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「シャルン」
「…陛下…っ」
振り返らなくとも声が揺れて、一杯一杯になっていると知らせた。近づいて、真横に立ち、覗き込む。右頬に水の壁に乱反射した紫の光が、ちかちか瞬き痛いほどだ。
「遅くなったな、済まない」
「来て……下さったのですね」
震えながらシャルンがレダンを見上げた。瞳が潤んで今にも泣きそうだ。
「何が起こった」
「海辺の塔から…地下への階段を降り…地下迷宮を探そうとしました……私、気づいたのです。『ガーダスの糸』と…ミディルン鉱石……同じ力が流れていると。もう一度、あそことは違う場所に……同じ力を感じたならば…」
「そこに別の『地下迷宮』があるかも知れない、と?」
「海辺の塔の階段が…光っておりました……地下通路の右側には固い岩盤があると…聞きました」
「ミディルン鉱石か!」
ガストの声が響いた。
「固い岩盤ではなくて、巨大なミディルン鉱石だったのか!」
「そうして、そこに、こいつが居た?」
「…はい…っ」
シャルンの瞳に涙が溢れた。
「私……呼び出して……しまいました…っ」
「では」
レダンはちらりと視線を流した。
紫の光が呼び出された龍ならば、この玲瓏な水の壁は。
「…わかりません…海辺の塔が割れ砕けて……私達も一緒に飛ばされたと思ったのですが…この壁が…守ってくれました…」
シャルンは呼吸を弾ませている。
「ガストが水龍ではないかと言っている」
「……もし……そうならば」
シャルンは微笑んだ。
「私の願いが…生きているのかも知れません…」
あなたは命の源となりなさい。全ての未来を守るがいい。
「…そうだな」
レダンはそっとシャルンの背中に回り、静かに震える体を抱き締めた。
「では、することは一つだ、名付けよ、シャルン」
「陛下…」
「このものに名を。願いを告げよ」
「…は…い…っ」
シャルンと一緒に紫の光を睨みながら、レダンは身体中に押し寄せる振動を感じ取った。胃の腑が揺さぶられる。骨が軋み、耳鳴りがする。
ひょっとすると、この先もシャルンは眠れる龍を起こしてしまうのかも知れない。人が勝てることのない、国を破壊し、世界をも消し去る力を解き放つのかも知れない。
ならば尚更一歩も引くまい。
シャルンの側に立つのは、脅威に腰を抜かして怯む男ではない。生きては戻れない状況に決然と挑む男、愛しいものが世界を滅ぼす瞬間に、同じようにその荷を背負う男なのだ。
「…雷龍……ジュキアサルト…」
シャルンがレダンに抱き締められたまま、両手を光に差し伸べた。
水の壁が左右に分かれる。その間を分け入るように、紫の光がゆっくり顎門を下ろしてくる。
不覚にも、美しいと思った。
流れ落ちる水の壁が光を弾き、その垂れ幕を押し開くかのような眩い閃光の束、上下に開き、左右に分かれる奥に、光さえ届かぬ深淵が覗く。
空が裂けているようだ。
「あなたへの願いは……導きとなること……世界が…怒りに呑まれぬように……世界が…裁きを望まぬように……」
私の命を代償に。
がしゃあああああんん……っ。
「う、ああああっっ」
紫の光がひときわ強く光った瞬間、ミラルシアが絶叫した、手にしていた剣を取り落とす。薄く煙が上がる手首から先が消えている。咄嗟に駆け寄ったのだろう、ルッカがミラルシアの体を抱えて引き摺り下がるのが見えた。勘働きが良いというのか、身につけていただろう剣は遠くに投げ捨てている。確かにそうだ、この龍は武器を好まぬものらしい。
薄笑いしたレダンは、次は剣を帯びた自分への一撃を覚悟する。シャルンを突き放してどこまで離れられるだろう。この狭さでは別の誰かを巻き添えにする。
それもまあ、シャルンじゃないなら良いか。
「…来い」
シャルンを抱いていた腕を解こうとした瞬間。
もらったぞ。
「っ」
轟音が告げた。
突然紫の光が消えた。盛り上がっていた水の膜もすうっと落ちて階段を流れ去る。
「陛下………陛下…っ」
「ああ」
レダンはさすがに吐息した。腕にしがみつくシャルンの体を深く抱える。どっと流れ落ちたのは冷や汗だ。ミラルシアには悪いが、腕1本でよくぞ済んだ。
「…生き延びたようだ」
「はい…っ」
シャルンがなお強く腕を抱いてくれる。
「姉上っ!」「レダン!」
駆け寄るサリストアとガストを振り返る気力さえ湧かなかった。




