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あなたが読んでからでいいよ。
レダンはそう囁いて、シャルンを抱きしめたまま、ソファでゆっくりすることに決めてしまったらしい。離してくれないので、仕方なしにシャルンはレダンの膝の上で、エリクからの手紙を開いた。
『愛するシャルン』
手紙は親しげな呼びかけで始まっている。
『この手紙を読んでいると言うことは、私はあなたの側に戻れなかったのですね。
突然いなくなってしまって、あなたもお父様も不安でしょう。
なぜ私がハイオルトを去らなくてはならなくなったのか、何の為に離れることになったのか、そのことについて書き記したいと思います。
私がいなくなって数日後には、お父様が色々な場所を探してくださっているでしょうし、この書庫の棚も見つかっていることでしょう。幼いあなたには、お父様がきっと、手紙の内容をわかりやすくお話下さることと思います』
「……陛下」
「…ん?」
極上の眠りを邪魔されたような眠そうな声で、レダンが応じる。
「母の失踪について、詳細がわかりそうです。本当はもっと早く発見されて然るべきもののようですが、父は探し切れなかったのかも知れません」
「……あの馬鹿が」
吐息を零してレダンが顔を上げる。
「読み上げますので、お聴き頂けますか」
「わかった」
父親の性分を多少なりとも理解した今では、この手紙をハイオルト王が見つけていても、中を読み、シャルンに説明してくれたかは疑問だ。
シャルンは手紙を最初から読み始めた。
『……私が初めて「かげ」に気がついたのは26歳の頃でした。ミディルン鉱石の中に「かげ」を見る者は龍を呼び出してしまう。その言い伝えは古くからの書物にもあり、北の坑道に視察に行った時に、ミディルン鉱石の巨大な塊があるとされている方向に、もやもやとした何かを見てすぐ、それが「かげ」だと察しました。けれどもお父様は「かげ」から現れる龍に怯えておられました。世界を破滅させる「かげ」に関わることも、全て拒まれ、話さえ出来ずに年月が経ちました』
「……ふん、なるほどな」
レダンが低く唸った。
「義父上にとってはミディルン鉱石は国を支えるものと同時に、恐怖の対象でもあったのか。だから国の外へ出したがった? いや、穿ち過ぎか」
シャルンは手紙の次の1枚を読み上げた。
『ある日、4歳のあなたが庭で1人遊んでいた時のことでした。少し前から、あなたは「かげ」が見えるようなことを話していました。むりゅむりゅ、と言うような不思議なことばを、ミディルン鉱石に話しかけるようなそぶりもありました。私には、それが「かげ」の名前だと感じました…っ』
思わず息を呑んでしまった。
確かに今のシャルンには、この奇妙なことばの音節がわかる。念の為にとレダンを振り向き、確認する。
「陛下、この『不思議なことば』がお分かりになりますか」
「いや、それが」
レダンは困惑した顔を向けた。
「今読み上げてくれた部分で、そこだけが妙に歪むと言うか聞こえにくくて、正確に聞き取れなかった。もう一度教えてくれるか?」
「むりゅむりゅ」
「うーん」
やっぱりうまく聞こえない、とレダンは眉をしかめる。
「グニュグニュ? むぎゅむぎゅ? そんな感じに聞こえるが、違うんだろうな、しっくりこない」
「違います。けれど……これは完成した名前ではないように思います」
「完成した名前ではない?」
「4歳の私は……感じた名前をうまく発音できなかったのではないでしょうか」
「かげ」から龍を呼び出すには、『名付け』が必要だ。シャルンは名前を再現する時、使役できないものには正確にことばが聞こえないのに気づいていた。
『私は、あなたが不用意に呼び出さないように注意していました。けれどあの時、なぜかあなたの近くに、ミディルン鉱石の塊があり、それに向かってあなたは、おそらくは今度こそはっきりとその名前を呼んでしまったのです。立ち上がったのは炎、幼いあなたは腰を抜かして座り込み、そこへ屈み込むようにうねる姿に、私は思わずその名前を再び呼んでいました。2人の使役者が同時に存在したことは今までになく、炎は私の右手を焼き、空高く走りあがって消えて行きました』
シャルンは渇く喉に唾を飲み込んだ。気づいたレダンが、そっとシャルンはソファに下ろし、水差しから水を注いだコップを持ってきてくれる。有難く頂いて喉を湿し、シャルンは読み続けた。
『龍は使役者に印を残します。炎の龍はあなたに呼び出され、私に使役されると言う不安定な状態となりました。しかもその存在はどこかに消え、いつ呼び出されるかわからなくなりました。私は、炎の龍を見つけ出し、その願いを満たさなくてはならないと考えました。手がかりはミディルン鉱石の塊が眠る、北の坑道です。誰があなたの側にミディルン鉱石を置いたのかも心配です。私はルッカをあなたの侍女につけ、炎の龍を探すことにします。幸い、…』
シャルンは口を噤んだ。唇も体も戦慄いた。
「…どうした?」
「…陛下……」
シャルンの様子にレダンが手紙を覗き込み、代わりに読み上げてくれる。
『幸い、ベーツ伯が力になってくれるとのことです。お父様にご心配をお掛けしますが、数日のことでしょう。その間のこともベーツ伯が手を打って下さるとのことですので、詳細をお話しするのは戻ってからと決めました。しかし、相手は世界を滅する龍、です。万が一のことを考え、この手紙を残すことにしました。
愛するシャルン。
あと一つ、あなたに伝えておくことがあります。
普通ならば、巨大なミディルン鉱石にしか「かげ」を見ることは叶わず、龍を呼び出すことはできません。けれども、あなたがあの時呼び出したのは、両手に抱えられるほどの大きさのミディルン鉱石でした。それ以前にも、ごく小さな欠けらにも、あなたには「かげ」を見つけられるようでした。もしかすると、巨大なミディルン鉱石に向き合うから、何かの力が集まって龍が現れるだけで、本当は全てのミディルン鉱石には多少なりとも「かげ」が潜み、それは力として使えるのではないでしょうか。ただ、その力は小さすぎて、通常の人間には見つけられない。けれどもシャルン、あなたはその「力」を見つけられるのではないでしょうか、全てのミディルン鉱石に。
もうわかりますね。
母が戻るまで、ミディルン鉱石に近づかないで下さい。北の坑道に行ってはなりません。あなたは龍になりうる力をミディルン鉱石から見つけられる力があるのです。その力をどう扱えばいいのか、母が答えを探しに行ってきます。そうしてきっと、あなたとお父様と、このハイオルトを守ってみせます。
大事な愛しいシャルン。
あなたの幸せが永遠に続きますように。
ラクレス・ハイオルト・エリクシア』
すでに途中から文字が見えなかった。
レダンが読み上げてくれる手紙を、全身を耳にして聞き入りながら、シャルンは溢れる涙を両手で受けた。
母はベーツ伯が国を食い物にしていたとは知らなかったのだろう。確かにベーツ伯なら、王妃を密かに北の坑道へ送り込むこともできた。行方不明になったとハイオルト王に注進することもできた。この手紙が明らかになっていないなら、ハイオルト王には何もわからなかっただろう。そうしてハイオルト王妃は姿を消してしまったのだ。
「…かあ…さ……ま」
「シャルン」
レダンがそっと再びシャルンを膝に抱え上げ、抱き込んでくれた。小さな子どもを守るように、優しく背中を撫でながら呼んでくれる。
「シャルン……シャルン…」
坑道を逃げ回った覚えがあるから想像してしまう。暗闇の中を走った記憶があるから考えてしまう。どれほど不安で怖かっただろう、シャルンにはレダンがいたが、母には誰もいなかった、側にいたのは裏切り者だけだったのだ。それでもきっと、シャルンを思って向かってくれたのだ、破滅の龍に。
「陛下……陛下」
「うん」
「行き先が……わかりました」
泣きじゃくりながら訴える。
「うん」
「北の……坑道へ……私、参ります…」
「そうだな」
「お母様を……見つけて……差し上げたいです…」
「……うん、そうだな」
何かを考えている様子のレダンは、それでも静かに同意してくれる。
「一緒に行こう」
「…はい…っ……はい……っ」
囁くレダンにしがみつき、シャルンは何度も頷いた。




