四、怯えた理由
屋根裏部屋から出ると、ジニアが「先程カメリアから聞いたのですが」と口を開く。
「ユーリですが、目を覚ました直後、何度も名前を呼んでもボーっとしたままだったそうです。まるで自分の名前を忘れてしまったかのようだったとか。階段から落ちて気を失っていたんだ、丸一日意識を取り戻さなくて心配したんだと伝え、急いでアイビー様を呼ぶためその場を離れたそうですが……まさか、あそこまで取り乱すとは……」
ジニアからそう聞いて、ぼくは考え込む。
ユーリは明らかに様子がおかしかった。錯乱状態と言ってもいい。
「ねえ、本当にユーリは足を滑らせて落ちたのかな」
その言葉だけで、ジニアはぼくの意図を察したようだった。
「誰かに突き落とされた。だからあんなに怯えた様子だった、とおっしゃりたいのですね」
ジニアは足を止め、ぼくに目線を合わせるように屈んだ。
高い位置で結った髪の毛先が、サラサラと肩にかかる。
「アイビー様。では一体、そんな事をして誰の得になるというのですか?」
(たしかにその通りだ)
「ごめん……今のは忘れて」
「いいんですよ、アイビー様。疑問を持ち仮説を立てるというのは、とても大切な事です」
そして、ちょっと考えるふりをしてこう言った。
「もしかしたら、頭を打った拍子に、別の人の魂が入っちゃったのかもしれませんね」
「もう、ジニア、ふざけないでよ」
ぼくはそう言って、ほんの少しだけ笑った。
多分、彼女なりにぼくを励まそうとしてくれたのだ。
カメリアはジニアの事を「カタブツ」と言っていたし、デイジーは「真面目ちゃん」と呼ぶ。
でも、二人きりの時に見せてくれる、人間らしいジニアの顔も、ぼくは大好きだ。
部屋に戻ると、デイジーが、真剣な顔で吟遊詩人の話を聞いていた。
ぼくに気がつくと駆け寄って来て、興奮したように話し出す。
「今、お客様から『怪談』というものを聞いていたんです! 不思議な話や不気味な話を『怪談』って言うんですって! ねーねぇ、ビー様も一緒に聞きましょう」
デイジーの明るくはしゃぐ様子に、心が少し軽くなった気がする。
「そういえば、ユーリは?」
デイジーに聞かれ、ジニアが先ほどの様子を話す。
「笛を吹いてるんですか……? 相変わらず、よくわからない子ですねぇ」
やはりデイジーも戸惑い顔だ。
「せっかくビー様が心配して見に行ったのに、失礼ですよね。ビー様、あんな子、クビにしちゃいましょうよぉ」
上目遣いにそんな事を言われ、ぼくは思わず笑ってしまった。
口ではこんな事を言っていても、誰よりもユーリの事を心配していたのは、デイジーだったのだ。
そこへ、カメリアが戻ってきた。
「どうでした?」と聞くジニアにカメリアは無言で首を振った。
「ショックを受けているんでしょうね。しばらくそっとしておきましょう」
ジニアの言葉に皆頷いた。
「すみません、お待たせしてしまって」と言って椅子に座るぼくに
「お気になさらず」と吟遊詩人は笑顔で答える。
でも、横に座るミミは退屈極まりないと言う面持ちだ。後ろで立っているカイエン(デイジーが椅子を勧めても座ってくれないらしい)は、仮面のせいで何も読み取れない。
何にしても、随分と客人を待たせてしまった。
「あのぉ、ちょっとお願いがあります」
デイジーが、手を上げながら言った。
「笛にまつわる『怪談』ってありますかぁ?」
吟遊詩人は「笛……ですか」と首を傾げる。
「あとで、ユーリに教えてあげようと思ってぇ。笛の怖い話を聞いたら、さすがに笛を吹くのをやめるんじゃないかなーって」
ぼくはデイジーに気づかれないようにこっそり笑いを噛み殺した。ようは、笛なんか置いて休んでほしいという事なんだろう。
吟遊詩人は少し考えてから
「ああ、そうですね。笛にまつわる物語が、一つありますよ」
「じゃあ、ぜひお願いします」
ぼくは身を乗り出す。
「では……」
吟遊詩人は軽く息を吸い、語り始めた。
「お話いたしましょう。『笛吹き男』の物語です」