六、少年の願い
俺は東の森へ急いだ。
大人げない自分の行動に、今更だが後悔の念が湧き上がる。
どれほどその名を呼んでも、勇者が蘇りはしない。
どれほどその姿を望んでも、勇者が立ち上がる事はない。
俺が、葬り去ったのだ。
ジャスが俺の横に並び「あんたが」と言った。
「あんたが何と言おうと、どう思おうと、アレキアは勇者なんだ」
俺はその言葉に答えず、先を急ぐ。
「勇者は負けない、そうだろう?」
ジャスはなおも言葉を続ける。
「勇者は負けない、勇者は諦めない、勇者は挑み続ける、そうなんだろう!?」
(ああ……頼む……)
俺は心の中で願った。
(魔剣よ、もし願いを叶えてくれるなら、あの坊やを守ってくれ)
魔剣はただの剣だ。
勇者はただの男だ。
ならば。
願いは自分で叶えるしかない。
♢ ♢ ♢
期待と名声だけが膨れ上がっていた。
「思っていたより、普通なんだな」
勇者アレキアを実際に目の前にした人々の表情は、ひと言で言うならば「がっかり」だった。
勇者と呼ばれるから勇者になる。
魔剣と呼ばれるから魔剣になる。
アレキアは、修行を重ねた普通の男で、相棒の剣は黒いだけの普通の剣だった。
伝説の勇者でも、伝説の魔剣でもなかった。
あの日、ワイバーンの巣を駆逐するため、アレキアは幾人かの剣士と共に討伐へ向かった。
思っていたより時間がかかり、ようやく拠点にしていた村への帰路に着いた。
異変は、村に着くだいぶ手前から感じ取っていた。
魔物の叫び声。怒声。上がった煙。
狩り損ねたワイバーンが、村を襲ったのだ。
村の若い男が、血まみれになって戦っていた。
顔の左側をえぐられ、次の攻撃には耐えられない、そんな所だった。
アレキアは駆け寄り、魔物を一撃で倒した。
隠れていた他の村人たちに怪我はなかった。
「勇者様のおかげだ」と皆が言った。
しかしそうではない。
村を守ったのは、あの青年だった。
彼が命をかけて村を守ったのだ。
「一太刀でモンスターを切り伏せるなんて」と。
「さすが伝説の魔剣だ」と皆が称えた。
そうではない。違うのだ。
あの青年との戦いで、ワイバーンは消耗していた。
動きが鈍っていた。
だからこそ、倒せたのだ。
そもそも、アレキア達が、討伐に時間をかけなければ、その時に取り逃さなければ、村が襲われることもなかった。
共に戦った剣士達は「あの勇者アレキアがいるのだから」と完全に彼任せで手を抜いていた。
そのせいで時間もかかり、魔物を狩り損ねた。
(しかしそんな事、言い訳にしかならない)
事実と異なる伝説。
期待と名声の裏に潜む、勝手な失望。
勇者は逃げ出した。
背負いきれない期待から。
手に負えない名声から。
足を引っ張る伝説から。
そして辿り着いた町で、期待も名声も伝説も、全て地面の下に葬られたのだ。
真実は墓の下。
誰にもわからない。
全てを知っているのは、彼の相棒、黒の魔剣だけだった。
♢ ♢ ♢
カルミは、震える手で魔剣を構えた。
目の前のワイバーンは、襲いかかるタイミングを計っている。
少年が熱望した勇者は、今は墓の下だ。
どれほどその名を呼んでも、勇者が蘇りはしない。
どれほどその姿を望んでも、勇者が立ち上がる事はない。
ならば。
「勇者は負けない」
カルミは、声を絞り出した。
その声はかすれ、震えていた。
「勇者は負けない! 勇者は諦めない! 勇者は挑み続ける!」
腹に力を入れて、足を開き、正面を見た。
「勇者は……勇者は復活する!」
それが彼の知っている勇者だ。
英雄譚の勇者は、負けず、諦めず、挑み続け、何度でも復活する。
それこそが勇者だ。
そして、伝説の魔剣は血を吸い、願いを叶えるのだ。
「魔剣よ、願いを叶えてくれ! お前には僕の血をやろう。その代わり、勇者アレキアを復活させてくれ!」
少年は、そう言って、魔剣の剣先を自分の胸に向けた。
目をつぶり、そしてそのまま——。
「——やめときな、そんな震えた手に錆びた剣じゃ、アザができるのが関の山だ」
自分の胸を貫こうとした少年の横から、太い腕が伸びた。
がっしりと、少年の手を包むように掴んだ、大きな手。
低い声。逞しい身体。
少年は、涙に滲んだ目を開いた。
荒い息のまま、店主の男はカルミの手から、魔剣を振り解かせた。
「いいから、下がっときな」
後ろから、ジャスが追いつく。
カイエン、吟遊詩人の男も駆けつけた。
ワイバーンが咆哮を上げる。
吟遊詩人が、カルミの肩を抱き、後ろに下がらせた。
彼らを背にして守る様に、店主は魔物と対峙した。
「いくら……いくら勇者を殺したからって、あんた、ただの宿屋の親父じゃないですか。こんなモンスター、倒せるわけがないですよ」
カルミが、震えながら叫ぶ。
勇者を殺すのに、どんな卑怯な手を使ったのか。
吟遊詩人が語った物語の兄の様に、毒でも盛ったのだろう。
「違うんだよ、カルミ」
ジャスは、モンスターから目を逸らさず、少年に語りかける。
「この人は、立派な剣士なんだよ。まあ、その剣と同じく、心も身体も錆びついちまってるかもしれませんがね」
「は、言いやがる」
ジャスの言葉に、店主は顔を歪める。
「来るぞ」とカイエンが短く警告する。
金切り声と共に、ワイバーンが降下してきた。
男達はその攻撃を交わす。
店主の斧が、魔物の首を捉えた。
血があたりに飛び散った。
傍に放ってあった黒の魔剣の刀身に、魔物の血が落ちた。
「カルミさん、良く見るんです。勇者の復活を——」
吟遊詩人の男の言葉に、少年は目を見開く。
「そうさ」
そう言ったジャスの顔は何故だか笑っていた。
「あの人が、あの親父さんが、勇者アキレア本人なんだよ」
月の光の中、モンスターが倒れた。
「願いが叶ったな。勇者の復活だ」