怪談は、いつ、どんな場所でも、どんな世界でも存在します」
「……なるほど」
カミール医師は、吟遊詩人の『怪談』を聞き終え、腕を組んで唸った。
ここは、とある街の中央に鎮座する大病院だ。
彼方此方へ旅する吟遊詩人達も、ここまで大きな病院を訪れたのは初めてだった。
彼らがここを訪れたのは、ミミの解毒のためだった。
旅の途中、ミミがモンスターの毒にやられてしまい、応急処置後にここへやってきたのだ。
大事には至らなかったが、念のため一晩入院する事となった。
「病院を舞台にした怪談というのは、各地にたくさんあります」
カミールは、吟遊詩人の言葉に頷いた。
彼女はミミの主治医で、解毒に特化した白魔道士だ。
深い茶色の短髪に、意志の強そうな瞳。
他の医師たちと同じように白いローブを身にまとっている。
黒ずくめの吟遊詩人とは対照的だ。
「ただ……」
吟遊詩人は首を傾げて言った。
「髪の毛を切る亡霊というのは初めて聞きました」
吟遊詩人の言葉に、ユーリも、そしてベッドから身を起こしているミミも大きく頷く。
「そう……か」とカミールは落胆した様子だ。
話は少し前に遡る。
病室では、ミミが大騒ぎしていた。
「毒なんて大した事ないって。退院させてよ」
「いえいえ、ミミさん。甘く見てはいけませんよ」
「そうですよぉ。一日ぐらい、大人しくしてて下さいな」
吟遊詩人とユーリが二人がかりでなだめすかして、なんとかミミをベッドに座らせた時だった。
ノックと共に現れた短髪の女性……それがカミール医師だった。
彼女は「少しご相談が」と話を切り出した。
「あなた方は、各地を旅している吟遊詩人だと聞いたが……病院に現れる『亡霊』について、詳しく知らないだろうか」
カミールが、彼らにそう尋ねたのには訳があった。
今、この病院は、亡霊騒ぎで持ちきりだった。
なんでも、入院中の患者が亡霊に襲われ、髪の毛を持ち去られてしまったというのだ。