#5 後宮魔女の汚名と附子の花の根
「ま、真でございます! 信じて下さいましいい!」
「こ、これ貴様! 皇帝陛下の御前なるぞ、慎め!」
「いや、よい! うむ……私はそなたの話を、信じよう……」
陛下の前で叫びながら昨夜のあらましを話しているのは。
蛇に河が食べられた場に居合せた、番兵だった。
どうも話の内容は要領を得ないみたい、だから信じるとか以前の問題なんだけど。
「ふうむ、陛下! この者の申しますこと真かどうか疑わしきことここに極まってございます!」
番兵から話を聞きながら首を傾げるは高位宦官・超金剛様。
めちゃくちゃ固そうな名前してるけど、硬くなる部分は宦官なのでもうないわ。
さておき。
「陛下、恐らくそれは……噂の後宮魔女とやらではございませんか?」
「! 麗零妃……」
「! せ、正妃様!」
「(な! 何を言うのよ正妃様!)」
そこへ声を上げたのは、陛下の隣の玉座に腰掛けていらっしゃる麗零妃様。
私も梁の上でこの話を聞いて、内心おったまげたわ。
◆◇
「……とまあ、聞くもおぞましきお話でありましてよ。」
「まあ、怖い!!」
その日の昼下がり。
またも麗零妃様はお茶会を自ら主宰し開かれた。
「しかし麗零様……その、何故に後宮魔女の仕業と思われたのですか?」
そこで私は麗零様に、こう尋ねた。
「あら深愛妃殿、そんなことは決まっておいででしょう? 蛇の化け物を引き入れるだなんて、いかにも魔女の仕業じゃなくって?」
「さ、さすがは麗零妃様!」
私は長机の下で握り拳をフルフルしながら何とか堪えた。
もー、好き勝手言ってくれるわね!
「あ、あのうしかし……後宮魔女は廊下を直してくださったり媚薬をくれたりしたといいます。そのような人が」
「ああら鈴蘭妃殿……わたくしが間違っていると?」
「! い、いえ滅相もない!」
あら、思わぬ所から助け舟が来たと思えば。
下級妃の、鈴蘭殿。
普段は縮こまっておいでだけど、中々いう時は言ってくれるじゃないの。
とはいえ。
「そうですわねえ鈴蘭妃殿。まさか麗零妃様に逆らう気かしら?」
「これだから、下賤の生まれは!」
「そうよ、少しは慎しみなさい!」
あっちゃー、始まった。
いつもは麗零様の前で縮こまってるのはこの妃たちも同じだけど、ここではまるでその溜飲を下げるように鈴蘭殿を非難し出す。
まあ、こうやって一体感を出しておけばさも自分が強くなったかのようになれる。
その気持ちは分からないでもないけど。
「まあ鈴蘭妃殿、まずは麗零様にお謝りなさい。麗零様のおっしゃる通り、噂に聞く後宮魔女の手引きであの蛇が出たというお考えにおかしな所はありませんわ。」
「は、はい……も、申し訳ございません!」
「麗零妃様、ここはわたくしに免じてどうか」
「あら……ええ、深愛妃殿がそうおっしゃるのなら。」
「あ……ありがとうございます!」
ひとまず、謝らせたわ。
ごめんなさい、鈴蘭殿のおっしゃることも一理あるし何故自分が謝るのかというお気持ちもあるでしょうけど。
何より、後宮魔女――私を庇ってくれながら申し訳ないけど。
ここで正妃様に逆らってはならないということもまた、正当化できないけど現実としては肯定しましょ。
とはいえ……
蛇女、あなたが私に罪を着せた訳じゃないけど。
あなたのせいで着せられたこの汚名、晴らさせてもらいます!
◆◇
「あの……先ほどは私を庇ってくださったんですよね? ありがとうございました、深愛妃様。」
その茶会から自室までの帰り。
鈴蘭妃殿は、いつもの縮こまった声で私に礼を言ってくれた。
「いえいいの……わたくしも、あなたが言われ過ぎているのはあまりいい気持ちはしませんでしたし。」
私もそう返した。
「大丈夫ですよ深愛妃様……私が、後は。」
「!? え?」
ん?
鈴蘭妃殿が、今何か言った?
「れ、鈴蘭妃殿?」
「……はい? 何かなさいましたか深愛妃様?」
あら……空耳だったかしら。
私の方から鈴蘭妃殿に聞いたのに、逆に彼女の方から聞き返されちゃったわ。
「いえ、何でも。では鈴蘭妃殿、ご機嫌よう。」
「は、はい深愛妃様!」
私と鈴蘭妃殿は、私の部屋の前で別れた。
◆◇
「では狐之妖妃様……参ります。」
「ええ……きっといい媚薬を、期待していますよ……」
そうして、その夜。
件の蛇女は、ご主人様である狐之妖妃に恭しく頭を下げる。
◆◇
――麗零妃様、麗零妃様……
「……ん? ど、どなた……かしら?」
そうして蛇女が現れたのは。
何と、麗零様のいらっしゃる部屋。
――フフフ……昼間はさぞかしお幸せだったでしょう?
「もう……無礼なお方ね! このわたくしが、どなたかしらと聞いているの! おとなしくお答えなさい!」
麗零様は怯えながらも、そう答える。
そう、あの麗零様ならそうお答えになるわね。
――フフフ、無礼? ええ……無力な癖に口ばかりお達者な、あなたがねえ!
「!? ひ、ひいい!」
そこに天井を破り現れたのは。
やはり、あの蛇女。
蛇頭に、着物に包まれた妖艶な女の身体と蛇尾のごとき腰下。
「フフフ、怯えなさい崇め奉りなさいわたくしを! わたくしはねえ、このわたくしの色香に当てられた男たちを喰らいその血を濃縮した媚薬を作ることが目当て! だから女には興味がないのだけど……まあ、たまにはつまみ食いもいいわよね?」
蛇女はすっかり勝ち誇り、シャーと唸りながら麗零様に迫って来る。
と、その時。
「……玉帝有勅、神硯四方。」
「……ん?」
「火精司五味之苦、薬克妖……急急如律令!」
「む! く、ぐあっ!」
何と麗零様の口から呪文が発せられ。
その声と共に、麗零様の右手の瓶から流れ出た薬が床に方陣を描き。
生み出された火が、蛇女の身体に降りかかった!
「やっと尻尾出してくれたわね……蛇女様!」
「む! あなたは……」
「ええ……僭越ながら噂に上がっております、後宮魔女と申します。」
麗零様はたちまち、私――布で顔を隠した後宮魔女の姿に変わる。
いいえ、むしろ逆ね。
私が、麗零様に化け。
屋根裏を伝い移動して来るであろうこの蛇女向けに幻惑の香を焚き、ここを麗零様の部屋に見せかけたの。
あなたを誘き寄せるためにね。
蛇女様、私は逃げも隠れもしないわ。
◆◇
「何故あなたが……? いいえ、幻術の類でわたくしを欺いたのね!」
「その通りです……お待ちしていましたよ蛇女様、いいえ下級妃の鈴蘭妃様!」
「! ふん、お分かりだったのね……ええ、そうよ!」
私が呼びかけると、蛇女は姿を変える。
それは、鈴蘭妃だった。
そう、昼間のあの発言からもしもと思ったけど。
――大丈夫ですよ深愛妃様……私が、後は。
そう、後は――こうやって、麗零様を襲おうとしたと。
ある意味、私を庇ってくれてという事情もあるだろうから私のせいかもしれない。
でも、そのことは言えない。
「何故後宮魔女さん、私が蛇女だとお分かりになって? そうか……もしかしてあなた、お妃の誰かかしら?」
う、気付かれた。
こういう風に気付かれたなかったから言いたくなかったけど、まったく、気付かれちゃったわ!
「いいじゃないの、私の話は。それより……あなたが兵を誘惑して、食べていたのは。媚薬を作るなんて、そういう理由からだったの?」
私は話を逸らす目的も兼ねて、こう言ったわ。
「なんて、か……なるほど。あなた誰か知らないけど、少なくとも苦もなく陛下や他の男たちが靡いてくれるような御身分のお妃みたいねえ!」
「くっ!」
すると蛇女――鈴蘭妃殿は怒り。
周りの空気を震わせ、殺気を私に伝える。
「わたくしの魅力に男たちはメロメロ……それが実証できたから、次はいよいよ陛下をと思っていたところに! そうよ、私の毒気に当てられた男たちを喰らい、濃縮された私の血毒によっていよいよ陛下を!」
「く……なるほど。聞けば聞くほどあなた、そんな理由で兵たちを!」
でも、私も負けない。
まあ、事情は分かったわよ。
だけれど。
「……あなたは、附子の花です。」
「……何ですって?」
私は、こう言い放った。
「海の向こうの日本なる国では、醜女のことを附子と言うそうです。」
「あら……わたくしは醜女だと言うのかしら!?」
鈴蘭妃殿の殺気が、より強く伝わって来る。
でも私も負けない。
「いいえ、附子――トリカブトの花は美しい。そう、あなたも……外見は美しい。しかしその心根は、毒を孕んでいて頗る醜い。」
「……何ですって!?」
ええ、心根が毒されているのは後宮のお妃なら大概当てはまるけど。
あなたは、それ以上よ。
「そう、あなたの心根には毒がある! それこそ根に毒を持つ附子のようにいえ、それ以上に醜い!」
「ふふふ……後宮魔女、小娘風情がこのわたくしを愚弄するかああ!」
鈴蘭妃殿は再び、蛇女の姿に変わる。
それは彼女の心根を知った私の目には、より醜く映る。
その姿は、まさに醜い化け物――蛇女そのものよ。
「ええ、またまた僭越ながら。私はあなたを愚弄し、この後宮の病原そのものたるあなたを清めて汚名も雪がせていただきます!」
でも私は恐れず。
むしろ高らかに、蛇女にそう告げた。