《プロローグ》
* * *
「君、そんな所にいたら危ないよ」
月明かりの下、男の声が穏やかに響く。
しかし、それに答える声はない。
「君だよ君、そこの猫を連れた幽霊少女」
そう声をかけられて、少女――佳菜依はようやく声の主を振り返る。
「……見えるの?」
「当たり前だろう。ここをどこだと思っているんだい」
「尾柄木神社」
佳菜依が答える。
形ばかりの神社ではなく、神職に就いているのは霊力を持っている人だけ。本格的な邪気払いだけではなく怨霊を退治する依頼も受け付けてくれるため、そういった方面で重宝されているという。
「ここの人たちはね、幽霊を見たら相手構わず強制的に上に送っちゃうような人たちばかりだから、気を付けないと駄目だよ」
男の歳は二十五か二十六くらい。どうやらこの神社に住み込んでいるらしい。服装は正装ではなく、白地に紺の和柄模様が入った浴衣と、青藍の羽織を身に着けていた。髪は男性にしては長く野暮ったい印象で、体型はひょろりとしている。
声をかけられる直前、佳菜依は神社の蔵に無断で押し入ろうとしていた。
男もそれはわかっているはず。けれど、侵入を咎めるようなことは一切口にしてこない。それどころか柔らかな表情を浮かべて佳菜依を見つめている。
対する佳菜依も、逃げる素振りはまったく見せない。
「貴方はそうしないの?」
焦りも動揺もない、のんびりとした調子で問いかける。
「僕かい?」
男が軽く首を傾けた。
「そうだね、僕はそういうのがあまり好きじゃないんだ。だってさ、相手構わずとにかく上に送れば良い、みたいな考えは理不尽だと思わないかい?
当人は良いことをしているつもりかもしれないけれど、送られる方は堪ったものじゃないよ」
自分がそうされるわけではないだろうに、男はまるで自分のことのように言う。
「……貴方って、変わってる」
そう佳菜依が呟くと、男は緩やかに微笑んだ。
「君には敵わないよ」
――彼は、佳菜依が幽霊になってから話をした二人目の人だった。
* * *
第二章は、佳菜依の過去編です。
また違った雰囲気のストーリーをお楽しみください。