戦う力
「……それで、どうして蔵に入ろうとしたんだい?」
賢介は、出会った直後に言うべきだったであろう台詞をようやく口にする。
それは、少女が賢介の質問に答えていく形で散々とりとめのない話をしたあとのことだった。
「今更それを聞くの?」
当然、少女は驚いた。
「貴方ってびっくりするぐらいマイペースな人ね」
目を大きく開いたまま、少女の瞳が賢介を見つめる。
「そうかい?」
賢介は目を瞬いた。
「もし僕が、君との会話を楽しみたかったからと言ったら信じてくれるかな?」
「まさか」
少女が逡巡なく答え、賢介は「そうだよね」と笑う。
「それで、蔵に入りたかった理由は?」
再び問うと、少女は一瞬迷いを見せたあと、ぽつりと言葉を落とした。
「巻物が……欲しかったの」
(巻物か……)
賢介は今まで蔵の中で見たことのある巻物を、いくつか頭に思い浮かべてみた。悪い気を祓うもの、良い気を呼び込むもの、戦闘の基本スタイルの指南書……おそらく、大抵のものは揃っている。
「君はどの巻物が欲しかったんだい?」
「…………怨霊」
「うん?」
「怨霊……退治の巻物……」
少女は視線を逸らし、うつむきながら答える。
「どうして怨霊退治の巻物を?」
萎縮させてしまわないよう、穏やかな声色を意識して問いかける。
「どうしても……倒したい奴がいるの」
少女はスカートの裾をぎゅっと握りしめた。
「あだ討ちかい」
「……」
返事はなかった。
「あだ討ちは、やめておいたほうが良いんじゃないかな」
賢介は優しく、けれども真剣な表情で語りかける。
「巻物を手に入れたとしてもうまくいく保証はないし、もしかしたら、君が傷つくだけで何も成し得ないまま終わってしまうかもしれない」
賢介は、少女の行く末を心から憂えていた。怨霊退治にはどうしたって危険が伴う。仇討ちを諦め、上に行くのが一番いい道に違いない。
「……でも」
少女が顔をあげ、賢介の目を見つめる。不安げな瞳と憂色のにじむ瞳がぶつかった。
「でも、駄目なの。こんなの意味がないってわかってる。彼がそれを望まないのも知ってる。……だけど、駄目なの」
少女の瞳が不安げに揺れる。
「……それは、どうしてだい?」
賢介が優しい声で先を促す。
「わたしが、駄目なの。そうしないとわたしが耐えられないの。
誰のためでもない、自分のため。自分が救われたいだけ。自分がただただ辛くて、誰も望んでない楽な道を選ぼうとしてる。だけど、そう思っていてもどうしても動かずにはいられないの」
泣き出しそうな声で必死に言葉を搾り出す少女の瞳を見つめたまま、賢介は穏やかな表情を浮かべる。
「別に、あだ討ちが楽な道だとは思わないよ」
賢介はそう言って、さらに言葉を続けた。
「君が心から望んでいるなら否定はしない。君の言う彼が誰だかはわからないけれど、その彼に望まれていないあだ討ちを、本気でしたいんだね?」
賢介が少女をじっと見つめる。賢介の強い眼差しを受け、少女は「うん」と、ゆっくり頷いた。
「やり遂げたとしても、彼は戻ってこないってわかってる。……ううん、本当はわかってない。絶対にありえないことだとは思っていても、わたしは心のどこかで彼が生きてることを望んでしまっている」
一瞬だけ視線が外れたが、すぐに真っ直ぐな瞳が賢介を射抜く。
「きっと、これは間違った、歪んだ想いなんだと思う。だけど、やめられない」
賢介の顔をしっかりと見つめる少女の目に、揺らぎや迷いはない。
「その人を、とても大切に思っていたんだね」
賢介がそう言うと、少女は静かに頷いた。
「……彼はね、わたしをここに引き留めた人なの。上に行く寸前だったわたしを、彼が引き留めた」
「きっと素敵な人だったんだろうね」
「うん」
そう言って少女は庭の景色に視線を移し、どこか遠くを見つめていた。その彼のことを思い出しているのかもしれない。
「ついておいで」
賢介は立ち上がる。
「え?」
「巻物、見たいんだろう?」
「見せてくれるの?」
少女が目を丸くする。蔵に入ろうとしたのがばれた以上、まさか見せてもらえるとは思わなかったようだ。
「持っていかれたら困るけど、見せるだけなら僕は一切困らないよ」
軽い調子でこともなげに言うと、少女は気が抜けたような表情を見せた。
「……貴方って、変な人」
「あれ、もしかして格下げされちゃったかな?」
賢介が、はははと笑いながら言った。
それに対する少女の返事はなかったが、その顔には柔らかな笑みが浮かんでいた。