いつかの出会い
「だから、貴方は怨霊に追われてるの!」
佳菜依が苛立ちをあらわに声を張り上げる。
相対する三十代前半の男も、佳菜依と同様かそれ以上に苛ついた様子で叫んでいた。
「だから、あからさまに胡散臭い勧誘にはひっかからねえって言ってんだろ!さっさとどっかに行かねえとぶん殴んぞ!?」
「簡単に信じられないのは分かるけど、そんな頭ごなしに怒ることないでしょう!」
「お前が消えねえからだろーが!!」
男は一向に聞く耳を持ってくれない。
(これ以上は、なにを言っても無意味だわ)
「いいわ。お望み通りどこかへ行ってあげる。その代わり、どうなっても知らないから」
「はん、言ってろ」
男は勝ち誇ったように笑い、ずかずかと体を揺らしながら去っていく。佳菜依は大きくため息をついた。
「わたしはまたしばらく姿を消してるから」
足元を見ながら言うと、そこにいた猫がにゃあと返事をして男の後を追いかける。
「一応、わたしも見張っておかないと……」
正直気が乗らないのだけれど、このまま見過ごすというわけにもいかない。
「最初の予定では、こんな風に人助けをするつもりはなかったんだけどな」
見晴らしの良い高い場所に移動しながら、ぽつりとつぶやく。
尾柄木神社を出てからは、何となく人助けというか、ただの怨霊退治というのか、とにかくそんなことを繰り返していた。
自分の五感、あるいは六感で感じ取れないものを受け入れるのは中々に難しいことだと思う。
でも、あからさまに拒絶をされたら佳菜依だって嫌な気持ちになる。
「はあ。疲れちゃうな」
佳菜依は再び嘆息する。
(自分たちみたいな存在をあっさり信じる人がいたらいたで戸惑ってしまうけれど……)
「ああ、でも」
(いたなあ、そんな変わり者)
佳菜依は男の背中をぼんやりと眺めながら、記憶をたどる。
その変わり者の彼とは間違いなく初対面で、わたしはもちろん幽霊で。それなのにわたしの話をすんなりと理解してくれて。
わたしは最初、彼のことを強靭な心の持ち主だと思っていた。けれど実際の彼はとても弱くて、小さくて……。
(だけどそれでも、彼はとても強い人だった)
「貴方はね、怨霊に狙われているの」
佳菜依は真向かいに立つ小さな男の子に、できるだけ優しく語りかける。
年齢は十歳程度。血色の良い顔にはくりんとした大きな瞳があり、可愛らしい面立ちをしている。
突然目の前に現れた佳菜依に対し、その男の子が驚いたのは、ほんの一瞬だった。
「そうなんだ」
何でもないように言ったその顔には、なぜか笑顔が浮かんでいる。
「……あの、わたしの言った意味、わかってる?」
あまりにもあっさりとした口調と純真な笑顔に不安を感じ、佳菜依はさきほどの言葉をわかりやすく言い換えて伝え直す。
「貴方は、悪い霊に、追われているの」
すると男の子は笑顔を崩し、途端に拗ねたような顔になる。
「わかってるよ。子供だからって、馬鹿にしないで欲しいな」
「……ごめん」
佳菜依が謝ると、男の子に笑顔が戻った。
「僕は川島隆太。お姉ちゃんは?」
「わたしは、門宮佳菜依」
「佳菜依お姉ちゃん、よろしくね」
子供らしい無邪気な笑み。本当に理解してくれているのか、やっぱり心配になる。
なにかの遊びと勘違いされていたらどうしよう。
「君は、何ていう名前なの?」
隆太は足元の猫にまで可愛らしい笑顔を向けている。猫がにゃあと鳴いて答えるが、もちろん何を言っているかなんてわかるはずがないので、佳菜依が猫の代わりに返答をする。
「ワン子って言うの」
「へえ!良い名前だね」
隆太が楽しそうに言い、猫の首元をなでる。猫は気持ちよさそうに頭を預け、しっぽをゆるりと振っている。
……良い名前?
佳菜依は思わず首を傾けた。
「きっとご飯をいっぱい食べるんじゃない?だからワン子って付けたんでしょう」
隆太が猫をなでながら、楽しそうに笑って言う。だけど、佳菜依はその答えを知らない。
(ご飯をたくさん食べることが、どうしてワン子に繋がるの?)
「確かにご飯はいっぱい食べるけど……それでどうしてワン子になるの?」
「何でって……わんこ蕎麦みたいに凄いスピードで次から次へとご飯を食べるから、それでワン子なんじゃないの?」
「ああ!」
佳菜依は目からウロコが落ちる思いで手を叩く。
「そう!ワン子って何でか一週間に一回ぐらいしかご飯を食べないんだけれど、その分物凄いがっつくの」
最初は病気かと思ってものすごく心配したけれど、当の猫自身が何ともない様子で毎日元気に走り回っていたので、途中からあまり気にしなくなった。
でも絶対体によくはなさそうだなとは思う。食べる時には本当にすごい量を食べるのだ。
(わんこ蕎麦から名前をとっていたなんてびっくり……)
最初に名前がワン子と聞いた時にもかなり驚いたけれど、わんこ蕎麦みたいにガツガツ食べるからワン子だなんて、それはそれで凄いネーミングセンスだと思う。
「あれ?この子、佳菜依お姉ちゃんの猫じゃないの?」
隆太が不思議そうな顔で聞く。
「うん。この子は……預かってるの」
なんとなく、もらった、とは言えなかった。そもそも、あげるよとも言われていないのだけれど。
「そうなんだ」
「うん……。あ、そうだ。言うのを忘れていたけれど、わたしは幽霊。こっちのワン子は霊力のある普通の猫よ」
「この子霊力あるんだ、凄いね」
隆太がキラキラとした瞳で猫を見つめる。
「わたしの話は無視なんだ……」
「大丈夫、聞いてるよ。幽霊なんでしょ?
さっき誰もいない場所から急に出てきたし、信じるよ。それに、それだけ危なそうな物を持っていて普通の人間だって言われた方がビックリしちゃうよ」
佳菜依は歪な形のステッキに目を落とした。
「え、あ、うん。……そうかな?」
隆太があまりに自然な笑顔で言うので、佳菜依は驚いてしまう。
「ねえ。……隆太はさ、幽霊、見たことあるの?」
もしそうだとしたらこの落ち着き具合に納得がいく。しかし隆太は当然のように答える。
「そんなのあるわけないじゃん」
「え?」
佳菜依は目を丸くした。
「幽霊見る機会なんて、普通はめったにないと思うよ?霊力でもあれば別かもしれないけれど」
「うん、まあそうね……」
さっきから大人びた言動にびっくりしっぱなしだ。隆太と話していると、どうもペースを崩されてしまう。
霊力はなく幽霊を見たことがない。それなのに、こうして目の前の嘘みたいな現実をすんなりと受け入れてしまうなんて、隆太はきっとすごく強い子なんだろうなとそのときの佳菜依は思っていた。
でも、彼も普通の人間だったのだ。
普通の、ちっぽけな。ただの幼い男の子だったのだ。




