六、見てはいけない姿
「私は勘違いをしていたんです」
先生は、穏やかな笑みを絶やさぬまま、私を断崖まで追い詰めていく。
私は、追い込まれたその先で、身動きも取れずに固まっている。
「司祭長様、あなたが元信者を殺してまわっているのだと考えていました。けれど違った。聖女様は実在したのです。あなたの意志を組み、あなたのために動く、あなたが自分の分身だと思っている存在……」
黒髪の男は、すっと目を細めた。
「地下にあった祭壇の奥の小部屋ですが……手足を寝台に繋がれ、水を注ぎ込まれたら、普通の人間なら死んでしまいます。でも、もし、水を操る魔力を持っていたらどうでしょう」
私は、聖女様を見ることが出来ないでいる。彼女は今、どんな顔をしているのだろうか。どんな目で私を見ているのだろうか。
「あの部屋には、水を注ぎ込むための穴がありました。もし、水を操り、その穴から逆流させる力があれば、溺れずに助かります。生き延びるヒントは、壁に刻まれていたのです。穴を逆流し、登っていく水の流れーーその姿はまるで、壁に彫刻された水竜のようだったのではないでしょうか」
先生が、あの部屋の彫刻を眺めたのは、ほんの一瞬だったはずだ。にも関わらず、彼はそこまでわかってしまったのか。
「あなたの言う通り、選ばれた少女は生贄なんかではなかった。あの地下の部屋は、聖女になるための試験の部屋だったのです。死んで聖女になったのではない。生き残ったから聖女になった。そういう事ですよね」
彼の窮追の間、聖女様は何も言葉を発しない。
それが私の不安を掻き立てる。
「聖女様の姿を見てはいけない。なぜなら聖なる存在だからと建前では言う。しかし実態は、聖女はただの処刑人です。教団に害なす者を消し去るために水魔法を使う彼女は、司祭長様よりもずっと魔力が強かった。優秀な暗殺者だったことでしょう。被害者たちが『見てはいけない者を見てしまった』と言っていたのは、ターゲットを始末するために姿を見せた、聖女様の事だったのでしょう」
(違う、聖女様は聖なる存在だ。だから、見てはいけない…見たら死んでしまう)
「教団の暗部をただ一人に押しつけて、あなたを始め、他の信者たちは、みな目を塞いで、見ないふりをしている。あなたがその地位を得たのは、彼女のおかげだというのに」
その言葉に、思わず身体が小さく痙攣した。
彼は何を言うつもりなのか。
「彼女が聖女様に選ばれた事で、あなたは司祭長の座を手に入れた。あなたの指示通りに元信者を処刑してまわったのは、彼女があなたの分身だからではありませんよ。そうですよね」
男は初めて、聖女様に向かってそう問いかけた。
私は、まだ彼女の顔を見ることが出来ない。
「私は……」
聞き慣れた声が聞こえる。
彼女の声を聞くことが出来るのは私だけのはずだった。
「私の姿を見て欲しかっただけです」
か細い声が、そう呟く。
「どうしたんですか、聖女様!」
私は我慢できずに、その場で叫ぶ。
「あなたはもっと堂々としてなければなりません! あなたは選ばれた人間なのです。戒律を破る者に神罰を与える力を持っているのです。そんな男の妄言になど、付き合うことはありません!」
今まで、こんなことはなかった。
彼女が私の意志に背いて行動したことはなかった。
なぜだ。なぜ聖女様に何があったのだ。
あの男だ。
あの男が現れたせいだ。
あいつが、聖女様に何か良からぬ事を吹き込んだのだ。
「この後に及んで、あなたはまだ、彼女から目を逸らすのですね」
男の声が、突然乾き、冷気を帯びる。
私は思わず彼の顔を見た。
「私は……彼女は、私の分身で……」
「そうじゃないでしょう」
聖女様は、私の分身だ。
姿を見る事が出来ない、神の使い。
私の気持ちを全て汲み取って下さる。
私の代わりに、教団の邪魔となる者を罰して下さる。
私に都合のいい事しか言わない。
私が目を逸らしたい事を全て請け負ってくれる。
そんな便利な、私の分身。
黒い瞳が、私を射抜く。
「あなたが司祭長になれたのは、聖女様があなたの娘だからでしょう」
やめて。
見ないようにしてきたのだから。
目を逸らしてきたのだから。
黒髪の男は、乾いた笑い声をたてた。
「子どもを自分の分身だと勘違いする親というのは、どこの世界にもいるものですね」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
男の後ろに立つ、一人の少女。
彼女は、私の見たことない表情を浮かべていた。
閉じ込められていた少女が、助けに来た騎士に向けるような顔。
熱のこもった視線の先には、ミステリアスな黒髪の男。
彼を殺すはずが、逆に彼女が取り込まれてしまったのだ。
誰からも目を逸らされ続けた彼女には、彼のまっすぐと見つめてくる黒い瞳から逃れる術などなかっただろう。
男の語る言葉も、仕草も、容姿さえも。
さぞ、魅力的に映ったのだろう。
ああ。
私の知らない彼女になってしまった。
見てはいけない姿を見てしまった。
きっとこれが、全ての終わりの前兆なのだろう。
娘から目を逸らし続けてきた私は、いまさら母親の顔などするわけにもいかず、ただ、呆然とその場にへたり込むことしかできなかった。




