#4 蛇女の誘い
「ずっとご尊顔を拝みたかったぜ……」
「ふふ、あなたも好き者ねえ……」
「(うーん……何て悍ましい景色なの……)」
兵が入り込んだ後宮の一室。
それを魔法による眼薬を差して眼力を高めて見る私――深愛だけど。
今私が見ている景色は、やはり悍ましいの一言に尽きるわ。
そこにいるのは何と、女の着物を着た蛇。
だけど同じくそこにいる兵の男は、目の前のその異形などお構いなく。
滾る欲望に、身を任せているといった形。
そうして男は褌を、脱ごうと――
「(きゃっ! な、何すんの!)」
私はびっくりしたわ、だっていきなり……いきなりい!
「……あら?」
「ん? ど、どうした?」
!
蛇女は徐に、こっちを見始めた。
まさか。
千里眼で見られていることなんて、分かりゃしないはずなんだけど。
しまった、今ちょっと動じたせいで気取られたかしら?
「……いいえ何でもないわ。さあ……今日はここまでに。」
「は!? ここまで焦らしてか!」
「ええ、さああなたは早く去りなさい。この前見つかった坊やのようなヘマはしないように。」
「そ、そんな……」
後で知ったことだけど蛇女はこう、男に告げたらしいわ。
「ごめんなさいね、ネズミが紛れ込んだみたいだから……でもご安心なさい。ネズミは蛇の好物でもあるから……」
蛇女は私がさっきまでいた――今はいない屋根上に目を移す。
そうして舌を出して笑った。
◆◇
「ま、待って下さい師匠!」
「去魔ちゃん、情けないわよ! そんなことで私の弟子が務まるの?」
私は、次の日の朝。
こっそりと後宮から去魔を連れ立ち。
山の中へ、草摘みに来ていた。
まあ昨日のこともあったし。
気分転換でも思って、ね。
「で、でもいいんですか! はあ、はあ……こんな大胆なことして」
「いいのよ! まったくお堅いわね!」
「昨夜……何かありました?」
「! え……う、ううん何でも!」
はあ、相変わらず妙に鋭いわこの子は。
「でも師匠、昨日の話をまだ僕はしてもらっていませんし……意図的にその話を避けているんじゃ」
「う……いいわ。あなたに隠し事は不可能ということは、初めて会った時から分かりきってたことだもんね。」
観念して私は、昨夜のことを全て話したわ。
夜更けに壁の外側の見張りを交代された兵が、何故か寝床に帰らず後宮の一室に忍び込み。
その後を私が追ってその部屋を薬の魔法で覗き込んだら……あの蛇女とのキャッキャウフフが行われて――いえ、行われようとしていたこと!
「へ、河も吐き薬でその蛇女に当てられたことを吐きました! で、でもき、キャッキャウフフですか……」
あ、しまったわ。
去魔にはまだ刺激が強すぎて駄目ね。
まあ、言ってる本人の私も今赤面してるんだけど。
ん? 意外とウブですって?
いや意外じゃないでしょ!
私は色恋沙汰には特に疎いの!
そりゃあんなもの見せられたら……ねえ。
ま、まあそれはどうでもいいわ!
「おっほん! でもそこで……ごめんなさい、私……」
「え? し、師匠?」
うん、言いづらいけど。
だからと言って事実を捻じ曲げるのは師匠の名折れ。
だから、しゃーがないわ!
「私……その光景に動揺して、多分蛇女に気取られたわ……」
「え!? し、師匠が後宮魔女だとバレたんですか?」
「ううん、そこまでじゃないんだけど……自分たちを嗅ぎ回る鼠がいることには、気づかれたと思う。」
はあ、言いながら改めて我ながら情け無くなって来たわ。
さあ、去魔はどんな蔑みの顔をしてるか……
いや、それはそれでいいかも。
いや、そうじゃなくて!
「……行きましょう、師匠!」
「……え? ち、ちょっと!」
と、私は拍子抜けしたわ。
何と去魔が、私の手を引いて走り出した!
「き、去魔ちゃん……?」
「そんなことがあったなら、尚更気晴らししないと! さあ、ヨモギの生える原はどこですか?」
去魔……
負うた子に教えられ、とはこのことね!
そうね、私自ら言い出しておきながらこの体たらくじゃ、意味ないわ!
「そうね去魔ちゃん……さあ、こっちよ行きましょう!」
「うわっ! は、早すぎますよ師匠!」
私が今度は逆に去魔の手を取り。
原っぱを、朝に駆けた!
「はあ、はあ……ええと、この辺にヨモギがあるんですね?」
「ええ、さあ去魔ちゃん早く!」
「は、はい!」
私はすっかりはしゃいでいる、自分でもわかる。
でも、いいじゃないの。
私は元々、うら若き少女で。
家が違っていれば、こうして気ままに過ごせたんだから!
そうして私たちは、ヨモギの生える原っぱに着いた。
「はあ、はあ……おや。すごい、こんなに」
去魔も驚いて。
その原に生える草に、手を伸ばした。
「待って去魔ちゃん、それは附子――トリカブトの葉よ。ちゃんと裏を見て、毛が生えているか見たかしら?」
「あ! す、すみません師匠……」
「いいのよ、だけど気をつけて。トリカブトは強い毒があるんだから。」
でも私は、止めた。
トリカブトとヨモギは間違えやすいんだから、気をつけてね?
「あら……見て去魔ちゃん。その花は綺麗だわ。」
「ん? あ、本当ですね……」
「あ、触っちゃ駄目よ! それはさっき言った、トリカブトの花なんだから!」
「ひい! こ、これがですか? す、すごく美しい……」
ごめんなさい、少し脅かしちゃった。
でも、綺麗な花よ。
「そうよ、花はこんなに美しいのに根は葉は毒……まるで、後宮のお妃方のようだわ。」
「師匠……」
私はトリカブトの花を見下ろしながら言う。
そう、美しい顔を表向きだけ作り上げて心根には毒を持っているあの女たちのような――
「でも師匠……生意気言いますけど、陛下との間に子を生されることも考えた方が……」
「あら……そ、それは去魔ちゃんあなたが気にすることではないわ!」
な!
またこの子は……マセたことを。
「でも陛下も、幾日も通われているのに子ができないとあっては訝られるでしょう。 なら」
「いいと言ってるでしょ!」
「! す、すみません……」
――まったく……私はそなたの育て方を間違えたのか、深愛?
あ!
し、しまったまたやっちゃった!
も、申し訳ございませんお父様!
しかし幾度も申し上げますように、これは単に深愛の育ち方が悪かったのでございます!
いけないわ、私としたことが。
「ご、ごめんなさい去魔ちゃん。私……」
「い、いえ怒られるのはごもっともですから!」
「……」
「……」
気まずい沈黙。
沈黙も全て、悪いことではないわ。
でも。
「……でもありがとう。そうね、ご忠告は心に留めておくわ。」
「え! は、はい恐れ多いです!」
私がその沈黙を終わらせた。
そして、去魔は笑顔になった。
うん、これでこそ子供らしいわ!
「さて……そろそろ朝餉の刻ね。戻りましょう。」
「は、はい!」
そして私たちはそれなりにヨモギが取れた所で、こっそりと戻る。
そう、あの美しいけど毒持つ根の附子の花園へと――
◆◇
「おはようございます、深愛妃様!」
「ええおはよう。」
そうして戻った私は、恭しく挨拶をしてくれる下女たちに笑顔を返す。
だけど。
「! 麗零様……ご機嫌麗しく。」
「あら深愛妃殿……ええ、ご機嫌よう。」
このお方を前にしては私も、恭しく挨拶をする側。
しかしこうして、昨夜のことが話題に登らないということは。
どうやら河の時とは違い、あの蛇女に当てられた男は見つかるヘマはしなかったようね。
とはいえ。
まだあの蛇女とその男の密会部屋を調べていないから何とも言えないけど、もしかしたらお妃または下女の中にあの蛇女の化身が潜んでいる恐れはあるわね。
◆◇
「ふふ……わたくしは美しい……」
その夜。
この時私が直に見た訳じゃないけど、蛇女はこうして後宮の片隅で自分の体を愛でていたらしいわ。
よくよく見ると、蛇なのは顔だけで。
身体はいっぱしの女なのよね。
うん……気持ち悪いわ!
「そう、あなたは美しい……わたくしに勝る程かもしれない程にね。」
「! き、狐之妖妃様! め、滅相もございません、あなた様ほどでは」
と、そこにどこからともなく現れたのは。
あの狐之妖妃!
私はこの時。
不覚にも、この狐之妖妃と蛇女の繋がりを疑ってすらいなかったわ。
「まあ戯れはこの程度で……まだ足りないかしら、あなたの目当てに辿り着くには。」
「は、はい! まだ男たちが足りませぬ、もっとわたくしの色香に当て! それが身体に染み付いた者たちを集めませぬと……」
色香って自分で言うか!
まあいいわ、後から突っ込んでも意味がない。
「そう、中々かかるのね……」
「い、いえ! 少なくとも今宵……一人、熟れます……」
「あら……」
蛇女はそこでニタリと口角を上げ。
長い舌で、舐めずりをしたわ。
◆◇
「はあ、はあ……もう我慢できねえぜ! 俺をここから出せおらあ! あと一回でいいんだよ、一回でいいからやらせてくれえ!」
牢では河が、うめいていた。
そう、これが蛇女の色香が染み付いた証。
と、いうことは――
「何じゃ! 夜に騒々しいぞ罪人が!」
番兵が怒った、その時だったわ。
――ああ、何と甘美な色香なのでしょう……熟れた果実、まさに食べごろね!
「!? な、何じゃこの声は……ひいい!」
「! あ、あんたは!」
女の声が低く響き渡り、その次には牢の天井が突き破られ。
蛇がにょろりと、河の所へ落ちて来る。
「おお……渡りに舟ってえ奴だな! もう我慢できねえんだ……さあ!」
でも河は、恐れることなく。
むしろ腕を広げて、歓迎の意を表しているわ!
――可愛い子、わたくしと一つになりなさい……
「ああ、これぞ男冥利に尽きるってえもんさ……あんたみたいな女と、一つになれるなんてなあ!」
ち、ちょっと!
河はそのまま、蛇に一呑みにされてしまったわ!
「ひいい……」
――あら……ごめんなさいね、あなたも食べ頃になったらその内に、ね……
「ひいい!」
そのまま蛇は番兵を一瞥すると。
天井へと身体をくねらせた反動で飛び上って行き、消えていった――
◆◇
「さあ……どう出てくださるかしら、後宮魔女さん?」
狐之妖妃はその様を離れた所で感じ取り。
ほくそ笑んだ。