二、一人目の婚約者
吟遊詩人の演奏——その中でも特に笛の音は、まるで魔物の泣き声のようでございました。
メイド服に身を包んだユーリさんは、笛の腕は確かでした。
心をかき乱される物悲しげな横笛の音が部屋に鳴り響くと、それに合わせるように演奏が始まりました。
黒髪の青年が奇妙な楽器の弦を弾き、ミミさんが鈴を鳴らし、仮面の男カイエンさんが筒のような物を叩く——
異国——というよりは、まるで異世界から来たかのような不思議な音色でした。
カルセオ様も、そして、その隣に座る婚約者のサニー様も、その演奏に圧倒されているご様子でした。
そして、演奏が終わると、お二人とも顔を見合わせて力強く拍手されました。
「私、このような音楽、初めて聴きました。カルセオ様は?」
「私だって初めてさ、サニー。君と共に聴けてよかったよ」
「まあ、カルセオ様。『アナベル』とお呼び頂いても結構ですのよ」
サニー様は明るく微笑んでおっしゃいました。
「私が、本物のアナベルですもの。どうか、信じて私をお選びください」
カルセオ様は、サニー様を抱き寄せ
「私は、君がどんな名前だと関係ないよ。目の前にいる君自身を愛しているのだから」
と囁かれました。
「あのー」
そう声をあげたのは、恐れを知らぬ少女ミミさんです。
「さっき、ちょっと聞きましたけど、その人が、一人目の婚約者、サニー様?」
「その通りだよ」
カルセオ様の言葉に、ミミさんは目をくるりと回し、ユーリさんは薄い笑みを浮かべました。
「婚約者って普通は一人だと思ってたんですけど。第一夫人、第二夫人、二人同時に婚約されたって事ですかぁ? 王族ってすごいですねぇ」
「男ってそういうものなの? ねぇカイエン」
「なんで俺に聞く」
「いえ、あの、違うんです」
お二人の不遜な口調に、私はハラハラし通しでしたが、サニー様は咎めることもなく、にっこり笑っておっしゃいました。
「私アナベル=ハイドレンジャーは、カルセオ=マルベリー様と、もともと幼き頃より婚約しておりました。ただ……四年前、私が十ニ歳の時、馬車で移動中に襲われ、そのまま拐かされてしまったのです」
「え、誘拐ってこと?」
驚くミミさんに、サニー様は頷き、言葉を続けます。
「その後、私は売り飛ばされた先で、下働きとして働いておりました。ハイドレンジャー家の娘だと、どんなに主張しても信じてもらえず、私はそこで、ただサニーとだけ呼ばれておりました。辛く、暗い四年間を前向きに過ごすのは大変でした。でも、長年私の行方を探していた両親、そしてカルセオ様のおかげで、私は戻って来られたのです!」
サニー様はキラキラと星が瞬いているような瞳で、カルセオ様の方を見つめました。
「四年もの間、カルセオ様への想いを胸に生きておりました。辛い時は、カルセオ様が下さった愛の詩集を思い出しながら、いつも笑顔を忘れないように心がけました。このようにまた再会できたことが、私、何よりも嬉しいんです!」
「サニー……」
カルセオ様は、立ち上がり、サニー様の手をガシっと取りました。
「大丈夫だよ。私がずっとついているから。もう何も心配いらないよ」
「あのぉ」
今度はユーリさんが、「質問です」と声を上げました。
ミミさんと言い、ユーリさんと言い、全く空気を読まない勇気に、このローワン感服いたします。
「じゃあ、なんでまだ『サニー』って呼んでいらっしゃるですか? ちゃんと『アナベル』って呼べばいいじゃないですか」
「それは——」
サニー様は困ったような笑みを浮かべながらため息をつかれました。
「——それは、アナベルを名乗るお方が、もう一人現れたからですわ」
「え? もう一人……ですか?」
思わず真顔で聞き返すユーリさんをみつめ、サニー様は頷きました。
「私がこちらに戻った時と同じ頃、『自分こそがアナベル=ハイドレンジャーだ』と主張する少女が現れたのです。彼女は、どこから聞きつけたのか、私とカルセオ様しか知らない詩を誦じてみせて……。四年も経つと、顔の印象も変わるのでしょうか、家族も、カルセオ様も私が本物だと見抜けないようでして……」
吟遊詩人のご一同は、揃ってカルセオ様に視線を注ぎました。
カルセオ様は、堂々とその無遠慮な視線を受け止めおっしゃいました。
「その通りだ! 私の婚約者候補が二人になってしまい、私にはどちらを選ぶべきかわからないんだ!」
胸を張ったカルセオ様に
「いや、何でわからないのさ」とミミさんもユーリさんも冷めたご様子です。
しかし、それを全く意に介さず、カルセオ様はおっしゃいました。
「だからね、私はどちらかと言わず、両方と結婚したらいいと、そう思っているところだ!」