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「…良いんですか」
ガストの声に、レダンはちらりとバラディオスと話し込むシャルンを見遣る。
「良い。あいつがあれほど派手に反応するとはな。面白いやつじゃないか」
「…おかしなことを考えてないでしょうね」
ガストがひんやりと釘を刺す。
「万が一、自分が居なくなった場合に、誰が奥方様を守れるか、とか」
「常に考えているさ」
地図をじっと見下ろしながらレダンは応じる、
「だから、ズボン1枚のシャルンの腰を見せたくなかったんだろ。俺もまだまだ甘いな」
「そうやってれば、奥方様も何度だって惚れ直してくれるでしょうに。いきなり仕立屋を詰るから、誤解を招くんですよ」
「シャルンに、いつ俺が消えるかわからないか不安だから、ちょっと甘えさせてくれと?」
にやりと唇の端を上げる。
「まあ結果として甘えさせてくれたから良しだ」
「そういう内容を、私が居る場所でするあたりが、食えない奴ではないのか?」
ミラルシアが突っ込んでくる。
「シャルンを守護しろと暗に命じておるではないか」
「そう聞こえたか?」
「聞こえた」
「ならば良い」
「…やはり食えぬ」
「冗談はここまでにして」
レダンは地図に歩いてきた坑道をゆっくりと書き加える。
地図は元々残されていた古地図に、『虹の七伯』からの聞き取りとバラディオスが集めた情報でわかったもの、エリクが書き留めていたものを足してあった。元ハイオルト王ダッカスは、予想通りと言うか何も知らず、あまつさえ、国史編纂の際に見つかった坑道の資料を、それとなく隠そうとさえした。
もっとも、意図してのことではなかったとレダンには思える。妻が、娘が、自分の元を離れるに至った原因、そしてまた、自分の慣れ親しんだ祖国が全く違う顔を持とうとする流れを感じて、手にしていてもそれと気づかず、目にしていてもさらりと他の紙の下に滑り込ませて見ないようにした。ガストが研究者の目で資料の整理に加わらなかったら、貴重な情報が整理済みとして捨てられていたことだろう。
「…よく覚えていますね」
「まあ、伊達にウロウロしていないからな」
ガストが感嘆するのを面映く聞く。
これも誇れるほどのものではない。カースウェル動乱の時には、いつ何時追い込まれ殺されるかわからなかったから、一度でも見た場所や走り抜けた小道を忘れぬようになった。いざとなれば、どこからでも逃げ延び生き延びるつもりだったからだ。おかげで諸国放浪の旅人と言っても十分色々ごまかせて、他国へ入り込むことができた。
「奇妙だな」
地図を覗き込みながら、ミラルシアが指摘する。
「ひどく単純に見えるが」
「そうだな。アルシアの方が入り組んでいた」
「人が掘ったにしては、妙に広々と間を空けているところもある」
ミラルシアが指先で辿る。
「…ハイオルトの坑道は、国史から考えると、元々岩に開いていた穴だったんじゃないかな」
レダンは頷いた。
「何も持たぬ人々が、いきなりこれほど岩に穴を開けて入れたとは思えない。かと言って、表層にミディルン鉱石が剥き出しになっていたとしたら、もっと早く崩壊したり爆発したりしていただろう。幾つか深い穴が開いていて、人か獣に追われた人々が逃げ込んだ。何度か繰り返すうちに、偶然にミディル鉱石を発見したと考えると自然だろう」
「と言うことは」
ガストが考え込んだ声を出す。
「ミディルン鉱石はガーダスの死骸が積み重なってできたと考えています。それが長い年月を経て石のように固まった、と。それはつまり、そこは元々ガーダスが棲む場所だった。この辺りに空いていた『穴』は、ガーダスの巣穴か何かで、その奥深くにはガーダスが居た」
「ガーダスはどう言う基準で、岩の中を掘り進んでいるのかはわからん。岩か土が食べ物だったとして、その味と言うか硬さというか、選択肢があるんだろう。だから、こんな風に、ミディルン鉱石を採掘する為ならば、見つかった場所から均等に範囲を広げていけば良いものが、ある部分では1本の坑道だけが深く曲がりくねって続き、ある部分は回避するように全く何も坑道がない。『坑道』を作ったと言うよりは、開いていた穴を『坑道』としたと言うところだな」
「岩が固すぎて迂回したと言うわけでもなさそうだったからの」
レダンの推測に、ミラルシアが頷く。
来る途中には、坑道のあちらこちらで壁や足元から岩を採取していた。明らかに掘り進みやすそうな場所であっても、そちらへ全く進んだ気配も採掘を試した様子もない部分もあった。
「『お山の子守唄』ですかね」
ガストがちらりとレダンを見上げる。
「一定の振動がしばらく鳴り続けて止む、って奴な。あり得るだろう」
「何じゃ、それは」
腑に落ちない顔のミラルシアにガストが説明する。
「伝承を当たっていると、坑夫達が『お山の子守唄』と呼ぶ現象がありました。日が落ちるぐらいから坑道の中で聞こえ始める。低い音で、一定間隔で鳴っては止まり、止まっては鳴るそうです。それが聞こえ出すと、坑夫は仕事が残っていても引き上げる。そうしないと崩落に繋がると信じています」
「…ガーダスか」
ミラルシアの頬が紅潮した。
「恐らくはな。ガーダスは夜にかけて活動する。それが山の奥深くを進む時に、そう言う音を立てるんだろう。国の始まりの時にあったと言う大規模な『崩落』は、ひょっとすると活動中のガーダスに出くわして起こった出来事かも知れん」
レダンは薄く笑った。困った癖だ、殺伐とした事態になると妙に楽しくなるらしい。シャルンになだめられ飼い慣らされたケダモノの牙が、こんなところで顔を出す。
「なるほど、わかった」
ミラルシアも似たような微笑を浮かべてレダンを見返す。
「そなたの懸念を察するぞ。この坑道はアルシアの物より単純で、しかも大きい。『お山の子守唄』は今も坑夫達の恐怖の歌じゃ。アルシアの『花咲』は既に死した獣の遺骸だったが、このハイオルトの坑道奥に潜むものは、龍だけではない、予想を超える大きな生きたガーダスかも知れぬと言うわけじゃな」
ふふふふ。
ミラルシアは嬉しそうに声を零した。
「退屈せぬなあ。シャルンの側は楽しゅうてならぬ」