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「どうしても戻るのかね」
穏やかな義父の困り顔に、レダンはにこやかに笑みを返す。
「はい、十分お世話になりましたので」
正直なところ、右目の痛みは強く、気を抜くと再び出血が始まる厄介な状況だが、このままハイオルトに止まる危険性の方が高い。不安そうにこちらを見やるシャルンの心配も減じてやりたいが、義父の瞳の奥に動く柔らかな靄には油断がならない。
国史をまとめつつある義父は、レダン達が何を探し、何を見つけたかを知りたいだろう。いやもしくは、隠していたものをどこまで暴いたのかを、と言うべきか。
レダンはシャルンほど人間を信じていない。一度権力の座に座った者は、ふとした拍子に、それが蘇ることを願うものだ。優しげな仮面を被った善意にしか見えない振る舞いの裏、どれほど不愉快な欲望が渦巻くのか、十分に知っている。
「数日休んではどうか」
義父はちらりと一行が抜け出てきた北の坑道の方角を眺めやった。
おやおや、まだそんな気力があるのか。いや、シャルンが手元に戻ったから、もう一度、とよくない希望を抱いたのかな。
ちりりと走った緊張に、シャルンはすぐに気がついた。
「お父様、国史の編纂にお疲れでしょう。ましてや、私どもがお世話になっていては、気持ちもそちらに流れましょう」
静かにきっぱりと言い切ってくれる。
「私どもは戻ります」
「……そうか」
みるみる相手の気力が芯を失った。
「そなたが望むように」
「……助かったよ、シャルン」
馬車の中で柔らかな膝を借りて横になりながら、レダンは呟く。
「さすがの俺も回復しきれなかった」
「…痛みは如何ですか」
「強くなったり弱くなったりだな。あなたは水龍を従えた時、手の甲は痛まなかった?」
「痛みはあまり感じませんでした。なんと言うか、見えない手袋を常時身につけているような」
「ふうん…」
ミラルシアもわからないと言ってたなと思い出す。そもそもが手首から先がない、痛みと言うなら、無くなった手が時々痛む不思議ぐらい、それも雷龍によると言うより一部を失った体が感じるありふれた感覚のようじゃぞ、と話してくれた。
「……お目は見えるのですか」
覗き込むシャルンに、ためらったがそっと右目を覆った眼帯をずらせて見上げる。微かに息を呑む気配がした。それほど酷い傷なのか、嫌われるかなと不安になると、ぱちぱちと瞬きをして、シャルンは少し赤くなった。
「ん?」
「…とても、綺麗なので」
「…は?」
「陛下の元の瞳は藍色ですが、今その瞳の中央が揺らめくような赤い光に彩られております」
「へえ……両方?」
「いえ、右目だけ。私の顔はご覧頂けますか?」
「見える……と言うより、感じる、に近いか」
「感じる…」
「左目だけで見ている景色といささか違う。例えば、あなたの姿が全身少し煌めいて見える。特に右手の先にいくに従って煌めきが強くなって、手の甲には奇妙な紋様が輝いて見える」
「…ご歓談中申し訳ないですがね」
我慢の限界だったのだろう、前に座っていたガストが口を挟んできた。
「それって、『花咲』の力が見えてるってことじゃないですか?」
「坑道から戻る時も結構眩しくてな、ああそうだ、シャルンが身につけていたルシュカの谷のレース、あれもかなり光って見える」
「…っ」
ガストが思わず目を見張った。
「ってことは、あのレースや糸には『花咲』の力が宿っていると考えていいってことですね?」
「ミディルン鉱石よりも容易く人の手に渡り、簡単に持ち運べる、『花咲』の力だ」
レダンは薄く笑う。殺気立つのを抑えられない。
「ダフラムにとっては、喉から手が出るほど欲しいだろうな」
「…知っていて、レースや糸を買い付けているんでしょうか」
「そもそも、ルシュカの谷の糸がどこから運ばれているのか、だよな」
「……ザーシャルですか」
「川を使えば、ラルハイドにもダフラムにも通じる」
ガストが強張った表情で黙り込む。
「ステルン、ダスカスに背後を取られたら、俺達は潰れるしかなくなる」
レダンは昂った気持ちを息を吐いて逃した。シャルンの緊張が硬くなった膝から伝わる。
「俺達は出遅れているってことがわかっただろ?」
どの国が、どこまで『花咲』の力を知り、どこまで手に入れているのか。
「…ミディルン鉱石の代わりに、『ガーダスの糸』の争奪戦が始まるわけだ」
バラディオスも同じことを考えてると思うぜ。
「誰が、どこまで、信用できるのか」
戻ろう。知識と考えを結集して、ミディルン鉱石と『ガーダスの糸』『花咲』について調べておこう、それが唯一の武器になる。
「シャルン」
「っ、はいっ」
真っ直ぐに見下ろす眩い瞳に微笑む。
「あなたと、あなたの母上の知識と研究が、俺達の命綱になる」
ぴんと背筋を伸ばしたシャルンが、しっかりと強く頷いた。




