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「きゃああああああ」
突如悲鳴が聞こえてきて、すでに曖昧だった思考が完全に途切れる。
「にゃー!」
「えっ、おい!!」
急に走り出す小さな背中を慌てて追いかける。
同時に、悪寒が走る。
丸ごと巨大な冷凍庫に放りこまれたような、そんな感覚。
(俺はこの感覚を知っている)
中学の時、わずかな時間の中で幾度か体験した。もう夢か現実かも曖昧になりそうな、十年も前の話だ。
「そんなはず……」
俺にはあれ以来、何も見えなかった。むしろあれ以前だってそうだ。
俺に見えたのは、あの時だけ。
(でも)
鳥肌が全身を覆う。
目の前には、黒い気を纏った巨体の男。
「お、お、お、お、お、お、お、お、お」
よだれを零しながら、赤いランドセルを背負った少女に近づいていく。男に迫られている少女の方は壁に背中を貼り付け、どうやら身動きが取れないようだ。顔は引き攣り、既に悲鳴も出ないほど怯えてしまっている。
「くそっ」
まだ夕方で辺りは住宅街。人通りはそれなりにある。
幼い少女が見るからに怪しい大男に襲われそうになっているのだから、誰がどう見ても非常事態だ。
けれど、誰も見ていない。誰一人として気付いていない。
(俺にしか、見えてない)
「にゃー」
(正確には、俺と一匹か)
この猫にも、はっきりと眼前の様子が見えているはずだ。
ちりん、ちりん、と、猫の首輪に付いた鈴が、猫の動きに合わせて軽快な音を立てる。
鈴に籠められていた魂の欠片が抜け出てからは怨霊を察知する能力はなくなり、鈴はただの鈴となった。
動けば音が鳴る、よくある鈴。
(鈴が元に戻ると同時に、俺にも平和な日常が戻った……はずだった)
何も見えず、聞こえない、普通の毎日。幽霊や怨霊とは一切かかわらない平凡な日々。
「にゃー」
猫が再び鳴いた。
(お前は変わらないな)
俺は駆けだす。
「くらえデカブツ!」
巨体に突進し、力任せに殴りとばす。
「ぐぉ?!」
ろくに鍛えてない弱体から出たパンチでも、少しは効いたようだ。膝をつき右頬を手で抑えた状態で、巨体の動きが止まる。俺はその隙に少女の手を取って走り出した。
「来い!」
「えっ」
驚いた様子の少女を、無理やり走らせる。
まずい。これでは俺の方が犯罪者みたいだ。
「もし通報されたらお前のせいだからな」
一方的に告げ、見なれた道を走り抜ける。
ほどなくしてボロアパートの前までたどり着いた。




