七、手折られた雛菊
デイジーのむごたらしい姿を見て、ぼくはそのまま気絶してしまったらしい。
気がついた時、ぼくは自分の部屋のベッドに運ばれていた。どこか遠くの方で、怒鳴り声がしていた気がする。
起き上がると、部屋にいたカメリアが「アイビー様」と駆け寄ってくる。
「カメリア……デイジーは…彼女は……」
どうか夢であって欲しいと強く願った。
だけど、カメリアの瞳には深い悲しみがたたえられている。
そのまま、一雫、涙がこぼれ落ちるのをみて、ぼくはあの光景が夢ではなかったのだと悟った。
「そんな……どうして……」
先ほど遠くで聞こえた怒鳴り声が夢か現実か気になって、カメリアに訊ねた。
「ねえ、ひょっとして、さっき怒っていたのはカメリア?」
「ああ……ええ……申し訳ございません……」
カメリアが言いづらそうに言葉を濁す。
「その、デイジーの事をユーリに伝えたのですが……それでもあの子、笛を吹くのをやめなくて」
「え……」
ぼくは思わず絶句してしまった。
たしかにユーリは今までも、毎日のように笛を吹いていた。
でも、メイドの仕事はきちんとこなしていたし、部屋に閉じこもる事もなかった。全てを放り出して笛を吹き続けるなんて、以前のユーリでは考えられない。
しかも、死んだのは、仲の良かったデイジー……。
「そんな様子なので、思わず怒鳴り散らしてしまい……申し訳ございませんでした」
カメリアは水差しからお水を汲んで、コップをぼくに持たせてくれた。水をひと口飲んでから「他の人は?」と訊ねる。
「吟遊詩人の方々は、今日はもう遅いので、お部屋に戻られたようです。今晩はカイエンさんが、見張りをしてくださる事になりました」
たしかに、デイジーを襲った犯人が、またいつ襲ってくるかわからない。
「あ……のさ、デイジーは今、どこに……?」
ぼくの質問に、カメリアは目を伏せて答えた。
「デイジーは……その…シーツに包んで、彼女部屋に運びました……」
「ああ……こっちで埋葬してあげるのがいいよね」
この島には、教会もお墓もない。けれど、船が来るのは三日後だ。それまで、デイジーをそのままにしておくわけにもいかない。
(静かに弔ってあげなくちゃ)
見た目に似合わず強がりな彼女の事を思い浮かべると、胸に空いた喪失感に押し潰されそうになる。
それは、皆同じはずなのに。
「……ねえ、ユーリは一体どうしちゃったんだろう」
ぼくの言葉に、カメリアは身体をビクっとさせた。
そして、しばらく黙った後、小さな声を絞り出した。
「アイビー様。私、怖いんです」
「カメリア……?」
「吟遊詩人の方がお話されていた『笛吹き男』の話、覚えていらっしゃいますか?」
「ああ……」
ぼくは、コップを置いてベッドから出た。
「あの子、一心に笛を吹いていて……まるで子どもたちを連れ去った笛吹き男みたいじゃないですか。デイジーの魂も、ユーリの笛の音が連れ去ってしまったんじゃないかって……」
強く、たくましく、皆の姉のようなカメリア。その彼女が、小さな女の子みたいに怯えている。まさか彼女が、怖い話が苦手だったとは。知らない彼女の一面を見て、ぼくは思わず彼女に歩み寄る。
そして、優しく抱きしめた。
「アイビー…さま……」
背の低いぼくだと、抱きしめると言っても、お腹の辺りに抱きつくような姿になってしまう。
「あの子……心を失ってしまったんでしょうか」
「ちがう。そんなことはない。ユーリに限って、そんなことはないよ」
何の根拠もなかったけど、カメリアを慰めるためなら、どんな嘘だって許される気がした。
「ねえ、カメリア」
ぼくは彼女の引き締まった腰を抱きしめたまま、下から顔を覗き込む。
「もし怖いようだったら、今日は一緒に寝る?」
カメリアは何度もまばたきをした後、珍しく顔を真っ赤にした。
「そんな、アイビー様。私はメイドですよ」
「言わなきゃ誰にもバレないよ。ね? いいでしょ?」
ぼくは無理やりカメリアの手を引っ張ってベッドに潜り込んだ。
「もう、アイビー様。私、メイド服のままですよ」
「ごめんね。ぼく……じゃなくて、わたし、ワガママだから」
カメリアは、クスリと笑って、ぼくの顔を優しく撫でた。
「二人きりの時くらい、『ぼく』でいいですよ。アイビー様は、かっこいい男の子ですから」
カメリアは柔らかく微笑んで、ぼくの手を握った。
「寒くないですか?」
「ちょっとだけ、寒い」
「じゃあ、足を挟んであげますね」
カメリアはそう言って、自分の太ももの間に、ぼくの冷たい足を挟んだ。
「大丈夫? 冷たくて嫌じゃない?」
「ええ、気持ちいいですよ」
さっきまで気絶していたというのに、足の先が温められると、だんだんとぼくは眠くなってきた。
「おやすみ、カメリア」
「はい、おやすみなさい」
カメリアは優しく、ぼくの額にキスをした。
それが、カメリアとの最後の会話だった。