アベンジ・ヌスク
「成る程、お前が咆哮の主か!……アイツら、裏切られてんのかよ。笑わせてくれるな。レバート、お前魔族側の陣営に与してるんだろ?」
無言。否、ただの無言ではない。肯定の意を確と込めた無言。ロジェロには露見しても問題ないと、レバートは踏んだ。何故なら
「お前は危険すぎる。恨みはない。我が憎悪の対象ではないが、放っておけば損となるだろう。故に、今ここで殺す」
「ヒューゥ。格好ぇなぁ。いいぜいいぜ。そういうのを待ってたんだよ。どうせ、あのオーガの女にアイツらは殺られるんだ。四対一か。ワクワクするぜ☆」
歪んだ三日月が現れる。ロジェロの口角が吊り上がる。笑窪が深く刻まれる。【狂犬】の笑みだ。
「時間をかけるつもりはない。即座に仕留める」
ロジェロの纏う雰囲気が変わった。笑みは絶やさないが、オーラが真剣勝負をするためのそれに豹変した。
即ち、今までは本気ではなかった。つまり、裏を返せば、鍛炉とカイザー相手に遊んで相手取れるだけの実力があるということに他ならない。
「【憤怒】、【真狂化】─────ァァァッッッ‼‼」
ロジェロが知覚した最強、最凶、最狂の戦士がそこに君臨する。ロジェロはまるでプレゼントを前にした子供のような純粋無垢に、一滴の猛毒を垂らしたような、純粋さと不純さ、無垢さと狂気が混ざったような気味の悪い笑い声を上げる。
「グルゥ。グオオオオオオ■■■■■■■■■■■■─────ォォォッッッ‼」
ずっと、ロジェロが求めていたモノが降臨する。咆哮は空を駆り、遠き帝国を乗っ取り終えた魔王にすら届くであろう、号雷のごとき叫びが轟く。
燃える、燃える、燃える。武器も服も、体中全て。心臓の鼓動が早まる。魔力の源泉たる心臓の炉心が熱される。人工的に体内に埋め込んだ擬似心臓や擬似炉心も同時に高鳴り、最高のパフォーマンスをだせる状態へと移行する。
「んじゃ、こっちも全力全開ィッ!竜殺魔剣・闇光交差───ゥッ‼」
二の太刀要らず、二の打ち要らず。愚直な一直線。仕掛けたのはレバートだが、ロジェロに受けないという選択肢は無い。こんな強さ比べから逃げるなど、そんな楽しいことをしないなんてありえない、と。
そもそも、逃げられないというのもある。絶大な火力を誇るレバートの一撃は、今更逃げようと、超高速で燃費の悪く、起動しにくい【転移】を使わない限り逃げれない。
「■■■■■■■■■─────ァァァッッッ‼」
「ハハハハハハハハハハハハハハハ‼」
片や狂える猛獣の咆哮。
片や狂える人間の嗤い声。
交差する剣と剣。ギリギリと、お互いの剣を削りながら押し込まんとする一進一退の攻防。普段のレバートなら、この隙に空いている腹に蹴りを入れるくらいはする。
しかし、今回に限っては例外。片足でも上げれば、全力でなれば押し負け、その瞬間に心臓を切り裂かれて死に絶えるであろう。
深くなる憤怒の形相と凶悪な笑み。最早、人も魔族も辞めたのではないかと言うほどに憤怒を極めたレバートの顔に、ロジェロは一瞬、理性の眼を見た。
四方八方に無駄に放出されていた黒炎は統合される。集まり、固まり、集まり………。まるで、まるでそれは
「黒い、……太陽?」
誰かが見紛う。確かに、それは黒い太陽に見えた。燃え盛る黒い太陽。実際のところは核融合が起こっている訳ではないので、厳密には太陽とは違うのだが、傍目から見れば黒化した太陽そのもの。黒点が肥大化して太陽を呑んだようにも見えるだろう。
草原が自然発火する。カイザー、鍛炉、凉白は魔剣と魔眼を以て極寒を顕現させ、熱を凌ぐ。レバートのコートが発火しだした。流石の熱と攻撃に強い最強金属、加工アダマンタイト鋼でも、赤熱化し、今にも熔けだしそうだ。
魔剣グラムは、その刀身に纏った暗黒と極光に守護され、何とか無事だが、基本的に軽鎧を好んでいたロジェロの衣服、防具は燃え、熔け、ほぼ生まれたままの姿に成ろうとしていた。
それでも生存を許されるのは、超一級勇者の肉体だからこそだろう。培った魔法耐性と防御力が、上空に君臨する黒化太陽からの熱に耐える。
「ハハ、……ハハハハハハハハハ!上空に君臨してたんだもんな⁉そりゃ、そうだ。普通は降臨するわな‼」
堕ちてくる黒化太陽に絶望と狂気と愉悦の入り交じった嗤いを放つ。黒化太陽はゆっくりと、重厚に、油圧機がゆっくりと物を押し潰すように確りと、地上に降臨していく。
「殺られたなぁ。今回は俺の負けだ。見事な敗北だ。天晴れ‼……だが、次は勝つ。絶対勝つ。そんときは、てめぇを十分いたぶってからブッ殺してやるから、楽しみにしておけよぉ⁉」
死に際の捨て台詞、敗北者の戯れ言、眉唾物のハッタリにしては不気味すぎる予言を残して、ロジェロは太陽に呑み込まれた。
少しして、炎が晴れる。
膝をつく人影が一つ。
バタリと後方に倒れる。大の字。肩で息をするレバート。そこにはロジェロの跡形も無かった。いや、ロジェロ以外にもその他諸々、跡形も無くなっていた。
地表は焼け、陥没し、地下を見ればドワーフの地下帝国は焼けていた。日が上がる。白日の下に晒されたそこは酷い有り様であった。レバートが倒れているところも、今にも崩れそうだ。
レバートのコートは燃え尽き、上半身の服はもう、着ていないも同然。胸当てや籠手もドロドロに熔けている。
下半身は、青い腰巻き、海竜の背の毛と、湖の妖精の髪を合わせて織られた布によって守られていたので無事だ。この布は火に対する絶大な耐性を誇る。
「くっそ、武器は残ってるけど、籠手と胸当て、鎖帷子は作り直しだなこりゃ。というか、上半身こんな有り様なのに何でマフラーは無事なんだよ」
「……魔法耐性に、いろんな素材…盛り込んだからな、そのまま、広げるだけで……魔法に対する盾に、なる。それが、……効いたのかもな」
凉白が氷の橋を掛け、その上を歩いてきた鍛炉の疑問に、掠れた声で答える。死にかけの老人のように、酷く疲労困憊した声だ。体から魔力という魔力が消え失せている瀕死状態。
「それ以上はあまり喋らないように。過労死しますよ」
「しかし、ドワーフ地下帝国、本当にごり押しで破壊することになるとは。上から爆撃でもして壊すというのは、冗談の類いだと思ったが、よもや実現するとは、現実とは分からないものだな」
重篤状態の患者のように慎重無比に運ばれるレバート。筋力の酷使の反動で、少しでも刺激を与えれば、血管と筋肉が断ち切れ、大出血する可能性がある。その程度では平時ならば死なないが、魔力を使い果たした現状、【再生】スキルがマトモに働くとは思えない。
「ここまでやる必要があったのですか?確かに、超凄腕には見えましたが、幾らなんでもここまでやらなくても……」
「いや、レバートの判断は正しいぜ。ここまでやらないと死なないし、ここまでやる必要があった敵だ。少なくとも俺は戦ってて、こいつはやべえって思った。生かしちゃいけねぇ。生かしときゃ、必ず俺達の死神になる」
鍛炉の弁明。その言葉には重みが、緊迫感と少しの恐怖が載っていた。実際に刃を交えてないため、凉白には分からなかったが、その気迫に押し黙るしかなかった。
「そういえば、あのロジェロとやらの取り巻きはどうした?」
「片付けましたけど?」
「怖えぇ。しれっと何か虚ろな目で殺害報告してくるの超怖いから止めろよ」
レバートの運ばれている体制的に、凉白の顔は見えない。が、カイザーの質問に答える凉白の顔は余程怖かったらしい。鍛炉が少しわざとらしい怯え声を出す。
「ドワーフはわらわらと荷物持って逃げていってますね。この分だと、休憩してから制圧しても問題ないでしょう。今はゆっくりと休んでください」
安定した足場に連れていかれ、何故か膝枕されるレバート。
「何でこの体勢なんだ?」
「殿方はこれを好むと聞きましたが?」
素で返される。何の疑問も持っていない凉白の言葉に、男三人衆は目を点にする。
「あの、凉白、こういうのは恋人同士がやるものなんだぞ?」
「間違いではないが、些か言葉に語弊があるな。というか、お前にそれ教えたの絶対ウチのババアだろ。あの年増ババアがやりそうなことだ」
顔を真っ赤にした凉白が勢いよく立ち上がる。当然、支えを失った頭は落下する。後頭部が地面に叩き付けられる。
「いっ──ゥ~~ッ」
「レバートォ⁉メーディックッ‼おいぃ、重篤患者ァ⁉凉白なにやってんだ⁉」
「すすす、すいません!いえ、膝枕の意味を知らなかったので、悪いのは私で、決して嫌っている訳ではなく、無知で、寧ろ貴方の在り方は好ましく思っておりますし、じゃなくて、ええっと、とにかくすいませんッッッ‼」
軽くカオスな状況。夜は明けていった。
※※※※※※
「やった側が言えることじゃねえが、ひっでえなこいつは。一面焦土じゃねえか」
「元の町はどうだったんだ?」
「馬鹿みたいに広い炭鉱にそのまま街を移植したみたいな街並みだったな。規模もかなり大きくて、先進的な街だったように見える」
凉白を見張り番にして、中を男三人衆が呑気に敵地見学をする。当然、いつ崩落してもおかしくない空間に警戒しながらであるが。
「というか、この怨念の化け物とか、精霊?というか最早邪霊?的なの何とか成らないか?てめぇの黒い炎から生まれたからこっちに従順だが、気持ち悪いったらありゃしねえ」
「そうだな。流石にこれを無視して進むというのは、正気値がおかしくなりそうだ」
「一応、発生した端から動くな、そして消滅を待てと命令している」
SAN値直葬必至のホラー光景がそこには広がっていた。駭駭しい化け物のパレード。見ていて魂的な何かを吐き出しそうになるのも無理はない。
「人族は欠片もいないな。好都合だが、何っつーか、荒廃してるっていうか、……」
「そうだな。しかし気にしても仕方がない。中枢機関は何処だ?」
「なぁ、カイザー、てめぇ、無理してねぇか?というか現実逃避してねぇか?」
黒い街を抜けていく。ゆっくりと。人の気配がない中、リズムある、自然には有り得ない人工的な音が聞こえる。
カァン、カァン。
静けさが染み渡る街にそれはよく響き渡っていた。
「鎚の音だ。誰かが鍛冶をやってる」
真っ先に反応したのは鍛炉。何度も何度もその身に浴びた音。聞き馴染んだ響き。鍛治師たる鍛炉が間違える筈がない。金属と金属がぶつかり合う音。至高の領域を求める純然たる調。
レバートには心当たりがあった。いや、彼女しかあるまい。自分の前で大きく啖呵をきった彼女なら、この終末世界のような有り様でも鎚を振るい続けるのだろう。と。
一瞬会っただけ。それなのにレバートの心にはやけにはっきりと、明確に、そして美しく、儚く、その姿がありありと浮かんだ。
駆けつけると、やはりというべきか、予想通りの光景が広がっていた。
「違う。加工アダマンタイト鋼の扱いはそうじゃない。鎚は、炎は、道具はからだの一部だ。全身と全霊を以て金属と向き合え。研ぎ澄ませ。何も考えるな。炎と鎚に神経を巡らせて、一体化した瞬間、
精神統一する娘。奥で手を組み、教えを与える鍛炉はさしずめ師匠と言ったところか。
そして、その瞬間が来る。
打てェッ‼」
真っ赤に熱された加工アダマンタイトを打つ。ひたすらに、無心で。何の疑問も持たず。その無心に近付けるように、鍛練で、金属の不純物を取り除いていく。素人目でも分かるくらい、先程とは動きが違う。
カァンッ、カァンッ。
身体の芯に響くような音。先程の音色が霞む。素晴らしい音楽を奏でる。
鍛治も本詰め。時間を忘れ、見入る。鍛炉は自前の大槌を出し、伴に打ち始める。黒化太陽に焼かれ、灼熱の気候となった街で更に火を焚き鍛える苦行。玉の汗が光る。
作り方なんて分からない。どんなものがいいかなんて判断できる筈がない。けれど、二人の希代の鍛治師が打つそれは、きっと最高の、後世に名を残す武器になることだけは、レバートにも予感できた。
何分、何時間、経っただろうか。絶技の場に居合わせ、時など忘れた。
「今日下りた黒陽に肖り、憤怒の聖火とでも名付けるか。受け取ってくれ、勇者殿」
黒に蛇のように巻き付く金の炎があしらわれた槍だった。穂先は炎のようにうねっている。
「いいのか?俺は、俺達は……
「いい。敵、と言うことだろう?しかし、あんな勝負持ち掛けられたらなぁ、乗るしかない‼あの武器を作った者を越えようとして、その本人の力を借りるのは本末転倒だが、アベンジ・ヌスクを作れたことで大満足。我が生涯は満ち足りた。一辺の悔い無し‼」
疲れきっているが、達成感による幸福に満たされた男前な笑顔で応える。そして片膝を突き、頭を下げる。
「他のドワーフは心が折れたみたいだ。当分、百年ほどは一族全員山に籠るだろう。だから、この首一つで、ドワーフを襲うのは勘弁して貰えないだろうか?」
その肩は震えていた。声も掠れかけていた。恐怖がひしひしと伝わる。それでも、噛まずに泣かずに最後まで、無力ながらにも戦った。
「できればその、アベンジ・ヌスクで切り落としてくれないだろうか?」
殺られるなら自らの武器で。きっと昔から決めていたのではないかと感じさせる。
「断る。貴様を殺す理由がない。それに、だ」
鍛炉は止めろと訴えていた。戦争を超越して。元々兵士ではない。鍛治師として、この稀代の天才を殺すなと、魔剣を構えて訴えていた。
「こんなもん見せられたのに。殺せるわけねぇだろぉがよ‼こいつを殺すのは反対だ」
だが、この狭い室内。カイザーの間合いだ。一瞬で殺されれば、この距離なら反応できない。瞬発力、反射神経は四人の中でトップ。五メートルの間合いでは、往なしきることは不可能。すべての決定権はカイザーに預けられた。
カイザーが動く。腕が延びた。即座にアベンジ・ヌスクを振るう。間に合った。しかし、それは囮。幻影。肌と肌が触れ合う距離まで詰め、切り裂いた。
血が飛ぶ。神聖なる鍛治場に血が付着する。
ごく少量。
よく見ると、浅く、鎖骨の辺りを切り裂いただけだ。カイザーはそれを拭き取ったり、伸ばしたりしてあたかも、殺したのを誤魔化すために血を拭き取ったかのように仕立てあげる。
「お前はここで死んだ。悔しいが、戦争で馬鹿みたいな非現実的な数が毎日死んでいる。だから、一人の死人のことは誰も気にしない。レバート、凉白が来そうだったら教えろ。鍛炉は責任を持ってこいつを逃がせ。凉白は真面目すぎる。こいつの話を聞けば必ずこいつを殺す」
安心からか、息を吐き出し、崩れ落ちる。鍛炉は肩に手を置いて、
「武器を打とう。防具を打とう。もう一度、鎚は振るえる」
※※※※※※
「まぁ、聞こえているのですけどね。魔力パスを繋いでいるので、向こうの状況は把握できますし。……確かに、カイザーの言うことも一理ありますね。もしあの場に私がいたら、私は彼女を殺すでしょう。それが彼女の勇気に対する敬意ですから」
壁に体を立て掛け、竹の筒に入れたお茶を飲んで水分補給をする。
「でも、今回は、何も聞きませんでしたからね。ドワーフの族長の娘は死んだ。それで十分です」
もう温く冷めたそれだが、熱いものを飲んだかのような吐息を出す。妖艶だ。
「魔王陛下、やはり貴方は正しいです。相容れぬと思っていた私が間違っていました。魔族と人族の友好は、きっと築ける。遠い未来、一千年かかるかもしれませんが、きっと」




