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黒くない。
薄白い。
薄白い小さな人の姿をしたものが、真っ黒な顔に赤い目を細め、牙を剥いた口を黒い両手で覆って体を揺らせて笑っている。
私は国を守ることが出来るのよ私は人を救うことが出来るのよ私は美しく装うことが出来るの私は誰にも優しく出来るの。くすくすくすくす。ところであなたは何が出来るの?
「私は…」
シャルンは相手から目を逸らすことできずに、身を竦めた。
「私に出来る、ことは」
うふうふうふふふ。
「っ」
もう一つ、同じ姿が別の岩陰から頭を突き出す。
王妃として王を支えるのは当然王妃として国を思うのは当然王妃として民に尊敬されるのは当然ところであなたを是非にと望んだ人々はどれほどいるのかしら。うふうふうふふふ。見せてねえ見せてごらんよ今すぐここでさあ見せて見せて見せて王妃に相応しいことを証明しなさいよ。
「……」
シャルンは壁にしがみついた。
得体の知れない相手だということだけではなく、相手の指摘していることが正しいと思えた。シャルンにはカースウェルの王妃たる資格はなく、レダンの隣に並び立つ存在でもないと思えた。
「でも」
思わず目を閉じる。
「ごめんなさい、でも」
瞼にレダンの姿が過ぎる。
「もう、諦めきれないの」
誰もそれを望まなくとも誰もそれを認めなくとも、そうして他にどんなに相応しい姫がいると知っても。
「私はレダンを、諦めきれない」
狡い子悪い子いじましくて情けない子みっともない子汚い子品がなくて行儀が悪くて馬鹿でのろまでクズで何も一人でまともに出来ない子。
「…いいわ」
壁を押す。足に力を込めると何度も挫きかけた足首が痛む。それでもその足でしっかり地面を踏みつける。
「いいわ、構わない、何とでも言えばいい」
目を開き、岩陰から顔を出し口元を覆い目を細めて嗤いながら体を揺らせる、薄白い人を睨みつける。
「足りないのは事実よ、出来ないのもわかってるわ、馬鹿にするならすればいい、あなた方にどう思われようとも構わない」
レダンはどう思ってるのかしら?
いつの間にかそこら中に増えていた影が口を合わせた。
あなたは良くてもレダンは?
「レダンは」
シャルンはゆっくり瞬きした。
『シャルン』
微笑む顔。
その幻を一旦強く目を閉じて胸に刻み、目を開いて真っ直ぐ相手を見る。
猿だった。
白くてふわふわの毛を纏い、掌を口に押し当て、顔を歪めて嗤っている猿達。
「…あなたなのね」
シャルンは扉を閉めた手を思い出した。
「私をここに閉じ込めたのは」
微かに数匹の猿が身を引いた。
「尋ねてもいいかしら。私がカースウェルの王妃に相応しくなく、レダンに愛されていないとして、それがあなたに何の関係があるの」
数匹が嗤っていた口を閉じる。
「あなたがカースウェルの王妃になりたいの? レダンに愛されたいの?」
話を逸らさないで。
「それとも私を奥に進ませたくないの?」
関係がない。
「ならば」
シャルンは1歩踏み出した。
「前へ進むわ」
やめなさい資格もないのに。
2歩。
「資格がなくてもいいわ」
レダンを困らせるのよ。
3歩。
「謝るわ。一生かけて償うわ」
ざわざわと猿達が後じさりする。
先へは行けない。
4歩。
「さっきより一歩は進んだわ」
無駄なことよ間違った方向よ。
5歩。
「間違うのは私だし無駄なことだなんて思ってないわ」
なぜ進むの。
「私が」
7歩8歩9歩。
「私を、信じたいから」
猿達が突然身を翻して奥へ逃げ去って行く。
「……ふ…」
緊張が解けて気が抜けて、視界が暗くなった気がした。止まっていた汗が流れ始める。手が細かく震えているのに気がついて、両手を差し上げ握り締める。
「…怖……かった……」
大きく吸った息をゆっくり吐いた。手だけではない、全身震えて汗に濡れている。
「…自信じゃ……なかったのね」
シャルンは小さく呟いた。
レダンの隣に居て、或いはカースウェルの王妃として振る舞って、皆んなに支えられているからこそ、立っていられると思っていた。そうしていつの間にか小さな自信が育っていたのだと思っていた。だからこそリュハヤにも応じられたのだと思っていた、それらは全てレダンやカースウェルに与えられたものだと思って。
「私はずっと……自分を信じたかったのね」
だからこそ、頑張れた、ハイオルトでも、カースウェルでも。
だからこそ、この薄闇で、賢しげにシャルンの不足を言い立てる猿どもの声にも、こうして立っていることができた。
「…では、前へ」
今度は自分の意志で、本当に望むものだけを真っ直ぐに目指して。
震える足で歩き始める。
顔を上げると、少し先に周囲より薄暗く澱む闇が見えた。
「あれは…………っ!」
どん!
どこかの岩陰に、まだ1匹の猿が残っていたのだろう。
突然背後から叩きつけるようにぶつかられて、シャルンの体は跳ね飛んだ。勢いに軽々と空中を舞う。
瞬間、少し先が崖のようになっていて、その向こうに大釜のように見える凹みが広がっており、蓋がされているように奇妙に平らな岩が載っているのが見えた。
落ちる。
今までならば諦めて、例えそうでなくとも怖くて目を閉じ、叩きつけられる瞬間を見ないようにしただろう。自分が選んだ選択肢が消え失せる痛みに泣きながら。
けれど。
まだ、何か、出来るかもしれない。
シャルンは必死に目を見開いた。




