七、鏡越しの野心
事件から二週間がたち、当主の部屋にリリーを招いた。
部屋は片付けられ、私好みの調度品が運び込まれている。
私がここまで来られたのは、全てリリーのおかげだ。
ダリアお姉様が屋敷を出て行った日に思いを馳せる。
馬車に乗り込み、お別れの挨拶をすませた後、お姉様はこんな事を言っていた。
「あの日……ローズマリーの背中を押そうとした瞬間に、あの子『なぜ』って呟いたの」
ルーカス義兄様の腕にもたれながら、まるで幼い少女のようになってしまったダリアお姉様。
「あの子、私のことなんて少しも信用していなかった。それなのに、突き飛ばされて『なぜ』なんて言うかしら」
お姉様はぼんやりと私を見つめた。
「どうしてそんなこと言ったのか考えていたの。それで、思い出したの。あの子、こう言っていたのよ」
「なぜ、ここにリリーがって」
私はそっとお姉様の手を取った。
「あの日リリーは私と共におりました」
「そうよね。あなたの大切なリリーですもの。庭にいるわけがないわよね」
ダリアお姉様の表情をじっと観察したが、おそらく他意はなさそうだった。
何も気がついていないはずだ。
私の大切なリリー。
お母様から頂いた大切なお人形。
あの日、深夜に呼び出されたローズマリーお姉様は、もちろんダリアお姉様のことを警戒していた。
何かされるのではないかと疑い、身構えていた。
しかし、池のほとりの植え込みの影にリリーを見つけたその瞬間、ローズマリーお姉様は驚いたはずだ。
——なぜここに、アイリスがいつも抱いている人形があるのだろう。
それで咄嗟に『なぜ』という言葉が出たのだ。
ローズマリーお姉様はリリーに気を取られ、背後に注意を向けなかった。
結果、ダリアお姉様に突き落とされ、命を落とすことになった。
私はあの日、リリーと共に全て見ていた。
池のほとりで、植え込みに隠れ、一部始終を見届けた。
(リリーといることで、皆が私を侮ってくれる)
人は皆、リリーを抱く私に憐れむような視線を向けてくる。
幼いまま時が止まってしまった、純粋な三女。
母親を亡くしたショックで、小さな子どものように人形など抱いているのだろう。
この子ならば、人を騙すようなことはしないだろう。
皆を油断させるために、リリーの力は必要だった。
亡くなった母親からもらった人形を、片時も手離さない哀れな三女。お優しいアイリスお嬢様。
お父様、屋敷の使用人たち、二人のお姉様、ルーカス義兄様。
皆、私をそのように見ていたはずだ。
リリーが、私を守っていてくれたのだ。
現に、ダリアお姉様とローズマリーお姉様は、私には目もくれず、お互い潰し合った。
どちらでも良かった。
池に突き落とされるのは、ローズマリーお姉様でも、ダリアお姉様でも構わなかった。
どちらが本物でどちらが偽者か、私には関係がない。
どちらでも、生き残った方となり代われば良いのだから。
当主になるのは私だ。
ダリアお姉様が幼い頃から受けてきた教育が『当主になるための教育』ならば、ローズマリーお姉様、そして私が受けてきたのは『当主になり代わる教育』だ。
もし、当主に何かあった場合、代わりにその座につき、家門を守っていく。
本来は、家門を存続させるため、何かあった時の『スペア』のための教育だったのだろう。
しかし、その厳しい教育は、私たちの野心を育てた。
いつか取って代わってみせる。
虎視眈々と鏡越しに機会を伺う、そうやって生きてきた。
吟遊詩人の男に「噂を流すことなど簡単だ」と言ったのは、私の経験によるものだ。
ローズマリーお姉様の寝室からルーカス義兄様が出てきたという噂を流させたのは、私だ。
二人の確執を生み出す必要があった。
ローズマリーお姉様は吟遊詩人を利用して、ダリアお姉様を貶めようとしていた。
私も同じ事をしようとしたのだ。
ダリアお姉様が生き残れば、ダリアお姉様を。
ローズマリーお姉様が生き残れば、ローズマリーお姉様を。
姉たちの争いを嘆く妹として、犯人を告発をする。
そして、私が当主に迎えられるのだ。
ローズマリーお姉様の死が事故だと、本当に皆思っていたのか。
誰がどこまで知っているのか、確認する必要があった。
私の野心など、とうに周知のことなのではないか、そんな考えが浮かんでは消え、また浮かんでは消えた。
リリーだけが、私の味方だった。
これで私は全てを叶えた。
深い孤独と共に。
「私はここから出られない」
思わず呟く。
あの吟遊詩人は「ここから出られない」というダリアお姉様の言葉を、悲しい言葉だと評した。
そんな言葉で済むものではない。
まるで異世界を渡り歩いているような、自由な彼には、この閉塞感がわからないだろう。
ここから出られない。
私は鏡のどちら側にいるのだろう。
本物なのか、偽者なのか。
取って代わったのだろうか。
それとも取って代わられたのだろうか。
急に吟遊詩人の男に会いたくなった。
けれど、もう会うことは叶わないだろう。
彼はまるで異世界の人間のように不思議で不気味でーーそうまるで『怪談』のような男だった。
彼の語った物語、鏡に飲み込まれたという少女は、閉じ込められたのだろうか。それとも自由になったのだろうか。
どこか別の国の彼女。
私たちは鏡に映ったお互いのように、向かい合っているのに、永遠に触れ合うこともできない。
この部屋にあったお母様の肖像画は大広間に移した。
代わりに鏡を運び込ませた。縁に蛇が彫刻されている物だ。
その鏡の前に、リリーを抱いたまま立った。
「ここから出られないでしょう。私が取って代わったのだから」
鏡の中の私がそう唱える。
腕の中のリリーは、優しく笑っていた。
偽者と入れ代わる鏡——了——
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次章は、追放傭兵のお話です。
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