四、潰された顔
それは町の道端で。
酒場の片隅で。
屋台の店先で。
ヒソヒソと、あたりを憚るように、広まっていった。
ヒタヒタと、静かに着実に、広がっていった。
目配せをし合い、耳をすまして、口を寄せ合い、人々はその話題に熱狂した。
「なあ、あんた聞いたか」
「ああ、アスターの話しだろう」
「アスター? 殺されたあの?」
「そのアスターの死体だがな、ここだけの話、顔が潰されていたらしいんだ」
「顔が潰されていた?」
「それでな、路地で見つかったのはアスターの死体じゃなかったなんていう話があるんだよ」
「じゃあ、誰なんだ?」
「カイエンだよ。傭兵のカイエン」
「俺はカイエンがアスターを殺したって聞いたぞ」
「逆なんだよ逆。アスターがカイエンを殺してその顔を潰したんだ」
「なんでまたそんなことを」
「お前まだ見てないのか?」
「何を?」
「仮面の男だよ。町のあちこちに現れている」
「気味の悪い仮面をつけていてさ。白い顔につりあがった目が描かれているんだ。モンスターみたいな耳もついている」
「カイエンは赤髪だろう? あの仮面の男は、アスターと同じ暗い茶髪をしていたらしいぜ」
「その仮面の男がどうしたんだ?」
「おい、お前ひょっとして吟遊詩人の『怪談』を聞いてないのか」
「いや、知らないね。なんだ? 『カイダン』って」
「それならこれから聞きに行こうぜ『楽奏亭』に来ているらしい」
「ああ、その方が話が早い」
「俺もそこで聞いた話なんだ」
そうして、人々は『楽奏亭』に押し寄せた。
皆、目をギラギラとさせていた。
それは、真相に乗り遅れたくないという焦りか。
誰が悪いのか白黒つけるべきだという正義感か。
懲悪を理由に痛めつける獲物を探す嗜虐心か。
舞台に黒づくめの男が現れ
——ベェェェン……
と、弦を弾くと、人々は気圧されたように皆口をつぐんだ。
「私の生まれ故郷では、怪しげで恐ろしい話を『怪談』と呼びました。光があるところに影ができるように、怪談は、いつ、どんな場所でも、どんな世界でも存在します」
——ベェェェン……
シャン、シャンシャン——
男の弾く弦に応えるように、少女が鈴を鳴らした。
雰囲気にのまれ、観客は静まり返っている。
「皆さまお望みの、この話をしましょう。『剥がれない仮面』」
♢ ♢ ♢
ある剣士の話です。
仲間から、曰く付きの仮面を手渡されました。
神獣の仮面です。
それを被ると、神獣の力が手に入ると言われていました。
彼は力を欲していたので、試しにその仮面をつけてみたのです。
するとどうでしょう。
仮面を被った剣士は、誰よりも速く、何よりも強く、モンスターに飛びかかり、薙ぎ倒し、軽やかに長剣を振り回しました。
彼は神獣の力を得たのです。
しかし、その仮面には術がかかっていました。
どんなに力を込めても、仮面が外れないのです。
そのうち、剣士は仮面に操られるようになりました。
仮面は、より強いものとの戦いを望みました。
そして、あろうことか仲間までも手にかけようとしたのです。
仲間は彼を恐れました。
そして仮面に操られた彼の元へ、傭兵を差し向けました。
剣士を殺すよう依頼したのです。
傭兵と対面した時、彼の心には深い憎しみが生まれました。
——なぜお前には顔がある。
仮面に顔を奪われた彼は、傭兵の顔が憎くて憎くてたまりませんでした。
その殺意は、仮面に操られたからではなく、剣士自身から湧き上がるものでした。
彼は素早く傭兵の背後にまわり、脇腹に深く剣を突き立てたのです。
傭兵が戻らないことを心配し、探しに来た仲間が、血まみれの死体をみつけました。
それが傭兵だったのか、それとも剣士の彼だったのか、仲間にはわかりませんでした。
死体は、顔を剥がれていたのです。
その時、背後に気配を感じました。
振り返って仲間が見たのは、返り血を浴びた、仮面の男でした。
それが、仲間が見た最後の景色でした。
それ以降、仮面をつけた男が町に現れるようになりました。
捕まると、顔を奪われるそうです。
——顔を返せ。俺の顔を返せ。
そう言って、顔を剥ぐと言われています。