出会い・2
廊下に出ると、さっきの少女が壁にもたれかかった状態で立っていた。足元には先ほど声をあげていた猫もいる。
「いつの間に廊――」
「あなた名前は?」
少女が割り込んできたため、浩二があからさまに顔をしかめる。
「そっちから名乗れよ」
「嫌な奴ねー。ま、いいわ。わたしは佳奈依。こっちはワン子」
佳菜依は頬を膨らませつつ、自分と猫を交互に指しながら言った。
……わんこ?猫なのに?
浩二の頭の中に、疑問符が浮かぶ。
(変な名前……)
猫は退屈なのか、後ろ足をくい、と持ち上げて、首を伸ばしながらけしけしと耳の後ろをかいている。
「俺は森本浩二」
浩二が名乗るが、佳奈依の反応は薄い。
ほとんど聞き流すような感じで「そう。じゃ、本題に入るわね」と次の話をし始めた。
「本題の前に、前置きは」
「さっきの白いのに関してなんだけど……」
浩二の言葉は無視され、勝手に本題とやらが進んでいく。急な訪れ、強引な運び。まるで春の嵐のようで、全くついていけない。
いきなり現れて一体何者……いや、一体何がしたいのか。
「なあ、お前らが何なのか先に知りたいんだけど」
声に出したところで意味がないと察しつつも、口を挟む。当然、浩二の言葉は誰に届くことなく、空気へ溶けて消えていく。
「浩二はさっき、背筋が凍りつくような、奇妙な感覚を感じたでしょ?」
「しかもいきなり呼び捨てかよ……」
浩二が諦めのため息をつく。黙って話を聞くしかなさそうだ。春の嵐、恐るべし。
「あれも、幽霊ってことだろ」
あれ“は”と言いたい気持ちを堪え、浩二が答える。
幽霊が見える上にのんきに会話してしまっているなんて夢か冗談だと思いたいけれど、教室での出来事を考えたら信じるしかない。
「幽霊、まあ確かにね」
人差し指をあごに当てながら、佳菜依が頷いた。「それでね」と、さらに言葉を続ける。
「浩二はアレに取り憑かれてる」
少しだけ曲げた腰に両手を添え、佳菜依がさらりと言い放つ。下から見上げるような体勢で言われたその言葉に、浩二の眉根がピクリと反応する。
取り憑かれてる?俺が、あの白いのに?
瞬間、引いたはずの冷や汗が戻ってきた。脳裏に先ほど見た光景が蘇る。
校庭からじいっと見つめる空ろな目。遠くに居るはずなのにすぐ近くから見られているかのような不気味な威圧感。背中をゆっくりと這う悪寒。
「わ…… 訳のわかんないこと言うな!」
浩二は、つい叫んだ。
叫んでしまったことに、まず浩二自身が驚いた。猫は意外に平然としていて、のんびりと浩二を見上げているだけだったけれど、佳奈依のほうは多少驚いたらしく目を丸くしていた。
そして壁の向こう側の河本先生も、目を丸くしたんだろう。……たぶん。
「一人で何を騒いでいるんですか!」
河本先生が勢いよく教室の扉を開け、語気を荒げる。
「ね……寝ぼけて……」
浩二は苦し紛れにそう搾り出す。
河本先生は顔を赤く染めあげ、何か言いたげに口をはくはくと開いていたが、結局は「大人しくしてなさい!!」と一言だけ怒鳴って、ぴしゃりと扉を閉めて戻っていった。
もしかすると虫の居所が悪かったのかもしれない。普段と比べてみても今日はかなりの怒り具合だ。
……まあ、怒っている原因は間違いなく俺なんだけど。
「本当にわからないの?あなた霊感あるんでしょ」
浩二が佳菜依のほうへ向き直る。佳菜依は森本先生という妨害が入ったのを気にも留めず、先程の会話を平然と続けていた。
何の話だったかと数秒悩み、思い出す。
“取り憑かれている”話だ。
「霊感って……」
浩二はぐっと喉を詰まらせた。
「霊感は……まあ、それはそうらしい……けどさ」
いまだに嘘みたいな気持ちを捨て切れない浩二は、言葉を詰まらせながら佳奈依と猫をちらりと見やる。
「言っとくけどその子は霊じゃないわよ」
わずかに首を傾け、佳菜依が言う。
「私の力で見えなくしてるだけ。あなたは霊感が強すぎてそれすらも見えてしまっているってことよ。いままでも何か見たことがあるんじゃないの?」
確信を持った瞳でじっと覗き込むように問われる。
「そう言われても……」
これまで幽霊を見たことはない。霊感があることも知らない。浩二はこの十五年間、普通に生きてきたのだ。
「もし霊感があると知ってたなら、俺は絶対に廊下には居なかった……!」
それだけは自身を持って言える。好き好んで放課後の特別授業を受けるわけがない。
佳菜依からは「ふぅん」と気のない返事が返ってきた。
「つまり、無自覚だったのね」
「無自覚っていうけど、幽霊が透けてない時点で生きた人間と見分けるのは――」
浩二が途中で言葉を切る。本題がそれではないことを思い出したからだ。
「いや、とりあえずこの話はいいや」
開いた右手を自分の顔の前に出しながら言う。いま話さなきゃいけないことは、霊感のことでも幽霊の見分け方でもない。
「それよりも、俺が取り憑かれてるってのはどういうことなんだよ」
浩二にとっては、これが最も重要な問題だ。
「それは、言葉の通りよ」
どうやら、詳しく教えるつもりはないらしい。浩二は少しムッとする。
「……あのさ。さっきから説明不十分だと思うんだけど」
不満が声に乗ったせいか、佳菜依の表情がわずかに硬くなる。
「それはあなたの理解の問題。わたしはちゃんと結果を述べてるわ。あなたはさっきの白い霊に取り憑かれている」
佳菜依が、ぷい、とそっぽを向いた。
自分も含め、なんだか今日はみんな機嫌が悪くなりやすい。もしかしたら全国的にそういう日なのかもしれない。――今日は全国的に気分が乱れやすい一日となるでしょう。心のケアに気をつけてお過ごしください――
まあ、そんなわけはないんだけれど。
「はぁ……」
誰でもいいからこの状況を分かりやすく解説してほしい。校庭にいた白い奴のことも謎だけど、佳菜依に関してもわからないことばかり。
わからないのは、浩二の前に現れた理由や目的だけじゃない。
身なりだって、明らかにおかしい。
服装は普通だと思う。白いパーカーに赤いチェック柄のスカートとベージュのブーツ。それからポケットに入った手持ちサイズのプレーヤー……と、そこまでは良い。しかし手に持った大きなステッキのような物、あれは何なのだろう。
ステッキと呼ぶには大きすぎる気もするけれど、それ以外に呼び名が見つからない。白くて大きなそれは、先にいくにつれ細くなっている形状のせいか不自然な凶器にしか見えなかった。
奇妙なステッキを持つ幽霊少女。そして告げられた“貴方は取り憑かれている”という言葉。
(……たとえ俺がかの有名なシャーロック・ホームズだとしても、この謎は解けない気がするぞ)
「あー……そっちは言い切ったつもりかもしれないけどさ、それだけ言われても『わかった』とはなんないだろ?」
浩二は頭をかきつつ、疲れたように言った。実際、わりと疲れている。
「そんなこと知らないわ、わたしは伝えることを伝えたもの。それを受け入れるかどうかは貴方次第よ」
佳菜依はくるりと一回転し、そのまま姿を消してしまう。
「えええ」
浩二はびっくりして辺りを見回すが、すでにどこにも佳菜依は居らず、足もとでのんびりとしていたはずの猫も見当たらなかった。
まさか、言いたいことだけ言って放置する気か?
……というか。
「消せるじゃん、姿」
浩二はわけのわからぬままにつぶやいた。
謎は深まるばかりだ。 浩二は何だか泣きたい気分になった。
「どう思う、ワトソン君」
つぶやいて、よけい泣きたくなった。
……何やってんだ、俺。しっかりしろ。
浩二はゆっくりと廊下に座り込む。
「取り憑かれてる、ねえ」
ふう、とため息をつく。
「わけわかんねぇ」
幽霊なんてもの、居るとは思っていなかった。それなのにいきなり目の前に現れて、しかも「取り憑かれてる」なんて言われても。
突然訪れた非日常。
毎日変わらない安穏とした日々を送ってきただけの一般人に、それが容易く受け入れられるはずはなかった。