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今も、昔も、これからも

 寒かった。寒い日だった。


 裾もボロボロな服とサイズのあっていない綿の無くなりかけている半纏だけ。私は町の角で見捨てられて凍えていた。


 少し小さな手を伸ばすが、誰も気にしない。


 やませによる冷害と記録的な大雪、二代目魔王の無理な攻勢作戦による増税によって、不作凶作続きでありながら、食料、金、皆全て国が奪うこの現状では、捨て子など吐き捨てるほどいる。


 ほら、道の反対側にいた子が息絶えた。子供ながらにあれはもう駄目だと分かる。


 自分と似たような子だ。自分よりも少し年下か。ボロボロな半纏と毛皮だけで寒空の中放置されていた。


 忌むように蹴り飛ばされて放置された捨て子だ。


 憐れみはない。同情はする。


 ただ、自分もあぁなるのかと絶望が押し寄せる方が大きかった。


 こんなことするなら、産まなかったらいいのにねぇ。


 幼い子はいいなぁ。親の顔も覚えていないなら、こんなにも胸が締め付けられなくていいだろうなぁ。


 そんな中、マントだけを羽織って、寒くないのかなぁ。褐色の肌の殆どを晒した男が現れた。


 何の種族だろう。ごちゃごちゃで分からない。周りの大人とおんなじ立派な角もあるけど、翼や尻尾もある。


 死んだ子に寄っていって。頬をぺちぺちと叩く。


 無駄だよ。もう死んでるから。お伽話の魔法使いでもなかったら生き返らせるなんて出来ない。


 あぁ。私も死んじゃう。ただ、死んで行くんだ。アハハ。笑っちゃうよね。


 生きた痕跡も意味もなく死んで行く。


 忘れ去られて消えていく。


 私が死んでも世界は回る。嗚呼、何て、何て。


 カミサマ。そこにいるのですか。ならば是非、教えてください。私が産まれてきた意味を。一夜の過ちで産まれてきた、ただの望まれぬ子だったのか。


 それとも確かに望まれたのか。


 親の顔は覚えてる。親の声も覚えてる。でも感情が欠落して。死にかけで、記憶も曖昧になってきて。


 嗚呼、私が愛されてたのかすら分からない。何も分からない。


 せめて何か、生きた意味を……


 目の前で死んだあの子のようには、成りたくない。


 マントの人はまだ諦めてないみたい。可笑しな方。


 呼び掛けても答えない。だって死んでるんだから。当然なのに。ねぇ。


「ヤアヤア死に行く仔ヨ。元気カイ?てそんな訳ないか」

「……天の御遣い様?」


 私と同じくらいの、純白の服きた裸足の女の子。


 私は天使だと思った。でも、上手く声が出ないや。


「マァ、そんなところサ。喋らなくていいヨ。キミの気持ちは汲み取れるからサ。可哀想だし、死ぬ前のご褒美ダ。少しだけ生き長らえさせてあげるネ」


 可笑しな人。少しで何ができると言うの?ただ無意味に死ぬまでの猶予が出来るだけ。


「確かにそうだネ。……でもキミはみるのサ」


 何を?


「何をって?愚問だナァ。死ぬ前に見るんだヨ?」


 女の子は大きく手を広げた。


「そんなの、とびっきりの奇跡に決まってるじゃないか!」


 魂が見える。死にかけてるからかな。ふよふよと、女の子から抜けてた魂をマントの男が優しく詰め直した。


 コップにお水を入れるみたいに。お皿に料理を盛るみたいに。あまりに平然としていた。


 胸に手をふれて。そしたら手が体を浸透していった。


 心臓を優しく掴んで握って離して握って離して。子守唄みたいなリズムで。


 顎を掴んでそっとキス。そしたらぱっとあの子は生き返った。


 あれ、目が熱い。


 直ぐに冷たくなっちゃって、凍っちゃったけど、何か熱いものが流れ出た。


 お伽話の魔法使いって、本当にいたんだ。


 口付けでお姫様を死から救ったから王子様かな?


「あぁ。王子様サ。この世最も偉大なる王になる運命の、ネ」


 まぁ。王子様!ならちょっと、あの子のことが羨ましい。


「誰もあの子と王子様のことを気にしてなかった。だからボクとキミだけが奇跡の目撃者サ。サアサア歴史が変わった一時、この一瞬。ボクは永久に語り継ごう!」


 でももう満足。この一秒一瞬を生きれて、あんな奇跡を見れただけで、私は満たされた。この世に産まれてきて良かったって思えた。


「もう一人の奇跡の目撃者クン、今の気分はどうだい?」


 ありがとう。


 ありがとう。


 天の御遣い様。この光景を見せてくれてありがとう。


「それは良かった。わざわざ運命に干渉した甲斐があるってものサ。でも一つ訂正しておくネ」


 なぁに、天の御遣い様?


「ソレサ。ボクはゲレン。遊興の神ゲレン。御遣い何かじゃなくて、本物の神様サ」


 じゃあカミサマ。……ありが



※※※※※※



「ふむ。強大な魔力反応を辿ってきてみれば、こんな幼子とはな。しかしまぁ、酷い有り様よ。捨て子死体が山のように積み重なるとは、世も末よなぁ」


 ぺちぺち ぺちぺち


 ジギルが叩いてみても反応は帰ってこない。外気と同じ程冷めた頬は皮だけで、幼子特有の頬の柔らかさなど欠片もなかった。


「魂が抜けかけておるな。全く、霊魂への干渉は一歩間違えれば廃人にしかねんから厄介だというのに……」


 慎重に、白銀の色をした魂に触れ、ワレモノを扱うようにゆっくりと体に詰めた。


「あとは、心臓が動けばよいか。仕方あるまい。無理矢理掴んで動かすとしよう」


 暗殺の秘技を人助けに使う日が来ようとはなと、苦笑しながら心臓を揉む。


「危急の事態だ。許せ。魔力抵抗を落とせ。……と言っても分からぬか」


 抵抗されれば手が弾け飛ぶ。ジギルは慎重に、手を動かす。


「……酸素がなければどうしようもないか。逆に言えば脳と魔眼にさえ酸素が回れば問題ない。人払いの結界を張って……」


 そして、細やかな口づけを落とす。その際に、スッと息を送り込む。合わせて心臓を揉んでやれば、脳に血が巡り、天性の魔眼に血が巡る。


「ふむ。やっと息を吹き替えしたか」

「そうだネ。これなら問題ないヨ。ところでキミってロリコンの趣味が有ったのかナ?」

「───ッ!?……貴様か。というか、見ていたな手助けせぬか!」

「いや、ソレはキミの仕事だろ?神が軽々しく仔供たちの命を戻すのは御法度だからサ」


 さしものジギルも、自由奔放な神には頭を抱える。いや、彼女が相手では抱えざるをえない、というのが正しい。


「では、そこな死子に運命操作の気配があるのは気のせいか?」

「モチロン、キミの気のせいサ。何のことだかボクにはさっぱりだからネ」


 気にしたことではないと、幼い鬼と悪魔の間の子を抱えて立つジギル。


「その子、どうするの?」

「オレが育てても良いが……普通の親の愛と言うものを知るべきだろうな」

「ソレはキミの経験談?」


 一瞬、自分の半生の記憶が駆け巡ったのか、苦々しげな顔をする。親に殺されそうになって、殺して、死ぬ寸前で救われて。


「どうでもよかろう。オーガと悪魔の夫妻なら凉白家がよかろう」

「その夫妻が、この仔にとっての足長オジサンかナ?」

「足長おじさん?なんだソレは」

「支援してくれる人ってことサ」



※※※※※※



「まぁ、可愛らしい。でも、可哀想に。こんなに痩せ干そって。直ぐにヤギのミルクを温めさせましょう」


 夫に子供を預けて、パタパタと台所へ駆けていった。


「この子を養子に、ですか?構いませんが……この子には苛烈な運命が待っていると言うのですね」

「このオレに見出だされたのだからな。不幸と諦めてもらうしかない」


 凉白夫妻に子供を差し渡す。想像通り、妻の病気で子供がおらず、孤児院の支援をしていたほどの信心深い凉白夫妻は受け入れてくれた。


 ジギルが以前、夫の大怪我を治したことがあり、縁があったのだ。


「名は、どうしましょう。あるのですか?」

「魔眼を忌み嫌われて捨てられたタイプだ。名もつけられておるまい」


 吐き捨てるように言う。自分と同じ境遇の者を見て少し八つ当たりしそうになっている自分に気付き、自身を抑えようとする。


「まぁ、なら私達が名付けても?」

「構わん」


 妻が帰ってくるのを待ち、協議する。煌めく瞳が美しいとか、少し水色の味が入った白銀の髪が絹のようだとか。


「この星のような目、天の川のような髪、そして巡り会わせてくれた貴方様に因み、『夜空』と名付けましょう」 


 ジギルの人生を彩り、輝かせてくれるだろうと、



※※※※※※



「ハハッ。凉白夫妻が育ててキミが経済支援するならキミの方が足長オジサンじゃないか」

「そのつもりだったのだがな。ハッ、小生意気にもあの夫妻、このオレの経済支援を断りおった。本物の子として育てるから、そんなものはいらんとな」


「そりゃネェ。キミはまだ王様でも何でもない、一介の魔族サ。何れ運命がキミを選ぶ。その日まで、キミはキミであってキミ以外の何者でもない。まだ何者にも成ってないんだヨ。キミはサ」


 全く、何が言いたいのか分からない言葉で説明になっていない説明を行うゲレンを鬱陶しがり、手を振って何処かへ行けと追い払う。


「へいへい。何処にでも行きますヨ。頑張りたまえヨ、未来の王様?」



※※※※※※



「ふぅ。今日の学問、終わりました。お母様、お父様」

「どれどれ、見せてごらん。……魔術分野の所は特に良くできてるねぇ。でも礼儀作法の学習を疎かにしてはいけないよ?」

「……すみません」


 恥じ入るように、頭を下げる。ついつい、好きなことの勉強に熱が入ってしまうのだ。


 最近はある方に訓練をつけられていて、めきめきと自分が成長していることを感じられるのが嬉しくて、それ関連のことに傾倒してしまっているのは彼女自身自覚している。


「ハハッ、母さんは別に責めているわけではないと思うよ。誰にでも得て不得手はあるからね。ただ、そこまで強くなることに拘らなくてもいいんじゃないかい?」

「そうですよ、夜空。最近は弓道場に入り浸りで、手も女の子だというのにボロボロになってしまって……」

「うぅ……分かりました。気を付けます」


 段々と、夜空が焦り出す。正確性のない水時計擬きを矢鱈と気にする。老夫婦はその様を少し心配しながらも、微笑ましく見る。


「ふふっ。もう行っていいよ」

「はいっ!」


 パアッと、満開の梅のような笑みを浮かべ、使い込んだ弓と矢を引っ提げて駆け出す。


「全く、あの子に何で天は氷結ノ魔眼なんて与えたのかねぇ」

「氷だなんて似合わない、春の花のように明るい子だよ」



※※※※※※



「ハアッ!」


 氷の路を生成しながら矢が駆ける。矢によって縦横無尽に張り巡らされた氷の路を滑り、機動する。


「しゃらくさいわ!」


 炎が溢れる。立体に張り巡らされた路を舐め回すように炎が這い巡り、融かしていく。路が途中で断絶され、地に放り出される。受け身を取るが、肩に鈍い痛みが走る。


「ぐっ……。【氷壁】!」

「氷一辺倒で勝てると思うなよ?」


 獄炎の剣が振るわれ、融かし斬る。


「穿てッ!」


 そのタイミングを、僅かに斜線が開くギリギリのタイミングで剛弓を放つ。ジギルは冷静に叩き落とす。手が痺れた感覚に、凉白の成長を感じ、笑みを浮かべる。


 これならもう少しギアを上げてもいいかと、魔力を体に回す。空気が変わった。張り詰める。世界が塗り変わる。灼熱が支配し、氷なき砂漠の世界と化す。


 あまりの熱の暴力に、氷を出して涼もうとするが、何故か氷を作った瞬間霧散してしまい、一秒ともたない。


「氷が……出ないのですか?」

「ここはそういう世界だ」


 一番の特技を完全に封殺する空間という訳だ。ならば、己の五体を以て死地を切り開いて見せると意気込む。精神統一、矢をつがえる。


「スー───ッ」


 春爛漫の笑みなど存在しない。凛と美しい、冬の朝のような、張り詰めた弓の弦のような瞳が、静々と、しかし確かに煌めいている。


(言葉を鵜呑みにするとは……愚かな。別にこの世界、完全に氷の魔法を封殺する訳ではないのだがな。そも常識的に考えてそんな世界を一瞬で創れるわけがなかろう)


 凉白の愚直さは美徳だが、戦場では全くの無用の長物。ジギル自身は悠々と多種多様、様々な魔法を顕現させる。


 風は砂塵を纏い砂嵐を起こす。水は沸騰し、煮えたぎる。炎は爛々と輝く太陽の化身のごとく煌々と燃え上がり、雷は陽炎(かげろう)揺らめく世界においても疾く真っ直ぐに駆け巡る。


 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ。全て脅威、全てが危機。一つでも当たれば死ぬ。囲まれれば死ぬ。一瞬で殺される。然れど張り詰めた弦は微動だにせず、矢は一寸の狂いなくジギルを狙っている。


 蠍がミミズを喰らう。その蠍を蛇が丸呑みにする。弱肉強食の死の世界、それこそが砂漠。これは訓練だ。だが、ここでは命を賭けなければ為らない。


 自身の身命を賭し、全身全霊を尽くし、挑まなければ。自分に明日は訪れない。


 シィッ!


 矢が雷光のごとく駆ける。一矢入魂。二の矢はない。その前に


「逃げなければッ」


 ここは殺戮地帯(デッドエリア)。一秒の油断が死に繋がる。狙撃が失敗すれば撤退。特にこの世界においては定石中の定石。


「何処へゆく?」


 だが、魔王様からは逃げられない。炎が彼女を取り巻く。熱い。熱い。ただそれだけしか出てこない。寒さには慣れている。極寒の地であろうとも任務は遂行できる。


 だがこの暑さは何だ。筆舌も形容も要らない。ただただ熱い!


「まだ何も終わっておらぬぞ?」


 巨人の手。そこに顕現したのは、砂漠の砂で形成された、人も魔族も簡単に押し潰す巨大な腕。押し潰され、熱に焼かれる未来が待っている。ジギルはさぁ、切り開いて見せろと嗤う。


 抜刀。雪化粧のような純白の刀身が煌めく。


 全長10mはあろうかという巨大な隻腕を抜刀術の構えで一刀両断。大太刀の刃から放たれる剣圧が砂漠を割る。陽炎を斬る。揺らめきのない本来の砂世界がそこに現れる。


 感動はある。だがそれ以上に危機がある。光景への感動なぞにうつつを抜かしてはいられない。砂で形成された不定形の腕など、斬ったところでいつ何時再生するか分からない。


 直ぐに駆け出す。


 砂に足をとられる。遮蔽物のない砂漠で上空をとられているという状況に脊髄が警鐘を鳴らす。


 分かっている解っている判っている。このまま逃げてもなにもない。


「なら、立ち向かうしか、ないッ!」

「フハハハハ!その意気や良し‼」


 さぁさぁいざいざ大勝負。弓をつがえながら砂漠の砂を巻き上げ、疾駆する。砂漠での走り方も幾分か慣れてきた頃合いだ。


「ハアッ」


 砂を蹴る。カーテンのように大量の砂が高々と巻き上がり、凉白の姿を完全に隠す。


「……砂塵の幕の運動速度がやけに遅い?まぁよい。場所がわからぬなら辺り一帯一掃するまでよ‼」


 氷結ノ魔眼、その能力は氷だけに非ず。怠惰の系譜に属するそれは時の停滞や凍結をも、擬似的に操る。


 大量の炎が砂塵のカーテンに突入した。砂の津波を上書きするように、灼熱の炎が地を舐め尽くす。狡猾なる蛇のごとく入念に。


 炎の中、金属光沢が煌めく。炎天を反射したその一矢は炎も砂塵もその衝撃波で吹き飛ばし、蒼窮の大空を駆け抜ける。


 回避するジギルだが、続く二矢、更なる三矢が襲いかかる。そしてこれは、


「矢の風圧のみで我が炎を消し飛ばしたか!たが、まだまだァッ!」


 突如、蟻地獄のように地面が滑り出す。氷結ノ魔眼の権能によりその速度を落とそうとしても、妙な抵抗に反発され、無意味と帰す。


 蟻地獄の道中から仕掛けられる罠と攻撃の数々。砂が杭と化して彼女の心臓を貫こうとし、上空からは風の刃と沸騰した大量の水が避ける隙も与えず打ちかかる。


「突き破る迄です!」


 一秒、大太刀が大地を疾駆し、一時的に蟻地獄を物理的に凪ぎ払った。


 二秒、迷いなくつがえられた渾身の一矢が風の刃を引き裂き、水と蒸気の膜を撃ち破る。


 三秒、腰を落とし、腕を振り、自分が撃ち破り開けた唯一の穴に向かって跳ぶ。筋肉が音をたてる。骨が割れる。だが、真っ直ぐに上空へと高く飛び上がった。


「……遅い。ここまでだな」


 だが、三秒は時間をかけすぎた。本来ならこれを全て一瞬の間になさなければならなかった。剣光が見えぬ速度で太刀を払い、矢と同時に飛び上がるくらいでなければならなかった。


 ジギルに時間を与えてしまった。自分の路を教えてしまった。それが彼女の敗因、そうなる、筈だった。


 隕石が無情に墜ちる。彼女の抉じ開けた突破口を塗り潰すような絶望の質量が襲い掛かる。


「堕ちよ。天は未だ遠いぞ?」

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛アァッ!」


 めきめきと右手の骨が悲鳴を鳴らす。それを停滞させ、押し止め、拳を振り抜いた。鬼の豪腕が巨岩を打ち砕く。御伽の悪鬼もかくやの形相で痛みを堪え、左手で弓を構えた。


 口で矢を引く。標準は合う。ぶれることなく、上昇と落下を計算に入れて狙いを定める。


「……──ッ!?……フハハハハ。そうこなくてはな!展開、射出用意完了。【天破炎弩弓】、【獄炎一射(ヘルフレア・ワン)】ッ!」


 大型の炎のバリスタから放たれる獄炎を帯びた一矢。いや、最早槍と言うべき長大なそれは、伝説の不死鳥のごとく天を駆ける。


「ン────────ッ!」


 破を喰い縛り、血が出るのも構わず、限界まで弓を引き、放つ。


 砂漠の権能を強引に打ち消し、白銀の氷気を纏った純白の一矢。彗星のごとき尾を引き、大空を駆る。


 ぶつかり合う熱気と冷気。空気が入り交じり、衝突した衝撃も含め、遠く天空のことだというのに、砂漠の砂を吹き飛ばす程の風圧を放つ。ジギルは堂々とその風を受け流すが、凉白夜空は抵抗も出来ず、成す術無く風に煽られる。


 それでも、


「行けぇぇぇぇ!」


 叫んだ。ただ拳を振り上げ、淑女らしさも忘れ、砂漠の熱にも負けない熱さで叫んだ。


 冬だ氷だ何て、これを見て誰が言うのか。変わった形だが、こういう青春もアリだろう。


 炎の槍を突き破った。ついぞジギルに当たることはなかったが、確かにあの強大な魔法を撃ち破ったのだと、小さな、然れど密度の高い誇りを胸に抱いて、砂漠に墜落した。



※※※※※※



「もうヘロヘロなのですが……

「戯け。ここからは座学の時間だ。何でも礼儀作法の分野の勉強を疎かにしていると聞いたぞ」

「……ッ!?その件については誠に申し訳なく、申し開きも御座いません」

「いいか、戦争後に役立つことはなるべく覚えておけ。何処かに嫁入りするかもしれんだろう?」

「まさか……」


 茶化すように言ったジギルに対し、自分が嫁入りだなんて考えられないと首を振る。


「それに、そう言うの、獲らぬ狸の皮算用、と言うのでは?」

「ん?あぁ、獲物の利益だけを考えて実際に獲物を得られない滑稽さを嗤った言葉か」


 そう言えばそんな言葉もあったなと思い返す。ジギルが下らない戯れ言と捨て置いた言葉だ。


「よいか、獲らぬ狸の皮算用などというが、勝利の後を想像せずにただ勝利のためだけに戦うのは戦闘狂と何ら変わらん。先を見据え、夢想する者こそ、大望を掴めるというものよ」



※※※※※※



「貴様に氷結など似合わぬな」

「それはどういう?」


 凉白夜空成人の祝いの席でのことだ。夜空と凉白夫妻と内々に三人だけで行う予定だったが、幼少の頃からの付き合いだからと言うことで、急遽ジギルが暇を作り、酒を持って駆け付けたのだ。


 そもそも夜空の命を救い、拾ったのはジギルなのだが、その事を夜空は知らない。本当に自分は凉白夫妻の子供だと思ってるし、凉白夫妻は本当の子のように夜空を育てた。


 今日明かそうとしていたのたが、凉白夫妻も中々決心がつかず、結局は先送りになっている。辛いのだ。夜空がどんな反応をするか、考えただけで胸が締め付けられる程に。


 そんな折に、ジギルが酒の勢いで唐突に語りだした。


「……何、貴様は前に進む者。少し立ち止まることはあろうとも、凍結などせず、冷たくとも一歩一歩春へ着実に向かう、冬こそ貴様に相応しい。……ひっく」


 空になったジギルの杯に夜空は静かに酌をする。本来祝われる立場の夜空が酌をしているのは、魔族の風習によるものだ。


 といっても、種族によってかなり異なるのだが、凉白氏がオーガの生まれのため、オーガ式で行っている。凉白婦人の悪魔式ならまたい違った様相が見られたであろう。


 オーガ式では、成人したものがこれまで育ててくれた全ての者への感謝を込めて酌をする。……もっとも、ジギルは魔王なのでそんなものがなくてもお構い無しに酌をさせるだろうが。


「ごくごく……プハァッ。……まぁ何だ、あの時もその貴様の精神で貴様の命は助かったと言っても過言ではない」

「……あの時、とは?」

「……少々口が軽くなったか。全く、たかが酒精めにやられるとは不甲斐ない。金に糸目をつけぬとはいえ、流石に『魔王』と『神殺し』を割らずに呑むは度が過ぎたか。気にするな。忘れよ」


 因みに『魔王』も『神殺し』も度数の超絶高い高級酒……というか最早ほぼアルコールと言っても過言ではない。勿論、旨いは美味い。


 『魔王』も『神殺し』も、その美味さを活かすには割るのが前提の酒。それを割らずに呑むなど、消毒用エタノールを直接流し込むに等しい愚行。


 人間が真似すれば死ぬのは勿論、酒精に強い獣人、ドワーフ、一部魔族でも急性アルコール中毒間違いなしの無謀な行為。因みに似たようなものでドワーフの作る『魔王狩り』という酒もある。


 それを度が過ぎたの一言で済ますジギルの肝臓ははっきり言って、強靭を通り越して異常だ。


「御身に差し障ります。御自愛下さい」

「戯け。この程度でオレはくたばらぬわ!精々口が滑る程度のことよ。だからまぁ、此度オレが言った事は全て戯れ言に過ぎん。忘れよ。いいな!主命であるぞ!」

「……は、はい。」


(……でも、忘れません。絶対に)



※※※※※※



「今日で門出ですね」


 とうとう家を出て、魔王城にて住み込みで働く。感慨深くそのことを再認識する。


 凉白家は魔国首都郊外にあり、夜空であれば十数分もあれば駆け抜けることが可能な距離だが、足腰の悪い凉白夫妻にとって、早馬で三十分の距離は相当な距離だ。


「早いな、月日というものは。特に我々のような年老いた者にはな」

「あら、私まで一緒にするのは止めてもらえますか?私しゃ生涯現役ですよ」

「とか言いつつ、婆さんも腰にガタが来ておるだろう」

「すみません、わざわざ見送りに来てもらって」


 体の悪い二人に無理をさせたと謝る夜空。だが、凉白夫妻は首を振り、その謝罪を受け入れない。


「娘のためです。そんな謝らなくても良いですよ。このくらい」

「嗚呼。こんなに立派に成って……

「それ、成人の日も言ってましたよね……」

「そうじゃったか?この頃何分、物忘れが激しくてなぁ」


 笑いが起こる。だがそれも束の間。寂寥のためか、いつも通り談笑しようとしても、普段どのように笑うのだったかと、上手く笑えない。


 祝福すべきことであって惜しむことではない。迎えるべきことであって拒否することではない。理屈は分かっている。だが感情はどうあってもそれを許さない。


 寂しさが水滴となって流れ落ちる。最初は静かに雪のように出ていた温かな水滴は、段々と、屋根を伝う雨水になり、川の始流になり、終には荒れ狂う濁流のように溢れ出る。


 凉白夫妻のシワだらけの体のどこに、このような大量の水分が貯蔵されているのかと思うほどだ。


 嬉し涙か悔し涙かで、しょっぱいか否かが別れるという。嬉しさと寂寥の混じった涙はどのような味か、それすら分からぬ程にただ、泣いていた。


「お母様、お父様、貴殿方の子であること、誇りに思います」

「……───夜空。……実は、実は」

「ちょっとお爺さん!」


 大声を出す凉白婦人を手で押し留め、切り出そうとする。が、……今までと同じだ。言葉が詰まって出てこない。それでも、夜空は気長に待つ。


 何度も、何度も、切り出そうとする。その度に温かな思い出がフラッシュバックする。


「……実は、だな。……夜空、お前は、……実の子では、……───ッ……」

「ないのですね」

「!?……知っていたのか」

「ええ。お母様の病のこと、風の噂程度に聞き及びまして」


 夜空の(かんばせ)は極めて冷静。一辺の揺らぎもなく、衝撃もなく、涙も消えている。


「何とも、思わないのかい?私たちは…その、隠していたんだよ?」

「ええ。だからどうされましたか?」


 優しく微笑みながら、夜空は言葉を続ける。


「お母様とお父様は私に本当の娘のような愛情をくださり、本当の娘として育てていただきました。……確かに、血の繋がりはないのかもしれません。それでも、私は、貴殿方の本当の娘だと思っています」


 春の風が凪ぐ。華の香りが肌に囁く。陽気が体を包む。


「顔も名も知らぬ親のことなど知りません。そんなもの、私は親とは認めません。愛情を注いで下さったお二人こそが、お義母様とお義父様はなどではない、私にとって、唯一無二のお母様とお父様なのです」






「今も、昔も、これからも」

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