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「こちらへどうぞ」
ヘルベルムの屋敷は、確かに離宮に比べても小規模だったが、それでも老齢の女性が1人住むには広すぎるほどの建物だった。玄関に横付けした馬車を降り、物静かな男性に導かれて、レダンに手を預け、ガストとミラルシアを従えて、磨き抜かれた回廊を歩む。
日差しは緩やかに翳り始め、夜の気配が忍び込みつつあり、4人をある一部屋に案内した後、男性は一礼して去って行った。周囲に人の気配はほとんどなく、彼方の廊下で案内の男性が明かりを灯していく姿がぽつりと見えるだけだ。
「…守りの者はいないのでしょうか」
「ああ、まあ、あの人もあれで妙に強いからなあ」
レダンが面映そうに笑い、扉に向かって声をかける。
「母上? 入ってよろしいですか」
「ああ、待ちかねた。これへ」
「失礼致します」
促しにレダンが扉を開ける。引き寄せられて入っていきながら、シャルンはできるだけ丁寧にドレスを引いてお辞儀をした。
「初めてお目にかかります。ご挨拶が遅れて申し訳ありません。カースウェル・ハイオルトの王妃、シャルン…」
「エリク!」
響いた叫び声に慌てて顔を上げる。
正面に真紅の薔薇が咲いていた。鮮やかな黒髪、艶やかなドレス、仕立ては簡素で体を飾るアクセサリー一つないのに、気配がもう眩い。見張った瞳が濡れるような藍色の光で、すぐさまレダンの母親だと理解した。が、相手は硬直するように立ち竦み、瞬きし、
「レダン…これは一体……この…方は一体…」
豊かな音量の張りのある声を戸惑わせる。
「母上、我が妻シャルンです。お見知り置きを」
「お見知り置き、どころか」
女性はつかつかと歩み寄り、レダンが止める間もなく、シャルンの顔を両手で掬い上げた。驚きに声を出せないでいると、
「何と、エリクの面影そのままだ。あなたはエリクの身内か? いや、そうに違いない。この視線、この表情、まさしくエリクそのものだ」
「っ、母上っ」
叱責を響かせて、母親の手を払い除けつつ間に入ったレダンがシャルンを背後に庇ってくれる。
「言いたいことは分かりましたが、シャルンは何も知らない。いきなり失礼でしょう」
「あ、ああ、そうだ、そうだな」
相手はもう一度ぱちぱちと長い睫毛に囲まれた瞳を瞬きし、やがてにっこりと笑った。
「驚かせたな、済まなかった。世捨て人の変わり者だ、許しておくれ」
サリストアが歳を重ね、レダンのような人の悪さを身につければ、こんな有様だろうか。許さないとはとても言えない無邪気さで、あっさりと謝罪した相手は、引き下がりつつ、部屋の椅子を示した。
「夜が更ける前に、少しは話をしておこう。後ろにいるのはガスト、それに珍しいことだ、ミラルシアではないか? 王位争いはどうした」
「妹サリストアが継承いたしました、アグレンシア様」
怖気もせず、ミラルシアが応じる。それでふと気づいたように、相手は笑みを深めた。
「これは済まない、挨拶もまだだったな」
さら、とドレスを持つと、まるで宮中の舞踏会のように滑らかで美しい礼をした相手は、なおも楽しげに笑いながら言い放った。
「そこなる不肖の息子、レダンの実母、アグレンシア・パラスニアだ。アグレンシアと呼んで良い」




