聖女誘拐
カンッ、カンッ、カンッ、カンッ、カンッ。
響く金属の打ち鳴らす音。
そこは熱気に溢れていた。
打ち手は独り。ただ素材に向き合い、命を賭し、そこで鎚を振るっている。
夢想するは究極の頂。
腕の疲労は限界を越える。
それでもただひたすらに振るう。
ただ一つ、確かに言えるのは、戦闘を控える今、常識的に考えて行うようなことではない。
だが、常識などかなぐり捨て、全てを費やし薪にくべてやっと、その頂に手を掛けることができるのだ。
相槌を打つものが入れば頂には到達出来るかもしれない。
いや、実際に到達した。
アベンジ・ヌスクを始めとする数々の武具。
黒き復讐の炎に燃ゆる地下帝国にて製作したものは確かに頂へと到達した。
だが、だがしかし、それで満足などするものか。決して修練を止めない。
「……自分で、自分だけであの頂へ」
レバートとカイザーには見えなかった景色が、あの時の鍛炉には、二人には見えていた。
剣を焼き、水に沈める。シュワッと音を立て、百度を優に越える水蒸気が吹きかかる。
暑い。そして熱い。
だが、蒸気も湯気も気にせず、剣を見据え、適切なタイミングで取り出す。
直ぐに最終工程、研磨に入る。総数十五種類もの砥石と二十もの金属ヤスリで磨きをかける。
ここで一つ、大きな問題がある。
削れない、磨けないのだ。
余りに頑健に造りすぎたソレはヤスリや砥石すら受け付けない。凉白程の腕力があったとしても研磨は不可能だ。
それでも諦めず、丁寧に武器と向かい合う。
武器の声なんて聞こえない。
金属と対話なんてできない。
そう物事は都合よくはいかない。
頼りになるのは自分自身のみ。
研き上げた技術と体、そして勘。それらを総動員してやっと少し磨ける。
幾ら時間が経っただろうか。
もうゲレンの急造した世界は崩壊を始めている。
それでも鍛炉は磨き続ける。一心不乱に研ぐ。
「製作、完了」
※※※※※※
「見事だな」
「気が散らないようにっつー気遣いは感謝するんだが、さてさて、王様が何の用だ?」
「レバートと凉白はメンタルケアが必要だったが、貴様には無用か」
「そもそもオレは負けて悔しいってあんまり思わねぇからな。いや、オレの武器が通じなかったのはクソ悔しいがよ」
鍛炉は鍛治師であって戦士ではない。戦闘に元々適正がないのだから敗北も最初から念頭に入れている。
そして、鍛治師にとって技術の敗北とその悔しさは次への燃料であり、絶望する時間はただの無駄。少なくとも鍛炉はそう考えている。
「というか、見た感じ凉白はメンタルケア失敗してるじゃねぇかよ」
「フッ、そこは後の楽しみ、という奴だ。間違いなく、あやつは伸びるぞ?」
「そうかい。残念ながらオレの目は金属選定専門でな。そこらは分かんねぇなぁ」
柄も柄もない抜き身の刃を丁寧に布で拭く。
「こりゃ、打ち損じだな」
「ほぅ?そうは見えぬが?」
「この武器は神殺しで確実に使い潰して死ぬ。不壊不毀の領域にはまだ遠いってことだ」
「ふむ。神殺しなぞしておったら大概の武器は使い潰すことになると思うが、貴様は満足せぬと?」
当然だ。いや、正確に言うと満足などない。今見据えている不壊の頂ですら、一時の満足しにかならないだろう。
一時、ほんの一瞬満足し、粗を見つけ出し、次の一歩へまた歩み始める。永遠に。天の彼方の究極を目指して。
「魔盾ベルフェゴールは行方知らずだがな。……デュランダル、アレは一度だけお目にかかれた。機会があった」
キラキラと、少年のように鍛炉は顔を輝かせる。どれ程時を重ねても決して色褪せないダイヤモンドの思い出だ。
「アレに至りたい。……いや、嘘は良くねぇな。アレを越えたい!」
炉の炎を眺めながら拳を握り締める。
「だから、止まってなんていられねぇよ」
※※※※※※
教会 祭壇
ドォン───!
神聖なる祭壇ある儀式の間の扉が、あろうことか蹴り開けられた。流石に加減はしているのか、完全に吹き飛ぶ、何てことはなかった。しかし、鉄製の扉には見事にブーツの跡が刻み付けられ、ひしゃげている。
「何事ですかっ!?」
「敵襲か!」
だが、いるのは単騎。悠然と後光を背負って立つレバートのみ。
「レバート君!?」
「……いったい今までなにを、というかこの惨状はどういうことか説明してもらいますからね!」
学級委員長や級友の言葉を完全に無視。神の歩む道であり、冠婚葬祭などの特別なことでない限り通ることはマナー違反とされるど真ん中を敬意の欠片もなく、堂々と歩む。聖女の前まで。
「今更何用ですか?」
「神を降ろすなどという人任せここに極まれりというような儀式をするのだろう?見学に来たいと思っても不思議ではない筈だ」
「嘘が見え透いています。隠す気も更々ないようですが」
聖女の痛烈な指摘を、皮肉げな笑みで返す。
一歩、レバートが踏み出した。巻き起こるソニックウェーブ。風圧と衝撃波が儀式の間を徹底的に破壊する。
「……!?」
空間転移のようにも思える速度で聖女の目の前に移動したレバートは聖女の額に自らの額をぶつける。頭突き等ではない。記憶を流し込んでいるのだ。
彼女の惨たらしい死の記憶を。利用されて殺され、期待外れという理由で殺され、信仰してきた神に瞳を物理的に奪われた記憶。未来の記憶と観測した平行世界の記憶を。
「……え、──な、これは?……ウッ……」
レバートがすっと後ろに下がると、聖女が吐いた。自分自身が殺される追体験なのだから、気持ち悪いのも当然だ。
その記憶は、フェイク映像にしては余りにも精巧でリアル。本物としか思えない出来映えだった。
「ロック、解除」
───パチンッ
「……お父さん、お母さん?」
「───ッ!?」
「心当たりがあるみたいだな、神託者。大方、都合が悪くて貴様が封印した記憶とみた。聖女の言動から察するに、幼い頃の記憶といったところか」
聖水といわれても信じそうなほどに透明度の高い水が聖女の眼から流れ落ちる。だが、それを拭って聖女はレバートを強く睨む。
「この記憶が真実であれば、貴方はッ!」
「あぁ。そうだ」
「ならば、何故このような、自分に不利になることを」
「貴様に死なれては困るからだ。面倒なことにな」
思い返せば、月神アルセナは聖女の瞳を奪う前に殺した。殺さずとも瞳を奪うだけでいい。奪った後に殺してもいい。逆襲を恐れていたなら杞憂もいいところだ。眼球を唐突に奪われて継戦などまず出来ない。
つまり、殺す必要があったと考えるのが妥当だろう。何かアルセナには聖女を殺さなければならないだけの理由があった。
恐らくは魔眼の所有権だ。仮令その魔眼がマスターから離れても、奪われても、所有権はマスターにある。
例外はマスターの意思で魔眼を放棄し、譲った場合と、殺し、強制的に奪った場合の二パターンだ。
そして、アルセナは時間に余裕がなかったため、後者を選択せざるをえなかったということだ。
「ソレだけではないでしょう。態々こんな真似をせずとも、貴方やそのバックについている存在ならば私を眠らせておくことも可能なはず」
「……ただの老婆心だ。何、少しシンパシーを感じただけだ。俺と同じ境遇かと思ってな」
神託者と神に可食部を食い散らかされて利用され、遺棄廃棄された者同士な、と片目を瞑って、崩れ落ちた聖女を併睨する。
「……神託者や神に問いただしたいことは出来ました。それでも、私は人類を守護するものとして、貴方を許さない」
「そうか、残念だ」
そう言いながらも、レバートに残念そうな様子は全くない。
「我が儘に付き合わせて悪かったな。では、遠慮なく誘拐させていただく」
「言語道断、断固拒否で……す…………」
いつの間にやら出現し、聖女の背後に忍び寄ったカイザーが、彼女の意識を一瞬にして奪う。余りに速く、余りに華麗。誰にもソレを止めることは出来なかった。
倒れる聖女をレバートが受け止め、抱える。
「レバート、時間をかけすぎだ。今回は多目に見るが、次は陛下に報告する」
「感謝する」
衝撃に誰もが固まる。唐突に魔族が現れ、聖女の意識を刈り取り、レバートと会話している。言葉にすれば単純だが、計り知れない衝撃だった。
「レバート君、……君はいったい何を」
「裏切りか」
「そうだ。神託者、貴様が裏切りの引き金を引いた!俺を敵に回したこと、精々後悔しろ」
レバートが片眼鏡を弄る。すると隠されていた魔紋が、鬼のツノが、狐の尾が、岩の肌が露になる。
「魔族……?」
「レバート・マクロン、お前は!」
アナスタシア教諭が呆然とする中、一部の生徒、勇者たちはレバートに武器を突き付ける。ハリボテのような殺気とはいえ、勇者たちの過半数や教会の兵士からの殺気を平然と受け、逆に殺気で押し返す。
「……間違えるなよ。我が名はレバート・アーラーンだ」




