強さと勇気
「き、来た……!!」
佳菜依は、隆太は怨霊を前にしても平然としているんだろうと思っていた。自分に見せた笑顔を絶やさずに、事が終わるまでにこやかなまま傍にいるんだろうと、少しの疑念も持たずに思っていた。
でも、それは間違っていた。
「目を瞑っていて、すぐに終わらせるから!!」
佳菜依は必死になって叫ぶ。
(まさかこんな風になるなんて)
隆太は明らかに怯えていた。
怨霊を前にした途端、顔は青ざめ、体を小刻みに振るわせた。その姿は誰が見ても、歳相応の、か弱く小さな少年にしか見えない。
(ううん。弱かったんだ、始めから。それなのに、わたしが勝手に強いと思い込んでいた)
このままでは、隆太の心の内に一生消すことのできないトラウマを作ってしまう。早く終わらせないといけない。
佳菜依は必死になってステッキを突き出した。
「掛けまくも畏き 掛けまくも畏き……」
ステッキを必死で押さえながら、呪文を口から吐き出していく。
「ぐ、うううう……」
目の前の怨霊が苦しそうにもがき始め、佳菜依はステッキを握った手に更に力を入れた。
「死霊滅却!!」
佳菜依は全力で叫んだ。それと同時に、ステッキにのしかかっていた圧力が消える。
「お、終わった……」
佳菜依は疲れきって地面にぐったりと座り込む。
(隆太は大丈夫かな……)
怨霊の死角に隠れてもらっていたため、いま佳菜依が居る場所からその姿は窺えない。様子を見に行かなければと思った所で、隆太の声が飛んできた。
「佳菜依お姉ちゃん、大丈夫?!」
そう言いながら、慌てた様子で駆け寄ってくる。まだ少しだけ顔が青いけれど、気分はかなり落ち着いたようだった。
隆太が佳菜依を支えようとして手を伸ばす。しかし背中に添えようとしたはずのその手は、佳菜依の体をするりと通り抜けてしまう。
「ああ、そっか。幽霊だから触れないのか」
隆太が少し困ったような表情を浮かべた。
「ごめん、わたしが意識してなかったから」
佳菜依は霊力を身体に巡らせた。すぐに隆太の手が佳菜依の体に触れられるようになる。
「え、良いよ、わざわざそんなことしなくて!」
隆太が目を見開き、慌てた様子で佳菜依から手を離す。
「力を使うんでしょ?佳菜依お姉ちゃんは疲れているんだから、僕に気を使わないで」
「……ごめん」
思わず謝ると、隆太が白い歯を見せながら満足気に笑った。
「うん。許してあげる」
顔には血色も戻っていて、すっかり元気を取り戻したように見える。
「……わたしのことは怖くないの?」
佳菜依の突然の質問に、隆太が首をかしげた。
「どうして?」
「さっきの怨霊もわたしも、同じ幽霊だから」
(隆太が怖いと感じたものと、同じ存在だから)
隆太は佳菜依を見つめ、きょとんとする。
「佳菜依お姉ちゃんは悪い幽霊じゃないよ」
「でも、このままだと、わたしもいずれはああなるわ」
「でも、今は違うよ」
佳菜依の言葉に、隆太ははっきりと答えた。
「なったら怖いかもしれないけど、いまは違うでしょ?まだなってないんだもん、いまから怖がる必要なんてないんじゃないかな」
隆太がおよそ十歳とは思えない台詞をつらつらと述べていく。その表情も、こころなし大人びて見えた。
「そもそも、怖い佳菜依お姉ちゃんなんて想像できないしね」
先程とは一転し、子供らしい無邪気な表情でくすくすと笑っている隆太の様子を見て、この子には敵いそうにないなと思いながら、佳菜依は気の抜けた笑みを浮かべた。
「そっか。それならいいんだ」
佳菜依がゆっくりと立ち上がる。
「……でも、さっきの怨霊、トラウマになったりしない?」
「さっきの?もう忘れちゃったよ。どんなんだったっけ?」
隆太が茶目っ気たっぷりに答えた。その様子に不自然さは無く、完全に吹っ切れているように見える。
「意識していなくてもトラウマになっていることもあるから――」
「あるから?」
いたずらっぽい表情で先を促される。からかうような瞳にみつめられ、佳菜依はその先の言葉を続けられなくなってしまった。やっぱりこの子には敵わない。
「……なんでもない」
佳菜依は降参とばかりに両手を軽く掲げた。
「だろうね」
隆太はにっこりと笑ってみせた。
「隆太は強いね」
佳菜依は目を細めながら言う。それに対し、「強がってるだけだよ」と、隆太が笑いながら答えた。
そうなのかもしれない。隆太も普通の男の子と同じように怯えや恐怖の心を持っているということを、佳菜依はいまさっき実感させられたばかりだ。
強がっているだけという隆太の言葉通り、弱い部分をを必死で隠そうとしているだけなのかも知れない。……だけど、それでも。
「隆太は、強いよ」
佳菜依は心の底からそう思った。
「にゃーーー!!」
急に猫の鳴き声が聞こえ、遠のいていた佳菜依の意識が一気に戻る。
「何?……って、怨霊!ああ、全然見てなかった!!」
「にゃー」
「わかってる!今行くからっ」
猫に声を張り上げ、怨霊の元へと駆け出す。
「本当は乗り気じゃないんだけど」
そう言いながらステッキを怨霊に向かって思いっ切り突き出す。
「掛けまくも畏き 掛けまくも畏き……」
怨霊を鋭く見据え、力いっぱい声を張る。
「死霊滅却!!」
佳菜依が叫ぶと同時、怨霊が光の中で弾けるようにかき消えた。
「お前、さっきの!!」
腰を抜かして地面に尻と手を付けたまま、佳菜依の再登場に驚いた男が叫ぶ。
「そうよ。これでわたしの話を信じたでしょう?」
佳菜依は男を振り返り、腰に手を当てながらにっこりと強気の笑みを浮かべて答えた。
※今まで『呪文』と表記していた箇所の一部を『祝詞』ないし『祓詞』に変更しました。
神道色が強くなりすぎるのは本意ではないためすべて『呪文』と表記していましたが、神職の賢介が「呪文」と口にするのに違和感があったので……。