一、奇妙な吟遊詩人
「風変わりな吟遊詩人が来ているらしい」
馴染みの酒場『銀葉亭』に、奇妙な吟遊詩人がいるという噂を、友人のネモが聞きつけて来た。
吟遊詩人と言えば、王族の悲恋だとか、勇者の活躍だとか、煌びやかな物語を歌や音楽と共に披露する旅芸人だ。
見に行こうと誘われたが、俺は全く気乗りしなかった。
「なぁ、アングレ。せっかくだから僕と行こうよ。その吟遊詩人の話ってのが、どうも一風変わってるらしいんだ」
「そうは言ってもなぁ」
どこぞの王子の恋物語も、伝説の英雄の竜退治も、聞いて喜ぶのは女子供ぐらいだろう。
(あいつもそんな話が好きだったな)
そんなことを思いながら、胸元にしまった指輪にそっと手をやる。
帰って来るはずもない女に思いを馳せた所で、どうしようもない。
でも、あいつ——ティオーラの事が、俺は頭から離れなかった。
赤い月の夜に俺の前から姿を消して、もう二週間だ。
どんなに忘れようとしても、忘れさせてくれなかった。
そんな俺の気持ちを知ってか知らないでか、ネモは熱心に話を続ける。
「注目すべきは、その吟遊詩人の語る物語の内容だ。随分と奇妙で不気味な話らしい」
「奇妙で不気味? そんな事、今さら吟遊詩人なんぞに語ってもらわなくてもなぁ」
魔法、呪い、精霊の加護。
傭兵、魔道士、聖女に勇者。
奇妙なこと、不気味なことなんて日常茶飯事だ。
魔物が蔓延るこんな世界で、何を不思議だと言うのだろう。
ネモは「だから面白いんじゃないか」と笑った。
「その妙な吟遊詩人曰く、怖い話だとか不気味な話っていうのは、どこの国へ行っても人気なんだと」
ネモは、勿体ぶった口調で「そういう話をひっくるめてな」と言った。
「怪談——。そう呼ぶらしい」
♢ ♢ ♢
結局、ネモに付き合って『銀葉亭』へと繰り出す羽目になった。
城下町の酒場ともなると冒険者も多く訪れ、夜更けになっても賑わっている。
そんな人混みに出かけるような気分にはなれなかったのだが、ネモの熱心な誘いに根負けしてしまった。
その道中の事だ。
俺は思わず後ろを振り返った。
誰かに背中をつつかれたような気がしたのだ。
雑踏を振り返っても、知っている顔はいない。
通りには、冒険者向けのアイテムショップや武具屋、他にもたくさんの露店が並んでいる。
(そういえば、あいつの店も、この近くだったな)
ティオーラは占い師だった。
大層な魔力があったわけではないが、彼女の特技のおかげで、店はいつも繁盛していた。
彼女は、失せ物探しを得意としていた。
盗まれた高価なアクセサリー、見つからない大切な手紙、落としてしまった子供のぬいぐるみ。
彼女はなんでも見つけることが出来た。
『失せ物探しは、紅い爪のティオーラまで』
店の前にはそんな張り紙がしてあった。
彼女が消えた今、あの店は閉店休業中だ。
「おいアングレ。何してんだよ」
ネモに声をかけられて、ようやく俺は我に帰った。
「すまん、なんでもない」
きっと気のせいだ。
そうに決まっている。
背中の感触を忘れるように、俺は強く首を振った。
♢ ♢ ♢
ようやく着いた『銀葉亭』では、店の片隅に人だかりができていた。
その中央には、見たことのない楽器を持った男が一人。
この辺りには珍しい、黒い髪に黒い瞳。
体型はひょろりとしていて肌も白く、まるで女のようだった。
俺たちが店に着いたタイミングで、ちょうど話が始まったらしい。
「今日は『呪い』についてのお話をしましょう」
——ベェェェーーン……
男は座ったまま、妙な楽器を鳴らした。
思いのほか強い音で、思わず居住まいを正したくなる。
興味本位で集まった観客たちも、口をつぐみ、お互い目配せをし合っている。
「みなさんは、呪いについてどれほどご存知でしょうか。死者の呪い。呪われたダンジョン。呪いのアイテム。呪いは、私たちの生活のすぐ隣に存在します」
随分と不穏な語り出しだ。
なるほど、確かにこんな不気味な話をする吟遊詩人などお目にかかった事がない。
吟遊詩人というと、男にしろ女にしろ、美しい顔立ちをしていて色鮮やかな衣服に身を包んでいるのが一般的だ。
それに比べてこの男の出立は、まるで暗殺者と言ったところだ。
楽器よりもナイフの方が似合うだろう。
「一説には、ダンジョンに出没する蠢く死者も、呪いによるものだと言われています」
「誰かに呪われてあんな姿になったってことかい」
客から質問が飛ぶ。
男は、静かに首を振って答えた。
「いいえ、彼らは自分の身体に呪いをかけたのです」
——ベェェェーーン……
また、あの楽器が音を立てた。
「呪いに必要な条件は、一つ、強い魔力。一つ、強い負の感情。いわゆる『恨み』とか『未練』とか言われるものですね」
男の抱えているのは弦楽器のようだが、小さな木箱に細長い板を繋げたような不思議な形をしている。
よく見ると手に何か持っていて、それで弦を弾いているようだ。
「このまま死んでしまっては、後から来るパーティに宝を横取りされるかもしれない。なんとか邪魔をしてやりたい。そういった負の感情……『恨み』や『未練』が死の瞬間、強く湧き上がります」
ネモを横目で見ると、随分と落ち着かない様子で、男の話を聞いている。
「ダンジョンに挑むような人たちとなれば、ある程度の魔力があるはずです。従って、一つ目の条件はクリアしています。そして死ぬ間際に、他の冒険者を恨む強い感情をきっかけにして、呪いが発動されるのです。
自分の身体を自分で呪う、その結果彼らは死んでもなお動き、人に攻撃をしかけるアンデッドになったわけです」
(自分の身体を呪詛の道具にしたってわけか)
「あくまで一説ですが、呪いというのは魔力の強さ、恨みの強さによって、どんなものにもかけることができるのです。みなさんご存知の、呪われたアイテム。これもやはり同じです」
——ベェェェーーン……
ランプの明かりがゆらめいた。
吟遊詩人の雰囲気にのまれて、いつもは夜更けまで賑わう酒場も静まり、客は声をひそめてヒソヒソとささやく。
「こんな話があります。捨てても戻ってくる、呪われた首飾り」
吟遊詩人がそう言った、その時だった。
(まただ)
また背中をつつかれたように感じ、俺は振り返った。
後ろに立っていた男たちが、訝しげにこちらを見返す。
確かに、指の感触があった。
いったい何だと言うのか。
俺は身を固くして、懐をギュッと握った。
吟遊詩人は、仄暗いランプに照らされて、静かに語り出した。