芽生える気持ち
「卓也はさ、昔っからあるの」
買ってもらったアイスを舐めながら、隣に座る卓也へぽつりと問う。
卓也はきょとんとした顔で小さく首を傾けた。
「霊力……前からあった?」
「ああ……。うん、あったよ。ただはっきりと見て取れたのは門宮さんが初めてだけど」
卓也がほほ笑みながら答える。
「ふうん……」
アイスを食べ終え、残った棒を顔の前でぶらぶらと揺らす。棒越しに見える空は橙色に染まりかけていて、そろそろ帰らなきゃいけない時間だなとぼんやりと思った。
白里卓也とわたし、門宮佳菜依は数日前に知り合った。
きっかけはとある交通事故。
信号が青に切り替わり、卓也が横断歩道を渡ろうとしたところに信号無視の乗用車が飛び込んできた。後から聞いた話では、運転手は徹夜明けの走行で随分と微睡んでいたらしい。
(本当はもう上に行こうかと思ってたんだけどな……)
少しだけ顔を動かして、そっと卓也を覗き見る。
やりたいこと、やりたかったこと、思いつくことは全部やりきってあとは昇り逝くだけとなった時、思いがけず卓也と卓也に突っ込んでいく車を目にしてしまい、ついつい助けてしまったのである。
霊力を使って車の軌道をずらした結果、卓也にぶつかるはずだった車は誰も居ない歩道に乗り上げ、横倒しになった。咄嗟の行動だったので自分でもかなり驚いたけれど、大きなけが人はいなかったそうなので、ほっとした。
そのあとすぐに上へ行けばよかったのだけれど、なんとなくまだここに居る。
わたしは未練がなくなったことで上へ行く道が見えるようになった。上に行こうと思えばいつでも行ける。
だからこそ頭に過ぎった。“それなら、今行かなくてもいいんじゃないかな”って。
わたしの姿を見ることができる男の子と、もう少しだけ話をしてみてもいいんじゃないかなって。
「それにしても……」
アイスの棒を振っていた手を止め、卓也の顔をじいっと見つめる。
「卓也って不思議よね。わたしとこうして普通に会話しているし。幽霊なんて放っておけばいいのに」
「君と話をしたらいけない?」
卓也が首をかしげた。
「そう言うわけじゃないけど……」
少し困惑しながら答える。
傍からみれば一人芝居をしているようにしか見えない状況にもかかわらず、卓也は全く気にかけていない。人が通る道から多少距離をとってはいるものの、普通は小声になったり周囲を気にしそうなものなのに。
「にゃー」
不意に聞こえてきた鳴き声に、卓也が振り返る。
「ワン子?どうしたの?」
卓也が灰色の猫に声をかけたことで、今度は佳菜依が首をかしげることになった。
「“わんこ”って……猫、よね?」
「うん。僕の猫の名前」
なんでもないことのように、さらりと言う。
卓也の足元まで寄ってきた猫をじっと見つめるが、やはり名前と見た目が合致しない。
ちいさな体に、お尻の上で揺れるフルテイル。くりりとした目に細い瞳孔。どう見ても猫でしかありえない。
「でも、猫に“わんこ”って妙じゃない?」
「だって犬に“わんこ”じゃそのまんますぎて変でしょ?」
猫の頭を撫でながら、またさらりと言う。
……うーん、犬にわんこと付けた方がまだ様になるというかかわいげがあるというか……。
「どうしたの?」
「……別に」
何がそんなに気になっているのかわからない、とでも言いそうな面もちの卓也に対し、佳菜依は少しだけ頬を膨らます。なんだか悔しい。
「そう?」
卓也は言葉とともに口元を綻ばせ、「ふふ」と笑った。
わたしは思わず目を見張る。
それはとてもきれいな笑みで、
そして、わたしの心をつかむには充分すぎる笑みだった。