二、偽者の当主
「偽者がなりすましている、ということでしょうか」
吟遊詩人の言葉に、ローズマリーお姉様は優雅に頷いてみせた。
「そもそも、チェスター家は代々、長女が婿を取って当主の座を受け継ぐことになっていますの。お母様が病で亡くなったのは今から四年前。ダリアお姉様は二十歳。私は十六、アイリスは十になったばかりでしたわ」
ダリアお姉様の年齢を考えるならば、本来はお父様が当主となるべきであったかもしれない。でも、チェスター家の伝統にしたがい、長女であるダリアお姉様がその椅子に座った。
「長女の宿命を背負ったお姉様は、幼い頃から当主になるための教育を受け、婿となる婚約者も決まっていたの。お母様が亡くなり、若くして当主に取って代わることになったけれど、ダリアお姉様はなんとかその役目を担おうと頑張っていらしたわ」
けれど、とローズマリーお姉様は目を細める。
「半年前から、急にダリアお姉様の様子がおかしくなったの。部屋に閉じこもるようになり、誰も寄せ付けなくなった。夫であるルーカス様ですら、締め出してしまったのよ」
婿に入ったルーカス義兄様は、チェスター家と親交のあった家の次男だ。優柔不断なところがあるけれど、とても優しいお方。ダリアお姉様の変化に戸惑いながらも、責めるようなことはなさらなかった。
「それでどうして、偽者と入れ代わったと思われたのでしょうか」
吟遊詩人が静かに訊ねる。
お姉様は、持っていた扇子をパチリと鳴らし
「見た人間がおりますの」と言った。
「ダリアお姉様の部屋には、いつ運び込んだのか、大きな鏡がありましてね。それに向かってブツブツとおっしゃっていたそうですわ。
——ここから出られないでしょう。私が取って代わったのだから——と」
ローズマリーお姉様は何がおかしいのか、クスクスと笑いながら言った。
「偽者が、本物のダリアお姉様を鏡に閉じ込めてしまったのだわ」
「お姉様」
私は思わず諌めずにはいられなかった。
「滅多なことをおっしゃるものではないわ。そんな他愛もない噂話など——」
「でも、ダリアお姉様が人が変わられたようなのは確かでしょう」
私の苦言など意にも止めず、お姉様はさらに言い募る。
「別人になってしまわれたように、叫び、物を投げつけたかと思えば、今度は泣き出したり……むしろずっとお部屋に閉じこもって頂いた方がよろしくてよ。あのような姿、屋敷の外の人間にはとても見せられませんもの」
そして横目で私たちをチラリと見て言った。
「アイリス。あなたもリリーと遊んでばかり。メイドたちからは『お優しいアイリスお嬢様』なんて、随分と気に入られているようだけど、もう少し、年相応の振る舞いを身につけてほしいわ」
お姉様の言葉にリリーが申し訳なさそうにしているのを感じ「いいのよリリー。気にしないで」と小声で囁いた。
「入れ代わったことがばれないように、偽者のお姉様も必死なのだわ。だからお部屋に隠れていらっしゃるのよ」
そう言うと、お姉様は窓の外に目をやった。オレンジ色の西日が差し込み、窓枠の影が濃さを増している。
吟遊詩人は、ローズマリーお姉様を静かにみつめるだけだった。
ふと、お姉様は「いい事を思いついたわ」と微笑んだ。
「ねえ、あなた今夜は屋敷に泊まったらどうかしら。夜になったら私がどうにかして、お姉様の鏡を見せてさしあげるわ。そしてね、明日街に出られたら、この屋敷の話をするといいわ」
ローズマリーお姉様の言葉を吟遊詩人は聞き返す。
「屋敷のお話、と申しますと——」
「もちろん、鏡の話ですわ。あなた、各地の『怪談』とやらを集めてお話なさっているのでしょう」
お姉様は、吟遊詩人の視線を受け止め、言った。
「鏡に映った偽者に、取って代わられた令嬢の話。ぜひ皆さまにお話ししてくださいな。きっと多くの方が興味を持たれるんじゃないかしら」
「ローズマリーお姉様!」
私は我慢ならないと声をあげた。
「そのような事をなさって何になるんです。いたずらに家名が汚されるだけですわ」
「あら、偽者だという事が、みんなにばれてしまえば、もしかしたら本物のお姉様を返してくれるかもしれませんわ」
そんな心にもない事を言うと、お姉様はドレスをつまみ、席を立った。
「お姉様、どこへ行かれるのです」
「大事な用があるので、失礼するわ」
メイドに扉を開けてもらうと、ローズマリーお姉様は、吟遊詩人の方を振り返り
「よろしく頼みましたわ」と言った。
そしてそのまま部屋を出て行ってしまった。
吟遊詩人は困り顔だ。
「連れに、街で宿をとっておくよう頼んでいたのですが……」
「まあ、お連れ様がいらしたのね」
なんとなく、勝手に一人旅だと思い込んでいた。
彼が、誰かと旅をしている姿がどうも思い浮かばない。
「まあ、宿で待っていてくれるとは思うのですが」
部屋に残された私は、必死に姉の無礼を詫びるしかなかった。
翌日。ローズマリーお姉様の遺体が見つかったのは、明け方の事だった。