#6 色香中毒症の治療
「ふっ、舐めんじゃないわよ小娘! 狐之妖妃様から授かったこの力、見せてやるわ!」
「おっと! ……く、身体同士のぶつかり合いは得手じゃないから困ったわ!」
鈴蘭妃殿――いいえ、蛇女は。
その尾をしならせ、私に対して叩きつけて来た!
間一髪、回避したけど。
さっきも言った通り、私は戦いは苦手なのよ!
「……玉帝有勅、神硯四方。」
「……くっ!」
「火精司五味之苦、薬克妖……急急如律令!」
だから、私は薬学魔法で!
とはいえ。
「ほほほ、何それ! 私にはそんな力は効かないわ!」
さっきは希望的観測として牽制にはなったかなって印象だったけど、やっぱり効いてないわね!
くっ、この蛇女には何が毒となるのか考えなくては!
「まだまだ行くわよ、後宮魔女!」
ひい、また尾を一薙ぎ床に叩きつけた!
間一髪で、私はまた避けたわ!
とはいえ、この狭い部屋じゃいずれジリ貧ね。
こうなれば――
「玉帝有勅、神硯四方! 薬使妖所持木精所司五塵之色惑、急急如律令!」
「む!? これは……わたくしをこの部屋に招き入れた幻惑の香か!」
私は呪いを唱えて香を焚く。
仕組みはバレているけど、ほんの時間稼ぎにさえなればそれでいいわ!
「どこまでも小賢しいけれど……所詮は文字通り、小さく賢いだけね! 小娘の浅知恵ごときで、このわたくしを欺けるものかあ!」
蛇女は叫びながら舌を出す。
先が二つに分かれた舌。
これは鼻よりも発達した、嗅覚器官ね!
「ふっ……そこかあ!」
やがて蛇女は私の匂いを嗅ぎつけ、私のいる庭の方へ飛び出して来た!
「ふう、やっと出て来てくれたわね……これで、少しは広くなったわ!」
「あらあら……そんな強がり、いつまで言っていられるかしらねえ!?」
再び蛇女は、私めがけて飛びかかってくる。
私は素早く飛び上がり、屋根上に逃げる。
「ふふふ……逃げてばかり? つまらないわね後宮魔女お!」
「ええ鬼さんこちら、手の鳴る方へえ!」
「まったく……どこまでも舐めるんじゃあないわ!」
蛇女はしゃーと、怒りのあまり唸り声を上げ。
次には屋根上へと、身体全てをしならせその反動で飛び上って来た!
「さあこっちよ!」
「ふふ……精々逃げ回るがいいわ後宮魔女!」
蛇女はしかし、そこで速さを緩め。
私を散々追い回して遊ぶ気になったのか、ゆっくりと追うようになったわ。
「あら……これは、私の愛弟子! もう遠慮はいらないわ、さあ蛇女を待つまでもなく今! 罠を!」
「はい師匠! ……玉帝有勅、神硯四方! 火精 生土精!」
「!? な、何ですって……ぐっ!」
しかし私は、ここで去魔に頼んで罠を発動させてもらったわ。
たちまち鎖の形に変化した土くれが、蛇女を屋根上で捕らえた!
「ぐっ……離しなさい!」
「さあさあ、これまで追い回してくれたお礼よ……玉帝有勅、神硯四方! 火精 生土精! 土精克水精――薬克妖、急急如律令!」
「くう……」
私はすかさず、蛇女にその土鎖を通じて魔力を流し込んだわ!
私の見立てでは蛇は水神。
だから、土が毒として機能すると睨んだ。
さあ、これで――
「ふん! まったくどこまでも小賢しいわね……でも残念!」
って、え!?
蛇女はしかし、涼しい顔をしてる。
そんな、効かないって言うの!?
「だけど、わたくしを一度は罠に嵌めるなんて生意気ね、さあかわいい子たち……わたくしに歯向かう不届き者がいるの! さあ早く出て来て頂戴!」
蛇女が何やら、宣い始めたけど。
その言葉と共に、後宮の壁の外側にいた男の兵たちが一斉に壁の上から顔を見せ始め。
そのまま壁を上り、屋根に上がりこちらに向かって来る!
くっ……あの蛇女はもうこれだけの男を手玉に取っていたのね!
この蛇女の色香中毒症は、既にこの後宮をここまで蝕んでいた!
「多勢に無勢……と言った所かしら?」
「くっ……ええ、そうね!」
勝ち誇る蛇女だけど。
何にせよ、ここは不利ね。
「玉帝有勅、神硯四方! 薬使妖所持木精所司五塵之色、金精所司五塵之香、惑! 急急如律令!」
「む!? くっ、ゲホゲホッ! 目眩しだけじゃなくて匂いの眩ましも!?」
私は二つの瓶からそれぞれ違う薬を流して蛇女から逃げる。
そうよ、こんなこともあろうかと。
さっきの目眩しだけじゃなく、匂いを眩ます薬も作ってあったの!
◆◇
「師匠、ご無事で!」
「しっ! ……去魔ちゃん、残念ながらまだ終わりじゃないわ。蛇女の傀儡になってる番兵たちが迫って来てるの!」
私は建物の隙間に隠れて、去魔と合流したわ。
「ば、番兵たちが……?」
「しっ、静かに!」
と、その時。
私たちが隠れている所のすぐ近くに番兵たちが迫り。
私たちは咄嗟に、身をかがめる。
「す、すみません師匠……」
「いいのよ去魔ちゃん……でもまいったわ。あらかじめ仕込んでおいた薬は効かないし……」
私たちは尚も小声で話す。
そう、私の蛇女への薬も破られてしまった以上。
打つ手が、浮かばないわ。
「だけど……こんなに騒いでいるのに、後宮の皆は起きないんですね?」
「そうね……眠りの術か何か、施されているのかしら。」
あら、そう言われればそうだわ。
後宮は今も、外が騒がしい割に部屋の中の人たちは眠ったまま。
「はあっ、はあ……どこだ、後宮魔女お!」
「早くお前を差し出せば……蛇女様から褒美が貰えるんだよお! 出て来いよ!」
そう、そして相変わらずうるさく。
番兵たちは後宮を嗅ぎ回る。
「あの様子……蛇女の色香とやらに当てられたんでしょうか?」
「恐らくね。あの河とかいう食べられてしまった兵と同じく……あら?」
「ん? ど、どうされました師匠?」
その時。
ふと私は先ほどの鈴蘭妃――蛇女の言葉を思い出す。
―― そうよ、私の毒気に当てられた男たちを喰らい、濃縮された私の血毒によっていよいよ陛下を!
「……そうよ、それよ。」
「え、し、師匠?」
私はようやく、思いついた。
あの蛇女への毒について、ね。
◆◇
「いつまで逃げ回る気かしら後宮魔女さん? 早くしないと……このかわいい子たちを食べちゃうわよ!」
おお、怖いわ怖いわ。
蛇女は恐ろしくも、口を裂けさせ牙を剥き。
舌を出した形相となった。
「その人たちを食べるなら、私を食べなさい!」
「……あら?」
と、そこへ。
私は大胆かもしれないけれど、自ら姿を現してやったわ!
「こ、後宮魔女だああ!」
「邪魔するな、あれは俺が」
たちまち番兵たちは、先を争うように私に群がって来る。
しかし。
「お止めなさいあなたたち! その女はお望み通り……わたくしが、食べて差し上げますわああ!」
蛇女は番兵たちを止め。
私めがけてその細長い身体をしならせて飛び上がり、大口を開けて食べようとして来たわ。
「……玉帝有勅、神硯四方 、木精克土精所司五志之思――薬克妖、急急如律令!」
そこへ私は。
先ほど即席で調合した薬を、思いっきりぶちまけた!
「がっ!? ふん、あなたの薬なんて……ぐうっ、がはあ!」
そして、蛇女は。
私の薬が毒となり身を捩り。
私もそれを避けた。
間一髪、蛇女と私はすれ違い離れた。
ああ、危なかったわ。
「ば、莫迦な! 何でよ、あなたの薬なんてさっきはまったく効かなかったくせに……ぐうっ、がは!」
「さっきはさっきよ。私気づいたの、あなたがその血に媚薬を宿していることに。」
「な、何ですって……?」
蛇女は尚も身悶えながら、疑問の声を上げている。
でも確かに、さっきは効かなくて当然だったの。
やれやれ、私としたことが。
蛇は水神だから、土がいいと思っていたけど。
この蛇女の血は媚薬――すなわち、思を齎すもの。
思を司るは五行のうち土、つまり私は蛇女に餌をやっていたようなものだったって訳。
私はそう、蛇女にも説明したわ。
「ぐっ、がはっ! ねえ……私は、死ぬの?」
「ええ、致死量の毒を盛ったから。ごめんなさい、あなたは私を殺す気で来てるのに私が手加減はしていられないでしょ?」
蛇女に、私は敢えて本当のことを告げたわ。
だってここで嘘吐いたって、仕方ないでしょう?
「く……何……で、なの……? 私はただ、下賤の生まれを覆したかっただけなのに……陛下の、愛を得たかっ、ただけ、で……」
蛇女は、死が受け入れられないみたい。
だけど。
「……あなたにも苦しみがある。だけどね……あなたが色狂いさせた挙句喰い殺した男たちに苦しみがなかったと思える? それだけじゃないわ……あなたが殺そうとした麗零妃様だって、もし殺されていたらどんな苦しみか!」
そう、この女はそういう者。
同情の余地なんてない。
そうない、はずなんだけど……
「ふん、ありがたいお説教ね……でもどうしたの? 泣いてるけど。」
「……あ、あなたという病巣を治癒しての嬉し涙よ!」
「ふふ、ふ……強がり、を……」
私は、泣いてる。
そう、私は理由があるとはいえ人の命を奪った。
人の、命を――
「……最後に、教えてくれないかしら。 あなた、元からそんな化け物だった訳じゃないでしょ? 狐之妖妃とやらからどうやって、そんな力を」
「……!? 化け物、だと! 取り消せええ小娘がああ! 狐之妖妃様に貰い受けたこの姿を、よくも!」
「! き、狐之妖妃……?」
私は悲しみ紛れに、話を変えるけど。
蛇女は激昂し、先ほどまでの弱々しさが嘘のように叫ぶ。
その話に出てきた言葉に、私は息を呑む。
狐之妖妃が、鈴蘭を蛇女に――
「……があっ! がはっ、き、狐之妖妃さ、ま……あ……」
やがて蛇女は、力尽きたわ。
今、死が早まったようにも見えたけれど。
「……どうか、冥福を……」
私は、そんなこと気にしている余裕はなかった。
◆◇
「し、師匠! ば、番兵たちが更に暴れ出しました!」
「!? そうね……やはりあなたたちも治療しないと!」
そう、私には悲しんでいる余裕もない。
去魔が叫ぶ方向に、私は急ぐ。
治療のために。
◆◇
「蛇女……毒にも薬にもならなかったわ、わたくしには……」
そして私は、この時は気づかなかったけれど。
狐之妖妃は、この様をにやにやしながらどこかから眺めていた――