人助けの理由
* * *
「あいつ、消滅したのか?」
「一応は」
「一応ってなんだよ」
「怨霊はね、一般霊と違って簡単には上に行けないの。一度さっきみたいに破裂して、小さな光の粒子になる。それで他の粒子とくっつき合いながら、最終的には全く違う霊体となって、上に向かう」
「つまり、あいつ自身は消滅したってことか?」
「そういうこと」
「ふうん」
そう言って座りながら空を眺めている浩二を、佳菜依が優しい眼差しで見つめていた。
夏の暑さを届けていた太陽は西の空に沈みかけていて、柔らかな赤い光が眼前の世界を包み込んでいる。
「浩二はさ、最初にわたしのことを疑ったでしょ?」
「ああ……」
「ワン子はそれで怒ったけど、わたしはそうやって疑うくらいの方が良いかなって思うんだ」
佳菜依と浩二の間に座っている猫が、佳菜依の顔を不思議そうに見上げた。
浩二も同じように佳菜依を見つめる。佳菜依はすでに顔の向きを正面に戻していたため浩二と目が合うことはなかったが、その横顔はとても穏やかな表情をしていた。
「浩二も見た通り、幽霊はみんながみんな良い霊ってわけじゃないし、まずは疑わないと。じゃないと多分、いくつ命があっても足りないもの」
微笑む佳菜依を見て、目を見張る。ここにきてようやく本音で話し合えたような気がする。
浩二は「ふ」と短い息をもらし、苦笑した。
「疑ったところで俺じゃどうにも出来ないけどな」
「ま、それもそうね」
笑いながら言う。浩二もつられて笑みがこぼれた。
少しして、沈黙が訪れる。
浩二の瞳が微かに揺れた。
今問いかけたら、答えてくれるだろうか。
「……」
下へ続く階段と自分の膝を見つめたまま、少し考える。
「……そういえばさ」
「うん?」
佳菜依が小首を傾ける。
「確か魂だけの状態でここにいると、未練あるなしに関わらず怨霊化するって言ってたよな」
神社での会話を思い出しながら聞く。佳菜依は表情を変えず、「うん」と短く答えた。
「じゃあさ、お前もいつかそうなっちまうってことだよな?」
「うん、そうなるね」
佳菜依はやはり表情を変えず、あっさりとした調子で頷いた。
「まー、そうなる前に自己消滅するから大丈夫じゃないかな」
他人事のように言うが、きっと本気なんだろう。佳菜依はあははと笑ってみせた。
幽霊の常識はよくわからないが、佳菜依の言い方からして自己消滅することはあまり気持ちの良いものではなさそうだ。成仏が天寿を全うするようなものだとして、自己消滅とは自殺のようなものだろうか? しかももし怨霊と似たような消え方だとしたら、ほぼ爆死に近いことになる。
「成仏する気はないのかよ」
一応聞いてみるが、成仏をする気があったら多分今ここには居ない。
成仏したければとっくに成仏してるだろうし、なにか理由があってここにいるとしても、自己消滅の話にはなっていないと思う。
その考えを後押しするかのように、佳菜依からは「まあ、できたらするよ」という言葉が返ってきた。
「できたらする」という言葉は、大抵報われない。
前に「本当にやる気がある人は、実行する時を待ったりせず自らでその時間を作るものです」と森本先生が言っていた。ちなみに、森本先生はクラス担任でもある。
ただ、なぜそういう話になったかという流れの部分まで説明してしまうと、せっかくの良い言葉が台無しになるので、そこは割愛しておこうと思う。
「そもそもなんでこんな人助けみたいなことしてるんだ?単純に人を助けてやりたいからって理由じゃないんだよな?」
なにも根拠はないが、そんな気がした。
勝手で良くわからない奴だけど、「なんとなく」ではない、大切な何かがあるような、そんな感じがする。勘だけど。
「……人助けをしたいって気持ちも、ちゃんとあるよ」
佳菜依は静かに声を発した。
「私なんてちっぽけで、世界のほんの一握りの人しか助けてあげられないってわかってるけど、それでも目の前に襲われそうな人が居たら助けてあげたいって思う。……でも、そうね。それはオマケみたいな感覚で、一番の理由はそうじゃない」
猫が不安そうに小さく鳴いた。それを見て佳菜依が優しく笑みを浮かべる。
「一番の理由はね」
佳菜依は、風に溶けてしまいそうな微かな声で、しかしはっきりと言った。
「贖いと、返報……かな」
その声は心の奥底に響いてくるような、とても悲しいものに聞こえた。事情を知らない浩二には、何も返せる言葉が見当たらない。
どうしたものかと考えていると、ふいに「さようなら」という言葉が耳に届いた。
「―――え」
顔を上げたときには、もう佳菜依も猫も見えなくなっていた。
「早っ……俺にもさよならくらい言わせろよな……」
本当に、自分勝手な奴だった。最後の最後まで、自分勝手な奴だった。
でも、まだ近くにはいるのだろう。
懇親の力とやらで姿を隠しただけで、声の届く所にはいるのだろう。
「事情はよくわかんねぇけど、でも―――でも、例えお前がただの気まぐれでこの町に寄っただけだとしても、例えお前がただの気まぐれで俺を助けただけだとしても、例えその助けた理由が自分勝手なものだったとしても、……俺は感謝してる」
「ありがとな」
空に向かって言った。
遠くから猫の鳴き声が聞こえた気がした。
もし、佳菜依がまたこの町に来るようなことがあれば、きっと会えるのだろう。
どんなに姿を隠しても、きっと会えるのだろう。
そのときは そのときは―――
そのときになったら、考えよう。
気まぐれなあいつのことだから、きっと気まぐれにやってくる。
そうやって自分勝手な解釈を付けて、今日は終わろう。
きっとこれが、自分勝手なあいつにぴったりなエンディングのはずだから。