一、屋敷の中の吟遊詩人
「あなたのような吟遊詩人は初めてですわ」
ローズマリーお姉様の言葉に、私もリリーも深く頷いた。
この屋敷に迎え入れた吟遊詩人は数多くいるけれど、彼のような人には会った事がない。
黒い髪に黒い瞳。
着ているものまで黒いのだから、死神が実在するとしたら、きっと彼のような出立ちなのかもしれない。
何より、彼の話す不気味で不思議な世界各地の物語——
『怪談』に、私たちは夢中だった。
——ベェェェン……
「お気に召したようで何よりです」
彼は持っていた楽器を鳴らし、静かに微笑んだ。
街に吟遊詩人が来ると屋敷に招き、音楽や物語を楽しむのが、お母様が健在な頃からのチェスター家の習慣だった。
けれどお母様が亡くなり、最近では姉妹が揃うこともなくなってしまった。
今この部屋にいるのは、メイド達を除けば、ローズマリーお姉様、私、そしてリリーだけだ。
長女のダリアお姉様は、自分の部屋から出てこない。
私たち姉妹はみな、金の髪に青の瞳。そしてレースをふんだんに使ったドレスを身にまとっている。
美しい調度品に囲まれる中で、黒く染まったような彼の存在だけがやはり異質だ。
「それにしても怖いお話でしたわ。『人が引きずり込まれる鏡』なんて」
先程語られた話を思い返し、私はため息をついた。
真夜中に合わせ鏡をすると、悪事が起こるという不気味な言い伝えのある大鏡。
旅の一座の少女が、深夜に鏡を覗き込み、姿を消してしまう物語だ。
「鏡の中に引きずり込まれてしまうなんて……本当に恐ろしいこと。ねえ、その女の子は結局見つからなかったの?」
「はい。そしてそれ以降も失踪者が出たために、噂のあった大鏡は、処分されたそうです」
私は、同じソファに座っていたリリーをぎゅっと抱きしめた。小さなリリーは私の胸に頭をもたれ、震えているように感じた。
「鏡にまつわる『怪談』というのは、実は世界各地にたくさんあります。
鏡は真実を映す鏡であり、異世界への扉でもあるのです。
ある女性が鏡に向かって『世界で一番美しいのは誰か』と訊ね、鏡に映し出されたのが義理の娘だったため、彼女の命を狙うという物語もあります」
「鏡なんかに誰が美しいかがわかるの?」
「鏡は真実を照らし出す。それは外面だけでなく、内面の美しさすら見通す力を持っている。そういう寓話なのです」
吟遊詩人の話を聞きながらリリーの背中を優しく撫でていると、「実はね」とローズマリーお姉様が吟遊詩人に目配せをした。
「ここだけの話なのだけれど。この屋敷にもありますの。不気味な大鏡」
「お姉様、何をおっしゃるの?」
「黙っていなさい、アイリス」
ローズマリーお姉様はピシャリと言い、言葉を続けた。
「これは我が家門の醜聞にもなりうるのだけれど、特別に教えて差し上げます。チェスター家の長女にして当主、ダリアお姉様の話よ」
扇子で口元を隠していても、ローズマリーお姉様がニヤリと笑ったのがわかった。
「本物のダリアお姉様はね、鏡に引きずり込まれてしまったの。今この屋敷にいるのは、偽者なのよ」