月割り
突如、霧が晴れ、先程まで猛威を振るっていた筈の魔の森がすっかり消えていた。眩しく、燦々と照りつける太陽がレバートたちの肌を焼く。
誰かの足音。ザクリと雪に埋もれる音。レバートが下を見ると、これまた目映い、一面の銀世界が広がっていた。通りで眩しい訳だと納得するレバート。
コートを着ているレバートはいいが、作務衣に簡易な鎧をつけただけの鍛炉と、上半身は殆ど裸の上にマントをつけているも同然なロジェラは急な温度変化に驚く。
「アベンジ・ヌスク、ちょっと借りますよ」
聞こえる筈のない女性の声。喉をも切り裂くような寒さに似つかわしくない暖かな春の陽射しのような声だ。
雪上とは思えない速度で過ぎ去る白い人影。青みがかった白髪の戦乙女は、その長大な弓に深紅の凶槍をつがえていた。
弓を限界寸前まで引き絞り、その切っ先を天上へと向ける。そして、地上の生物を嘲り嗤うような狂気的で凶暴な笑みを浮かべた狂騒の禍月へ、宣戦布告。
「墜ちると言うなら、退かぬと言うなら、貫くまでですッ!」
答えはない。当然だ。が、その場の全員は目を疑うことに、禍月はその笑みを更に深く、凶悪な形相にした。
そもそも、月に顔があるということ自体が異常現象なのだが。それをスルーできても、流石に此度はジギルでさえ目を見開かずにはいられない。
だが、当の宣戦布告した当人だけは、不敵に笑う。
「神をも、撃ち貫け!」
※※※※※※
数分前
「ヤアヤア、元気かナ?」
「……貴女は!」
華奢な笑みを浮かべて唐突に現れたのはゲレン。明朗快活な少女のような見た目をしているが、これでも神の一柱だ。だが、そんなことを知らない聖女は不信感を抱き、警戒を露にする。
「……凉白、誰ですか?」
「凉白ちゃん、いいヨ。ボクは自分で挨拶したいからネ。ボクはゲレン。遊興の神ゲレン。聖女ちゃん、キミの名前は?」
「中立神ゲレン!」
ゲレンは公的には魔族側にも人間側にも属さない中立の神だ。故に、人間の間では神格扱いはされるが、あまり信仰はされていない。
とはいっても、仮にも神の一柱。聖女のような敬虔な聖職者からすれば、尊敬してしかるべき存在であり、敵意を向けるなどという無礼はあってはならない。
「し、失礼しました。神ゲレン。私は……」
信仰する神々ではないので様付けはしないものの、態度を改める。だが、そこで言葉がつまる。
両親に付けられた本当の名を名乗るか、神託者に付けられ、聖女として広まった社会的に見た自分の名を名乗るかで迷っている。
「ゆっくりでいいヨ。ボクは神だ。例えキミがどんな選択をしたとしても、ボクはそれを祝福するヨ。だから、胸を張って、顔を上げて、自分の思うままに答えればいい」
華奢な笑みから一転、慈母のような笑み。優しく包み込むような声。少女のような見た目だというのに、母性を感じる声。
沈黙が流れる。だがゲレンは待ち続けた。
「私はメルヘリア。メルヘリア・エイーン。ちょっぴりだけ呪術の得意な、ただの農家の一人娘です」
肩肘張った、聖職者として被っていた仮面を脱ぎ捨て、村娘らしい、年相応の笑い方をする。
この日、この時、メルヘリアは聖女を辞めた。ちょっと違えば、蝶が少し羽ばたけば変わったかも知れない未来。きっと分岐する世界もあるのだろう。
人類の希望の星である聖女を辞めると言うことは、即ち、人類を見捨てるという宣言にも等しい。聖女という立場の重みは一番よく知っている。きっと誰かに無責任と言われるだろう。
だが、聖女は、いや、メルヘリアは、人類よりも、産まれてきたことを聖女としてではなく、ただの人間として、可愛い娘として祝福してくれた両親を採った。
「じゃあメルヘリアちゃんだネ。よろしくネ♪」
「はい。よろしくお願いします」
罪悪感と聖女の重責は、少し目から溢れた真珠と共に捨て去り、ここに聖女は死んだ。
「それは良かったですが、ここに来たと言うことは、何か用があるのでは?」
「大丈夫。余裕を持って来たから、まだギリギリ間に合うヨ。ボクは基本的に未来を見ない主義なんだけどネ。今回は何故か直感が見るべきだと騒いでネ」
絶望を見た。地獄を見た。先程から脳を圧迫してやまないのは、瞳に映るのは、何も出来ずに命が世界から溢れていく悪夢だ。
「端的に言うと、月が墜落して世界の三分の一くらいが吹き飛んで、時間が経てば再生するけど、魔の森に覆われて世界の四分の一が使い物にならなくなる」
「……月、月の神、アルセナ……様。が何か関係が?」
聖女という職と決別しても、未だ様付けは抜けないらしい聖女の問いに、ゲレンは神妙に首を縦に振る。
「凉白ちゃん。これはボクの勝手な我が儘。お節介が招いた失態をキミに尻拭いをしてくれと言っているようなものサ。命は保証できない。それでも、頼みたい」
命の安息を取るか、世界の命運を取るか。正に究極の選択だ。だが、実際には選択肢はない。世界の三分の一が消し飛ぶというなら、大陸ごと魔国も吹き飛ぶからだ。
無論、凉白の速度でなら今から大陸から逃亡することも不可能ではない。しかし、仲間と王を見捨て、育ての親を置き去りにすることができる程、凉白の心は冷めてはない。
殆ど強制だ。ゲレンは遊興の神。駆け引き、心理誘導、外堀埋めは自らが司る領分。得手中の得手だ。商売の神でもない限り、出し抜くのは到底不可能だ。
卑怯と言われようとも、そんなものは神の御前には些事。そよ風に過ぎないと割り切り、世界を守護することに全力を尽くす。それがゲレンの覚悟だ。
その強制がいい意味で働いた。覚悟を決める後押しになった。
冬とは過酷にして冷酷な絶界。孤独にして寂しき柩。停滞と死をもたらす残忍なる死神。
事実である。だが、それだけではない。清々しい冬の晴れ空を見たことがあるか?乾燥した夜に、美しい夜景と星々を眺めたことがあるか?
冬とは凛として美しく澄んだ季節である。それを、冬眠の末、凉白夜空は取り戻した。
※※※※※※
深紅と白銀が混じりあった一射が、大空を駆け抜ける。煌々と輝く太陽に照らされ、祝福され、光の軌道を残しながら月へと向かう。
光の尾を引くそれはまるで流星。銃弾よりも速く、大空を飛翔する深紅の槍は最早弓矢というよりは対空砲。最も、隕石を穿てる対空砲など常識外にも程があるが。
その槍は、狂騒の禍月の眉間を過たず穿つ。禍月にヒビが入る。そのヒビに染み入った氷が弾けることで、更にヒビが拡大する。がしかし、月は巨大。大亀裂と言えども、月を砕くにはまだ足りない。
「凉白、レバート、ヤーレアは月を壊せ!残りはオレに続け。今こそ神を殺すぞ!」
息も絶え絶え。それでも号令は響き、皆駆け出す。最後の勝負。命を削って戦っている。
「貴様ら、月を砕けるか!?……いや、この際可否は問わぬ。砕け!さすれば我が全霊に賭けて月を消し去ってやろう!」
ヤーレアの怒号が走ると共に、彼の周辺に魔力が集約している。凉白もレバートも返事はしない。準備をしているヤーレアの耳にはもう、如何なる音も入らない。
ただ、レバートは報復するだけ。恩には恩を、仇には仇を、そして信頼には信頼を。大盾をスノーボードに雪の上を滑り、爆発を起こして一気に跳躍する。
凉白も精製した氷を滑ることで助走をつけ、丹田に力を込め、略直角のスキージャンプで飛び上がる。
だが、距離はまだ足りない。レバートは追加で爆発を起こし、大盾を蹴り棄てて弾丸のように飛ぶ。凉白は空中に発生させた氷を足場に軽業のごとく、速度を落とさず、むしろ上げてかけ上がる。
拳に纏った氷のボクサーグローブが煌めき、月の重力の加速も込めた拳が、禍月のやけに整った鼻をへし折り、破壊した。
大岩がガラガラと音を立てて崩壊し、空気抵抗が少ないため、月よりも速く隕石のように降り注ぐ。
地にクレーターをその終生と共に刻み込むと思われた、凶悪な質量兵器にもなりうる岩の数々だったが、一陣の風が吹き、塵と化した。
ヤーレアだ。ヤーレアの風が宣言通り岩を消し去ったのだ。それを見届けた凉白は、亀裂に更に氷を流し込む。だが、全体に比べればまだ少ない。
「ならば、中央から壊すしかない!」
月に到達したレバートが、禍月の眉間に突き刺さったアベンジ・ヌスクを蹴った。衝撃波が走り、月を更に壊す。
槍の先端から直線上に放たれたエネルギーは月の中を一直線に駆け、砕いていく。だが、まだ足りない。
硬貨を同じ硬貨にぶつけると、ぶつけた硬貨はぶつけられた硬貨のあった場所で止まり、ぶつけられた硬貨だけが進む。それと同じように、槍は月の表層に留まった。
「まだ、まだァッ!」
破城鎚を振り抜き、槍の石突きを叩いた。大地に突き刺さった槍を上から叩くなど、槍を潰したいのかと思う愚行。だが、アベンジ・ヌスクはレバートの知る限り史上最高の武器。最強の相棒。
「行ッけええええぇぇぇぇ!」
───ガゴンッ!
声援を背に、轟音を立て、深紅の槍は月の中核へと真っ直ぐに突き進んだ。立ちはだかる岩盤を轢殺し、重力もあって、丁度月の中心に突き刺さる。
「破ぜろ。汝、その恒星の寿命に終止符を。【超新星爆発・黒陽】ッ!」
アベンジ・ヌスクはレバートの黒陽の焔によって鍛えられた槍。黒陽の力を秘めたそれを中心に、大爆発が起こる。
小さな、小さな恒星の終わりだ。擬似的な物とはいえ、月の中で圧迫され、爆発したそれは月を砕くには充分すぎる。
閃光がレバートと凉白ごと、月を吹き飛ばした。だがしかし、
「月が……再生する、だと!?」
大嵐の準備をしていたヤーレアが驚きの余りに目を見開く。高等教育を受けていたレバートには心当たりがあるが、この世界の人々からすれば考えられないだろう。
「自分達の重力で引き合って戻ってるのか!……それにしては非常識な速度だがなッ」
普通はもっと時間をかけてゆっくりと引き合う筈である。そも、地球の重力に引かれる方が先だろう。だとうのに、急速に再生する禍月。
「フハハハハ。キャハハハハハハ!ワタシを殺しても無意味!我が禍月は世界を滅ぼすぞ!貴様らの万策はここに尽き……」
アルセナの壊れた笑い声が絶望を誘う。レバート、凉白、ヤーレア以外はジギルが神殺しに向かわせた。この人数でもう一度の禍月の破壊は不可能。正に万策尽き……。
「いいや、尽きてねぇんだよなァ。これが♪」
アルセナの声を遮る俊足の迅雷。凉白が残した軌道を駆け上がり、ほんの数秒で上空へと至るは、この場で唯一ジギルの命令に叛く男。
白と黒、相反する光を纏う剣を振り上げる男。禍月にも劣らない狂気的でサディスティックな笑みを浮かべた男。あと一歩足りない彼にレバートは告げる。
「俺を、踏め!」
「了解ィッ☆」
レバートは爆発で墜ちるスピードを相殺し、強固な足場となる。【硬化】と【鬼気】で充分に固められたレバートの腹を、踏み抜いた。
防御をとり、受けるタイミングを完全に理解していたというのに、肋骨を折られる。折れた数は五本。その内の二本が肺と胃に突き刺さり、吐血する。
が、男、ロジェラはそんなことを気にせずに、正面切って禍月と向かい合う。
「魔剣展開、極剣解放ッ。聖と邪よ、ここに顕現しろ。【聖邪輪舞・極魔顕現】!」
輝く一対の剣が、縦横無尽に振るわれ、未だ完治していない月の切れ目に入り込む。亀裂に沿って月が細分化される。
きっと、ロジェラ一人では、いくら【規格外】でも不可能だった。が、凉白やレバートの生み出した破壊痕を活用することで、見事、月割りを成してみせた。
「神殺しって響きも悪くなかったが、月割りってのもいいなぁ!クハッ☆世界を救った大英雄ロジェラ様ってなぁ♪」
禍月がその表情を嘲笑から悔恨に変える。それを嘲るようにロジェラが禍月に語り掛ける。
「さて、よくやったと誉めておこう。禍月よ。消滅の時間だ。貴様が現世に存在したという痕跡すら残さず消し去ってやろう。【死」の風】、嵐となれッ!」
風が駆けた。それはレバート、凉白、ロジェラを見事に避け、ただ触れた月を消し去った。風に触れられた瞬間、岩がボロボロと崩れ、塵となり、無に帰す。
ものの数秒で、禍月は跡形もなく消え去った。虚しいアルセナの笑い声が響く。燃え尽きた神は涙と共に笑っていた。
「仕留めるぞ。ロジェラ!」
「アベンジ・ヌスクだったか、回収しといたぜ?」
「それは有り難い。が、そのもう一本の槍は?」
「これな。グングニル。持ち主が魔の森でくたばってたからパクってきた♪グラムが壊れたし、ディュランダルもちょっと休ませたいから使うわ」
他の高レベルの魔剣類と同じく、グングニルも持ち主を選ぶ武器。それなのに、即座に持ち主として認められるあたり、【規格外】のスキルは本当に異常極まる。
魔の森の影響で避難していた者以外の王国民はことごとく死に絶え、勇者もレバートとロジェラを除くと、片手で数えられる程度しか生き残っていない。
そして、その生き残りすら、墜ちる禍月に絶望して動けなくなっていた。いまや茫然として、雪の上の点になっている。
「行くぞ。駆けろ、アベンジ・ヌスクッ‼」
「クハハハッ♪さぁ飛べ、グングニル!」
※※※※※※
「聖女、貴様、殺されるなよ!貴様が殺されれば今まで進んでいた計画がご破算になる」
「魔王、誠に勝手ながら、聖女は辞任しました。いまやただのメルヘリアです」
「メルヘリア。足は引っ張ってくれるな。精々閉じ籠って……ッ!?」
魔の森が消されても未だ残る大樹から放たれた攻撃を、ジギルの防御に先立って陽炎が焼き払った。
「太陽の権能は確かに彼らを強化しますが、それは上位存在であるという証明でもあります」
「ハッ。言うではないか。では、王として貴様にも命じよう。着いてこい。先ずはあの神からあの大樹を引き剥がす!」
「貴方に命令されるのは癪ですが、仕方ありませんねッ」
魔王と元聖女。魔族最強と人族最強が手を組む。【陽光ノ魔眼】に魔杖ルシファーを接続、太陽の権能を魔杖ルシファーの力で増幅、そして凝縮。より効率的な運用を試みる。
更に魔杖ルシファーと宝剣を接続。宝剣を砲身にし、宿る強化と放出の能力を持って、その切っ先から太陽のエネルギーを打ち出す。
「其は日の力。魔眼よ、呼応せよ!」
「【圧縮】。砲身疑似展開、【宝剣解放】!」
「合わせるぜ、【神鳴雷凰】、【爆裂槍】!」
線のような白の光が、あれだけ堅牢だった大樹を易々と貫く。その通り道を逆サイドから電流が走り、更に孔を拡大する。
だが、圧縮した影響で最初に穿った孔は小さく、いくら神鳴りの力でも、爆裂槍を何本も打ち込んで広げようにも大樹を断ち伐るには至らない。これでは何時まで経っても破れない。
「貴方、折角の機会を……!」
「案ずるな、メルヘリア。……【圧縮解除】、汝、其の威光をここに」
圧縮状態が解除され、その姿を顕したのは紛れもない太陽。宙に浮かぶメルヘリアが出したものや、レバートの創る紛い物の黒陽などではない、小規模ながら、本物の恒星他ならない。
解放と同時に、ジギルの瞳が輝く。近くにいたメルヘリアと鍛炉、自分を宵闇で包み、この空間を丸ごと、宵闇で周囲一帯から隔離した空間に仕立てあげる。
観察していたゲレンは、光を操作することによって自分だけは、しれっと太陽の光から逃れている。
大きさこそ異例の小ささだが、その重力と放射線による汚染能力は顕在。宵闇で遮断しなければ、月が墜ちるよりも甚大な被害をもたらすことになる。
世界を守るための戦いで世界を破壊するなど言語道断。だが、いくらジギルでも魔法の連続使用、魔眼のサポートありきとはいえ太陽の顕現と制御をすれば疲労もたまる。
その上、この宵闇ノ魔眼の全力使用。全身から力が抜けるような虚脱感を感じる。だが、まだ終わりではない。焼き尽くせども神は顕在。隔離空間の外では九十九とカイザーがアルセナと対峙している。
「……ここで、無様にもくたばるわけにはいくまい!……うぐっ、ア、ァ゛Ga、……ア゛ァァ゛gaAaacaハッ!……はぁ、はぁ、カハッゴホッ!ハァ……ッ。」
歯を食い縛り、腕で胸を貫き、自らの心臓に爪を突き立てることによって気を保つ。効果上昇のために神経を過敏にさせる禁呪を使っているため、想像を絶する苦痛が自らを襲う。
「な、何を‼正気ですか!」
「フッ。……これで、よい。痛覚を遮断していた普段では味わえぬ感覚だな。【神経研磨】を使用した甲斐があるというものよ」
「あ、貴方、本当に……馬鹿でしょう⁉揃いも揃って英傑たちがこんな阿呆に使えているとは嘆かわしい!」
「存外、レバートや凉白のことを認めているのだな。何、我が全霊を持って神々を殺すのだ。そのためならば代償の千や万くらい、背負ってやろう!」
【神経研磨】は元々戦闘時の敵察知及び行動補正用に開発されていた魔法。神経を過敏にし、研ぎ澄ますことによって相手の居場所や手を読み、更には反射神経の速度すら上昇させることが本来の目的だった。
が、神経研磨では肌感覚を含めあらゆる感覚を研ぎ澄ますため、少しの痛みでも異常な苦痛を感じることになる。
その上、神経を過剰使用することは神経の寿命を磨り減らすことに繋がり、長期間使用すれば感覚が犠牲になる。故に、メルヘリアは避難したのだ。
「ハッ。だが見よ、大樹は燃え尽きた!うむ。月の方は今や防御も攻撃も鈍い故に問題ないと判断していたが、カイザーも九十九もよくやっているな」
宵闇の空間から森の神が解放された瞬間、彼の髪と同じ深緑の魔槍が彼を刺し貫いた。
※※※※※※
朱と深緑の魔槍が轟音と衝撃波を撒き散らし飛ぶ。朱の魔槍はただ直線上を。深緑の魔槍はガクガクと進路を変えながら。
アベンジ・ヌスクがアルセナを、グングニルが森の神を貫いて殺す。されど再生する彼ら。だが、その速度もいまや鈍い。
「毒が回ったな、神々よ」
「太陽の権能を持って命ずる。神々よ、堕ちよ!」
陽光が差し、短剣が彼らを蝕むと、目に見えて明らかに神々が弱体化する。それは致命的な隙だ。
「死の嵐、そこは地獄也!」
「グングニルゥッ!」
「憤怒の炎よ!」
「凍土絶界、閉じた世界にて死に絶えなさい!」
全てを蝕み灰に帰す風が、独りでに動く槍が、黒く濁りきった憤怒に燃える炎が、絶対零度の氷雪が、神々を隔離した。
「あぁ、危険だ!貴様らは余りに危険だ!我が命脈は尽きる。が、我が仔らは残る。芽吹け、そして繁栄せよ。嗚呼、頼みました。太陽神様。貴方様ならば、必ずや……」
死期を悟った森の神が爆散した。鳳仙花のように、弾けるとともにその種子を空へと撒き散らして。
森の神は花のようにその命を終えた。だが、次代に繋ぐ。たとえ自分は破れども、生存競争には破れまいと。
種子は蒲公英のような綿毛で空を滑空する。一つ一つが、災厄の魔の森を産み落とし、大地に巣食う汚染兵器だ。
「往生際の悪い。だが、我が風であれば……ッ!?」
空を飛んでいたはずが、地面が空を埋め尽くしている。反転した視界。認めるしかない。
「落ちている!?……体がッ。……クッ、不覚をとったか。この吾としたことが、引き際を見誤った」
死の風は相手を死滅させる。が、それは扱いに失敗すると、敵ではなく自らを死滅させる諸刃の剣となる。
いくら空気で包みやすいように細かく切り裂かれ、破壊されたとはいえ、常識的に考えて、月を丸ごと消し去るなどという大偉業がなんの対価もなしに出来る筈がない。
ヤーレアさえも無意識の内に、自らの深奥にして根元、即ち魂から力を引き出していた。つまりそれは、魂を削るという行為に他ならない。
魂を削りすぎた影響で思うように体を動かせなくなり、最早今の記憶や感覚すら曖昧になる。輪廻転生の円環からも外れ、彼に死後の未来はない。
レバート、凉白、ロジェラ、メルヘリアは魔力切れ。鍛炉の手元に有用な魔剣はなく、カイザーは対人の技ばかりで、大規模破壊の業を持たない。
頼りの魔王は神を確実に殺すための準備をしており、生き足掻くと思っていた神が殉教するのは全くの予想外だった。今さら術を中断するわけにもいかず、対応しきれない。
「この数はちょっと、不味いネ」
「……なんの、憤怒の炎で。真の英雄は目で殺す!」
だが、その発動を制される。制した相手をギリギリと睨む。
「止めろ、レバート。死ぬぜ?テメェとは再戦の約束があるからなぁ、世界がどうなろうと関係ないし、そりゃ止める」
ボロボロながら、酷使によって全く動かない腕を引き摺って歩いてきたロジェラがレバートを止める。
「……ッ!ッ───‼」
「口から言葉も出てねぇ分際でよくまぁ動く気になったもんだ。それでこそ、ライバルに相応しい♪……でも、限界だろ?」
事実だ。ロジェラはレバートの全てを見透かしている。それでも動こうとするレバート。が、ロジェラに意外な賛同者が現れる。
「あぁ。君が動く必要はない。私が片を付けよう。年長者の出番を奪わないでくれ」
少しレバートに笑いかけた後、すぐに走り去る影。ぼろ布を巻いただけの鬼はそう言って駆け、落下するヤーレアを受け止めた。
「我が生涯のライバル、ヤーレアよ。偉大なる我等が嵐の王よ。……後は頼んだ」
そう言ってヤーレアをゆっくりと地上に降ろす。そして、直ぐに上空へと駆け出した。
「どうやら我等が王には休息が必要らしい。王の休息の間に仕事を片付けるは臣下の務め。いざ、参る!」
自らの角を折った。角が折られたオーガは半人前。角がないオーガはろくでなし。部族の誇りたるその立派な一対の角を頭部から千切り、一本を自らの胸に突き立てた。
「神々よ、オーガの秘法を御照覧あれ!【鬼気】よ‼」
エネルギーをオーラのように纏い、自らの能力を向上させる鬼気。それを全力で、対外に向けて放った!
空気とは違う何かの爆発が起きる。煙も炎もない、透明な爆発。彼の津のと同じ白の爆発。
つまりは、自爆だ。
「貴様が命を賭けて次代をこの地に芽吹かせようというなら、それに応えよう。貴様の仔らが世界を渡ることを、私は、俺は!この命に、全身全霊に賭けて阻止しよう!」
白い気が陽光を反射し、光となる。陰の存在を消しながら広がるそれが、数百数千無数の小さな種子群を消し去った。
眩い光が去った後、そこに鬼神はいなかった。九十九の体は消え去り、使われることのなかったもう一本の角だけが、からんからんと音を立てて落ちる。
呆然。愕然。時間遡行などという裏技を使用しておきながら、完璧な結果を叩き出せなかった。その事実が全員に強く、重くのし掛かる。
「魔王、何を呆けておる!彼奴を、月の神を殺せ。そのために準備をしておったのであろうが!」
喝ッ!ヤーレアの怒号が響く。よろめきながらも歯を食い縛り立つ彼の姿には確かな威厳が存在した。
友の死に対し非情?……否。苦しみも悲しみも今は乗り越えねばならない。だって彼は、託されたのだ。
『後は頼んだ』
たとえ、一方的な請願でも、部下にして無二の友から頼まれたからには、託されたからには、成し遂げなければならない。
それが礼儀にして彼なりの流儀。上がらない腕を上げ、片手で蛇腹剣の震える切っ先を月の神に向け、叫ぶ。
「【エア・プリズン】!空気よ固まれぇ‼」
エア・プリズンと一口に言っても、空気を使って相手の行動を制限する魔法、スキル全般の総称であり、その実態は使用者によって大きく異なる。
例えば嵐の格子で触れたものを弾き、切り刻むことで脱出を防いだり、雑な例なら、小規模なハリケーンの中に相手を突っ込むというものもある。が、今回のエア・プリズンは規格外。
月神アルセナを中心とした半径2mの空気の粒子が空間座標に固定される。粒子の動きがなくなるということは、固体の中にいることと同じか、それよりも酷い。
周囲だけではない。体の中の空気も固定されている。神ゆえに、呼吸不能という通常生物には致命的な問題は関係ない。
が、口の中、喉、肺の中、の空気が全て固まっているため声がでない。体内の空洞にある空気、体外の空気のどちらも動かないため、口どころか全身が動かない。
ただし、この魔法は一秒維持するだけでも莫大な魔力を喰う。空気に指向性を与えて押し出し、動かすことに比べ、空気の粒子の一つ一つを止めることの難易度は桁違い。その分、魔力を損耗する。
ありんこ一匹を捉えるならまだしも、人間を丸ごと、対角線2mの立方体の中に捉えとなると、ジギルでも十数秒が限界。魔力が底をついているヤーレアが出来る筈がない。
だが、やって見せている。ピキリと体の中から音がなる。致命的な音。魂の限界を告げる音。
今は体という器に押し込むことで魂の形を保っている。が、輪廻転生どころか、死した瞬間に魂は滅亡するだろう。
「……生命を喰らえ。夜の帳にて覆え。【宵闇】」
次回、たぶん最終話。




