二、不吉な合わせ鏡
「仲間の踊り子が、鏡の中に消えてしまったんだ」
あたしは街の雑踏を眺めながら、吟遊詩人の隣に座り込んだ。
「消えた仲間の名前は、ロージーって言うんだ。美人で、気弱で、優しい子だった。消えてからもう一週間かな」
「この街でいなくなったんですか?」
「そう」と、あたしはあの日の事を思い出す。
「うちの一座は、舞台に大きな鏡を並べるんだ。そうすると実際より舞台が広く見えるんだ。奥行きがあるよう観客を錯覚させるってわけ」
さっき吟遊詩人は、鏡は真実を映す道具だと言っていたけれど、あたしたち一座は、人々を惑わすために鏡を使っている。
「その中に、一つだけ使用禁止の鏡があるんだ。細工物っていうのかな。縁に二匹の蛇が掘られていて、普通の姿見より一回り大きいかな。深夜にその鏡の前で合わせ鏡をすると、鏡の中に引きずり込まれてしまう、なんて言われててさ」
「合わせ鏡、ですか」
吟遊詩人は、何を思ったのか、深く頷く。
「真夜中に合わせ鏡をすると悪魔が召喚される、といった話はいくつか聞いたことがあります」
「悪魔?おっかないね」
なんでまたそんな恐ろしい鏡を保管しておくのかわからないけど、マダム・バタフライの事だ。おおかた、処分に困るような品だったんだろう。
「あの日、朝起きたらロージーの姿がなかった。クロエの話だと、テントの寝床に入っていくのは見たらしいんだ。みんなであちこちを探した」
一座は大所帯だ。街の広場を借りて、仮設の舞台を設置し、近くにいくつものテントを立てている。
楽屋代わりや、寝床や食事処、舞台セットの倉庫代わりなど、たくさんのテントがあるが、ロージーの姿はどこにもなかった。
ただ妙なことに、あるテントに、ロージーの持ち物である手鏡が一つ、落ちていたのだ。
そのテントには、衣装やアクセサリーを保管していた。
そしてそこには、あの曰く付きの鏡もあった。
「例の曰く付きの鏡の目の前に無造作に落ちていたらしいよ。
あの不吉な鏡は、舞台で使う鏡と混ざらないように、梱包されて、荷台に積んでいたはずなんだ」
それなのに包みが解かれ、2匹の蛇の赤い瞳が、こちらを睨んでいた。
「誰かが言い出したんだ。ロージーはこの鏡で合わせ鏡をして、引きずり込まれてしまったんだって」
「あなたもそう思われますか?」
「まさか」
吟遊詩人の言葉にあたしは呆れるように笑った。
「ロージーは逃げ出したんだ。こんな仕事、もう嫌だって」
(あたしだって、出来るものなら、こんな所から抜け出したい)
「あたしはさ、いつか金持ちの男に惚れられて、愛人か、できれば夫人の座につきたいんだ。それまでの辛抱だと思っているよ。でも、ロージーは我慢出来なかったんだ」
きっとみんなそう思っている。
けれど恐ろしくて言い出さないでいる。
だから、ロージーは鏡の中に消えたなんて、馬鹿馬鹿しい話を信じたがるんだ。
「変な話、しちゃったね」
あたしは立ち上がった。
「あんた、まだこの街にいるの?」
「ええ、一週間ほど滞在予定です」
じゃあさ、とあたしはチケットを取り出す。
「もし暇だったら、夜の公演、観に来てよ」
なんとなくこれっきりというのが惜しくて、ダメ元で言ってみると、あっさり「わかりました」という答えが返ってきた。
まさか来てもらえるとは思わず、あたしは舞い上がって、いそいそとチケットを渡した。
「じゃあ、あとで」
そう言って、あたしはその場を去った。
柄にもなく浮かれていたと思う。
その時はまさか、公演の真っ最中に、今度は踊り子のクロエが姿を消すことになるとは思いもよらなかった。
彼女は、観客の目の前で、鏡の中に吸い込まれたのだ。