五、本物の当主
「お入りなさい。アイリス=チェスター」
ダリアお姉様の声に、扉の横にいたメイドたちは、はっと息を呑んだ。
一様に心配そうな視線をこちらに向ける。
「私たちは中に入る事を許されておりませんので……」
私の後ろに控えていたメイド長は、そう言って膝を折った。
「何かございましたら、すぐにお申し付けください、アイリスお嬢様」
力になりますよ、そう言われているような気がした。
彼女たち使用人は私に同情的だ。
そしてお父様も。
お父様に『真相』を打ち明けた際、随分と動揺していらした。
葬儀の手筈に追われる中で聞いた、思いもよらぬ告発に、信じ難いという苦悩半分、真実なのだという確信半分。
お父様をそこまで信じさせることができたなら、まずまずの成功と言って良いはずだ。
そしてその後、お父様とダリアお姉様の話し合いの場が設けられ、チェスター家の今後が決定付けられた。
閉ざされていた扉が開けられる。
中に一歩、また一歩と進む。
物が割れ、飛び散り、散乱している。
部屋の奥の壁には、幕が半分かかっていて見えづらいが、大きな金縁の額がかかっている。
あれが、ローズマリーお姉様の言っていた、噂の大鏡だろうか。
「来たわね」
思いの外、張りのある声だった。
「待っていましたよ。アイリス」
そこには、喪服に身を包み、背筋を伸ばし、若さと、威厳を兼ね備えた当主——ダリアお姉様がいた。
「お父様のお考えでは」
ダリアお姉様が、椅子から立ち上がる。
「アイリスがチェスター家の当主となり、お父様はその後見人に。そして当主の座を譲った私は、屋敷を出て、チェスター家の保有する別荘で静養することにしてはどうかということでした」
私の前に立つと、そのまま、ダリアお姉様は、私を精一杯抱きしめた。
突然の出来事に、私は声も出なかった。
「愛しているのよ、アイリス。本当に大好き。とても大事な姉妹ですもの」
お姉様は、腕に込めた力をふっと緩め、そして首をゆるゆると振った。
「お父様は、はっきりおっしゃったの。私が、ローズマリーを殺めたのだと。条件をのめば、内々で済まして下さるそうですわ」
お父様は、そこまで言い切ったのか。
ダリアお姉様は、虚な顔で「全部わかっていらしたわ」と言った。
「ああ、それにしても愚かなローズマリー。もし私に子がいれば、ローズマリーも私に取って代わろうなどと、馬鹿な真似はしなかったでしょう。昨日、あの子は私の部屋に来て言ったの。屋敷に呼んだ吟遊詩人に、私の事を話したって。噂が広まるのも時間の問題だって」
昨日、ローズマリーお姉様が席を中座したのは、ダリアお姉様に会いに行くためだったのだ。
「私は偽者の汚名を着せられ、当主の座を追われる……あの子言ったのよ、私ではお母様のような当主になれないだろうって」
お姉様は、手をわなわなと震えさせた。
「幼い頃から、私は当主になるための厳しい教育を受けてきた。その間、あなたたちは何をしてきたの? 私が努力し、我慢し、苦しんでいる間、何をしてきたというの?」
「お姉様……」
「ええ、わかっているわ、アイリス。あなたはとても優しい子。あなたにこのような事を言ってもしょうがないわよね」
お姉様は、深く深くため息をついた。
「私は愛していたの」
先程抱きしめられた事を思い出して思わず身構えるが、ダリアお姉様は、大きな涙を浮かべて言った。
「心からルーカスを愛していたのよ」
吐息とともに漏れ出るような声だった。
「決められた結婚ではあったけれど、ルーカスを愛していたの。その彼を、あの子は、ローズマリーは奪った! そして、当主の座までも…そんなことは……そんなことは許されない……」
優柔不断でお優しいルーカス義兄様。
策略家のローズマリーお姉様に押し流されてしまったのだろう。
ダリアお姉様が部屋に閉じこもり、情緒不安定になったのはそれが理由に違いない。
狙い通りに事が運んだ。
そうやって、鏡の中から、偽者がちょっとずつ腕を伸ばし、本物を引きずり込む機会を伺っていたのだ。
「だから、私、全てを受け入れたふりをしたの。当主の座を明け渡す事にしたと伝えたわ。子ども頃、部屋をこっそり抜け出して遊んだみたいに、庭の池のほとりで会いましょうって言ったのよ。誰にも見つからない夜中に会おうって」
——ねぇ、子どもの頃を覚えている?
——水面に石を投げて何回跳ねるか競争したわね。
勢いよく背中押したのは、彼女が池に目を向けたその瞬間だった。
そのまま彼女は凍てつくような冷たさの水鏡へ吸い込まれていった。
——なぜ……?
最後の問いかけは誰に向けての言葉だったのか。
「そうやって私は、ローズマリーを殺したのよ」