七、欠片のすべて
ころころと人格が切り替わる……そんなアナベル様のご様子を初めて目の当たりにすれば、誰しも驚かずにはいられないでしょう。
吟遊詩人のご一行の目前で、サニー様からレイン様に人格が切り替わった時、やはり皆様は困惑されているようでした。
にこにこと微笑んでいらした方が、突然涙を流されるのです。さぞ戸惑われたことでしょう。
それは、この王宮の頂点にお座りになる方々にとっても、同じことでございました。
医師の診察、悪魔祓い、解呪の呪文、どれも効かないと分かると、婚約は解消すべきだという声が大きくなりました。
王位継承権のあるカルセオ様の婚約者に、そのような女性はふさわしくないと判断されたのです。
カルセオ様が王位継承権を手放したのは、そういった経緯があったからでした。
王位継承権を手放せば、文句はないだろうと言ってのけたのでございます。だからこそ、カルセオ様は『王家の異端児』などと呼ばれるようになったのでした。
カルセオ様は、アナベル様の全てを愛していらっしゃいました。
人格が二人なら二人分、三人ならば三人分。本気で愛していらっしゃったのです。
だからこそ、三人と婚約するなどと嘯いていらしたのです。
拐われ、売られ、身分も家族も婚約者も、そして自分さえも失ってしまった時、アナベル様は十二歳でした。
前向きで明るい誰か。悲しみにくれながらも耐え忍ぶ誰か。全てを諦め切り捨てた誰か。
絶望の中、一人、また一人と自分ではない誰かを増やしていくことが、アナベル様の生きる術だったのでしょう。
まるで、吹雪の山小屋に閉じ込められた若者たちのように。
暗闇の中、生き抜くために増えた誰か。
この王宮の人間は、皆、アナベル様のご事情を知っております。
しかし、三人目の人格、ミスティ様の事は誰も知らず、ミスティ様が現れた際は、メイドたちが慌てふためいて報告してきました。
私も、アナベル様の人格が、二人だけではないと知った時、頭を抱えました。
今後も、どんどんと人格が増えていくのではないか。今は王宮内に留めておけるこの事が、漏れ広まるのではないか。
そうなったら、いたずらにカルセオ様の名誉が傷つけられるのは目に見えております。
だからこそ私は、アナベル様に、他の人格を消すようにお伝えしたのでした。
その話をした相手が、果たしてサニー様だったのか、それともレイン様だったのかミスティ様だったのか、私は気にしておりませんでした。
誰か一人残ればいい。まさか三人共姿を消してしまうとは、川に身投げしてしまうほどに追い詰めてしまうとは。全く考えが足りませんでした。
——どちらかを選ぶと言うことは、どちらかを捨てるということだ。
誰も選ばないことが誰も捨てないことになる。
思えばカルセオ様は、三人全員を受け止めていらっしゃいました。
「先程、宿に使いをやろうとおっしゃっていましたが」
吟遊詩人の青年が口を開きます。
「どうか、カルセオ様が直接、アナベル様をお迎えに宿にお越しになることはできないでしょうか」
「私が、か? いや、それは——」
突然の提案に、流石のカルセオ様も戸惑われたご様子です。
「私は吟遊詩人でございます。だからこそ申し上げますが、庶民の間に流れる噂というのは、馬鹿に出来ない力がございます。もし、アナベル様の元へ、カルセオ様が訪れたら——」
「アナベルの事が広まり、余計に傷付けられるかもしれんぞ。そんなことはできない!」
「いえ、そうはならないでしょう」
吟遊詩人はユーリさんに話を向けました。
「ユーリさん、想像してみてください。もし、街中の宿に王族の方が現れ、女性を迎えに来たと言ったら、巷にはどんな話が広まると思いますか?」
ユーリさんは、心得たというように頷きました。
「そんなの決まってるじゃないですか。庶民の娘に一目惚れした王子。実はその相手は、幼い頃に拐われてしまった婚約者だった——。ロマンチックな恋物語が広まるのに一晩とかかりませんよ」
「誰もがカルセオ様とアナベル様の名前を知るのです。国民人気の高まったアナベル様を王家も無視できなくなるはずです」
吟遊詩人はカルセオ様の前に進み出て跪きました。
「カルセオ様。アナベル様にもう一人、人格をプレゼントするのです。国民に愛され、婚約者に愛される、アナベル=ハイドレンジャーとしての人格を。立場や役割によって人格などいくらでも増えるものです」
メイドたちが私が取り落としたカップを片付けています。それを見つめながら、私はカルセオ様の言葉を思い出しました。
——カップが割れてしまったなら、割れた欠片ごと愛そう。
あのカップのように、バラバラに分かれてしまったアナベル様。しかし、カルセオ様はその欠片一つ取りこぼさず、大切になさる事でしょう。
「ローワン」
カルセオ様がいつものように短く私を呼びました。
「はい」
「出かける支度を」
「かしこまりました」
「お前も来るか?」
「は……」
私は顔をあげ、そして立ち上がりました。
「いえ……私は、こちらでお帰りをお待ちしております」
「そうか」
「温かいお茶を、必ずご用意いたします」
カルセオ様は、頷き、そして、仰いました。
「彼女たち、全員分のお茶を頼んだぞ」
「かしこまりした」
深々とお辞儀をした私は、部屋を出るカルセオ様の背中を見ることはできませんでした。
しかし、私にはその輝かしい背中が、決意に満ちた青い瞳が、強く結ばれた口元が、目に浮かぶようにはっきりと思い描くことが出来ます。
それは私が今まで、そのお姿を見守ってきたからでございます。
王族マルベリー家に仕えて五十五年。このローワン、これまでも、そして、これからも、カルセオ様を、そしてその婚約者の皆様を見守り続けようと、決意を固めた次第でございます。
知らない内に増えた誰か——了——
ここまでお読み下さりありがとうございます。
次の章は、聖女のお話です。
吟遊詩人の過去にも触れられたらな、と思います。
これからもどうぞよろしくお願いします。