二、やり直したい日々
メリアには幼馴染がいた。
アリストロという名の彼は、一つ年上で、メリアにとっては『憧れの人』だった。
「ケンドー先生のレポートって本当に大変だよね」
メリアは、休み時間になるたびに一学年上のアリストロの教室へ行き、毎日のように話しかけていた。
「またやり直しだよ。前に出されたレポートもまだ通ってないから、このままじゃどんどん溜まっていっちゃう」
メリアが学園に入学したのも、彼を追っての事だった。
彼と同じ学園に通い、彼の隣に並ぶ事が、メリアの夢だったのだ。
何度か告白しようとした事はあった。
アリストロを目の前にすると、一番伝えたい言葉は出てこなくなってしまう。
いつも、雑談をするだけで終わってしまうのだ。
それでもいいと思っていた。
アリストロと一緒にいられるその時間が、メリアには大切だった。
ユカという名の少女が転入してくるまでは。
ユカは、アリストロと同じクラスに転入してきた少女だ。
なんでも、事故にあって記憶を失い、自分の事や家族の事、常識的なことまで全て忘れてしまったらしい。
悲劇のヒロインの名にふさわしい彼女の周りには、次第にたくさんの生徒が集まるようになった。
初めは、記憶喪失の彼女に手を差し伸べようとする善意から。
次第にそれは、優しく可憐な彼女への好意へと変わった。
可愛らしく、清純で、どこかおっちょこちょいの彼女をみんなが慕うようになった。
アリストロも例外ではない。
魔術訓練の授業中に、魔術が暴走したアリストロをユカが救ったのをきっかけに、二人は急速に仲を深めていった。
アリストロとユカが親しげに二人きりで話しているのを、メリアは何も目撃した。
一番大切なものを奪われ、彼女はひどく傷ついた。
(やらないで後悔するより、やって後悔しよう)
メリアは、ギリギリと歯軋りしながら二人を見ているだけではなく、行動すべきだと考えた。
アリストロの元に足繁く通うのをやめなかったし、二人の間に割って入ったり、ユカに直接文句を言ったこともあった。
しかし、メリアが何かすればするほど、アリストロの心はどんどんと離れて行った。
肝心な時に、一番伝えたい言葉は、伝えられなかった。
(もう一度、戻りたい)
メリアは日々、そう願うようになった。
全てリセットして、初めからやり直したい。
ユカの登場、アリストロの気持ち、学園の生徒の皆。
全部リセットしてしまいたい。
そう強く願った結果、秘薬を手に入れるチャンスに恵まれた。
学園に訪れた商人から『半人半妖の血』だとかいう小瓶を買ったのだ。
商人はこの辺りでは珍しい黒髪を束ねており、その姿がなんとなしに神秘性を強めていた。
「これを飲めば、やり直すことができます」
その言葉は、メリアにとって悪魔の誘惑だった。
悪魔は彼女に囁いた。
「この世界はゲームなんです。どうせなら楽しんだもん勝ちだと思いませんか? つらいバッドエンドを漫然と受け入れるのか、それとも何度もリセットしてハッピーエンドを掴み取るのか。決めるのは、あなたなんです」
(決めるのは、私……。もう、これを使うしかない)
彼女はそれを一気に飲み干した。
その日を境に、彼女はこの牢獄に閉じ込められることになった。
♢ ♢ ♢
「それからずっと、繰り返しの日々に閉じ込められているんです」
吟遊詩人たちが今いるのは談話室だ。
そこでなら、という事で、メリアから今までの話を聞く事を許されたのだ。
オレガノが入口に立ってこちらをじっと見ている。
「時間がループしている……と言えば伝わりますか?寝て起きると時間が戻っているんです。まるで誰かにリセットされているみたいに、同じ事の繰り返しなんです」
メリアと向かい合うように、吟遊詩人の男とミミが並んで座り、カイエンはその脇に立っている。
(先生は何を考えているんだか)
ミミはカイエンに目配せをした。
カイエンが、渋々と言った様子で口を開く。
「あんた、あまり悲壮感がないんだな」
「え?」
聞き返したメリアに、ミミも言葉を重ねる。
「なんかさ、随分明るいな〜と思って。どうして?」
メリアは、軽く頷き、そして言った。
「たぶん、私、ユカみたいになろうとしているんです。彼女みたいに明るく、彼女みたいに可愛く、彼女みたいに人気者に」
メリアは自分の両手をぎゅっと、握りしめた。
「あの子みたいな人間になれば、彼も振り向いてくれるんじゃないかなって」
(アリストロが振り向いてくれたら、リセットしなくても大丈夫になったら、前に進めるかもしれない)
「先程、私の事を『外の世界の方』と呼びましたが、それはどうしてでしょうか」
吟遊詩人の問いかけに、メリアは両手をパタパタとさせた。
「あ……ごめんなさい。毎日同じ事の繰り返しの中で、あなた達の登場ってイレギュラーだったんです。外の世界から来た救世主みたいで、思わず。今まで、そんな事ってなかったから」
メリアの言葉に吟遊詩人は「なるほど」と頷いた。
「先程、『半人半妖の血』を商人から買ったとおっしゃいましたね」
「ええ、どこまで本当かわかりませんが」
「私の故郷にも、半人半妖の怪談は、たくさんあるのですが……」
と吟遊詩人が答えている所に
「あの、そろそろ」とオレガノが声をかけた。
「ああ。そろそろ体育館へ移動しないといけませんね」
吟遊詩人は、メリアの方を向き、にこりと笑いかけた。
「ちょうど良いので、今日の話はあなた向きの話にしましょう」
「私向きの話……ですか?」
「ええ。半人半妖……私の故郷で、上半身が人間で、下半身が魚の魔物を『人魚』と呼びました」
「ニンギョ……ですか」
「ええ」
吟遊詩人の男は立ち上がり、メリアに向かって優しく微笑んだ。
「今日お話するのは、『人魚の肉』についてです」