死霊滅却
「そういうわけだから、よろしくね」
境内は平穏そのもので、太陽の明るい日差しと澄んだ空気に満たされている。
外の景色にも、これといった異常は感じられない。
しかし、実際には目に見えていないだけで、すぐ近くまで怨霊が来ているという。
(まずは俺が怨霊にステッキを突き刺して、そのあと佳菜依が呪文を唱えてぶっ倒す……)
「……そういえば、俺あいつの傍にいると体が動かなくなるんだけど、そのへんはどうすれば良いわけ?」
体が動かないとステッキなんて刺しようがないよな?
「あーそれね」
佳菜依がにっこりと微笑む。なんだかいやな予感がする。
「大丈夫。がんばって」
……え?
「がんば……って、おい!!!」
佳菜依に背中を押され、浩二の体が鳥居の外に飛びだした。
体が前のめりになるのを必死で堪えるが、その勢いを殺しきれない。跳ねるように階段をいくらか下りたあと、最後は屈み込みながら、階段にしがみつく勢いでつかんで何とか耐えた。
持たされたステッキは放り出すことなく、きちんと右手に握っている。
「あっぶねぇ!!!!」
あいつここが階段の上だって忘れてないか?
(もう少しで奈落の底まで転がり落ちるところだった……)
鳥居を見上げて非難の目を向けるが、そこに佳菜依はいない。
「あいつ……」
どうせ近くにいるだろうからと無人の鳥居に向かって文句を言おうとしたが、言葉が続かない。
(来た)
ざわり。
空気が揺れる。
ぞくり。
悪寒が走る。
背後から、ひたり、ひたり、と少しずつ近づいてくる気配を感じる。
「一緒に死んでよ、和真」
囁くような声。しかしはっきりと耳元まで届いた。
「和真なんて……知らない。俺は、和真じゃない……」
「和真」
怨霊はなおも呼び続ける。
確実に距離は縮まっていて、吐き出す言葉の声も大きくなっていく。
「和真」
「和真」
「和真」
「和真和真和真」
「和真あああああああ」
「っ、ああああああ!!!」
叫び声とともに白い物が目の前に現れ、絶叫する。今度は佳菜依ではない。正真正銘の怨霊だった。
表情がなく、頬がこけてミイラのような顔。くぼんだ目元。
目玉のない真っ暗なふたつの穴が、浩二を見つめている。
悪寒が全身を駆け抜け、顔が真っ青になる。
「か、ず、ま……」
怨霊がゆっくりと名前を呼ぶ。
「だから……和真じゃ……ないっ……」
逃げたいのに、逃げられない。体が少しも動かない。 声すらうまく出てこない。
怨霊が枯れ枝のような手を伸ばす。
浩二には成す術がなく、ゆっくりと近づいてくるその手を見つめることしかできない。
(誰か……!)
怨霊の手が浩二に届きそうになった瞬間、ぱああああ、と右手の辺りから温かい光が差し込んだ。
ひるんだ怨霊が伸ばした手をひっこめ、自らの顔を手で覆う。
これは……。
「ステッ……キ…………。―――あれ」
浩二は喉に左手を当てた。
「声が普通に出る……それに体も……」
この、ステッキのおかげなのか?
閉じた傘のような奇妙な形のステッキ。持ち上げてみるが、すでに光は消えている。
「今よ、早く!!」
「!」
突然佳菜依の声が響き、浩二は階段に座り込んだまま咄嗟にステッキを突き出した。
「ぐ、うううううう」
怒気を含んだ呻き声とともに睨まれて、ぶわりと鳥肌が立つ。
「放さないでね」
すぐ近くから聞こえてきた声に振り返ると、いつになく真面目な顔つきをした佳菜依が立っていた。
その目はしっかりと怨霊を見据えている。
佳菜依が浩二の両肩に手を置くと、一瞬の冷たさのあと、ふんわりと温かい感覚が伝わってきた。
「放すなって言われても……」
怨霊が抵抗しているのだろう。白いステッキはぶるぶると大きく震え、気を抜けばすぐにでも手から抜けて飛ばされてしまいそうだった。
「今から浩二を器にして大きな技をかけるから、その間だけ我慢して」
「お、おう……」
浩二はステッキを全力で押さえ込んだ。
佳菜依が大きく息を吸う。
「掛けまくも畏き 掛けまくも畏き
其の者 彼の者
魂 諸諸の禍事 罪 穢
有らむをば祓へ給ひ清め給へと白す事を
聞こし食せと恐み恐みも白す……」
「死霊滅却!」
カッ、とステッキが強い光を放射した。白い怨霊が苦しそうにもがき出す。
浩二はあまりの眩しさに目を瞑った。
「か、ずま……」
怨霊は最後に一言呟き、そして破裂し、霧散した。
片側の支えを失った白いステッキが、カツンと落ちる音がした。